帰校

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「では、苦境に立たされながら最後まで互角に闘った野球部の面々に、感想を聞きたいと思います」 『待ってました』と言わんばかりの大きな拍手が起こり、俺も一緒になって拍手を贈る。 「但し、最初に申し上げた通り時間が限られていますので、こちらからの質問形式とさせていただきます」  会場の期待に満ち満ちた眼差しを見事にかわして切り出した。 「早速ですが和久井先生、この頼もしくも賑やかな連中の引率、ご苦労様でした」  頭を下げられ、和久井監督が日に焼けた顔に苦笑を浮かべる。  確かに相当手を焼いたんだろう。この一週間ほどの苦労がしみじみ伺える。  そう思い、はっとして隣の千藤監督を盗み見た。  ずっと一緒にいて気付かなかったけど、西城の学生の目に、久しぶりに会った監督はどんな風に映っているんだろう。  ……考えたくない。  きっと和久井先生以上に疲れて見えてるんじゃないだろうか?  密かに落ち込む俺なんかお構いなしに、主催者の思惑通り会は着実に進んでいった。 「私個人の質問で申し訳ありませんが、これだけはぜひ聞きたかったんです」  そう前置きした会長が、一息吐いて、再びマイクを口元に近づけた。 「七回、田島がピンチに陥った時、どうして成瀬にマウンドを任されたんでしょう?」  その問いに、俯いていた顔を上げ、当事者の野球部監督を見た。  それは、俺も一番知りたかった事だ。  和久井監督はもちろん、限られた人間しか北斗に投手の経験がある事は知らないはずだ。  それなのに何故あんな大胆な選択をしたのか、ずっと不思議だった。 「ああ、あれはですね、二年の関君が言い出したんです」  監督の手には、すでに小ぶりのマイクが手渡されている。  その、和久井監督の穏やかな受け答えの中に隠された事実に、苦い気分で納得した。  やっぱり、北斗の投手交代は受け身だった。  渦中にいきなり放り込まれた瞬間の葛藤を思い、試合中継を見ながら感じた苛立ちまで蘇ってきて、息が……胸が苦しくなる。  計り知れないほどのプレッシャーだったはずだ、その時の北斗には。  たった一人に負わすには巨大すぎる責任と重圧。  それを押し付けた首謀者が関だとわかり、否が応にも反発心が沸き上がる。 「関が?」  聞き返した会長の目が前列に座る関に向く。当然、俺も同じく彼を見遣った。  戸惑う会長とは対照的な、険しい目付きになるのはどうしようもない。  どうしてそんな途方もない事を思いついたのか、それが知りたい。 「ええ。その時の台詞が妙に胸に響きましてね。無茶は承知で成瀬君に任せたわけです」 「関は何て?」 「それがですね」  その時のシーンを思い出したのか、居心地悪そうだった監督になぜか心からの笑みが浮かんだ。 「――『このピンチを救えるヒーローはうちにはいないけど、気持ちよく試合を終わらせる事はできる』と、言ったんです」 「………」  返事のない会長に、和久井監督が続けた。 「それを聞いて、興味が湧いたんです」 「興味、ですか」 「ええ。白状しますと、七回表のピンチで最後まで手段をこうじるべき私は、すでに負けを覚悟していました。それも大差での大負けを。だから関君の言う『気持ちよく試合を終わらせる為の策』を、聞きたくなった……というより、縋りついたわけです」 「なるほど」 「彼は私より、よほど優れた策士でした」  そう言って、にっこりと微笑んだ。 「それが成瀬をマウンドに、という事だったんですか」  半分呆れ顔の会長に、和久井監督が大きく頷いて見せた。 「そうです。どういう事情があってそんな結論が出たのか、さすがに私も計りかねましたが、あの時、後のない状況、絶体絶命のピンチの中で、提案した関君の表情は、これまで見た事もないほど輝いてました」  意外にも楽しそうな監督の言葉。  そこには、苦境に立たされたはずのベンチの中の様子が、如実に反映されていた。  それを知り、言い様のない疎外感がまた、心を侵食していく。  俺には永遠に覗けない、野球部員だけの神聖な場所。  そこは確かに彼らのテリトリーだった。 「そうですか。なら、その案を出した関に訊こう。どうして成瀬が投げたら気持ちよく試合が終われるんだ?」 「え、っと、それはですね、あいつがスランプになってたからっす」 「はあ? 何言ってるんだ。あの北斗のどこがスランプだって!?」  マイクの存在を忘れたせいか、キーンと耳障りな音がスピーカーから流れ出る。  慌ててマイクを遠ざけた会長だけど、おかげで会場のざわめきは半減されていた。 「あれ、気付きませんでした? 打つ方はともかく前半…いや、六回の相原に当たった打球を捕球するまで、全然いつものプレーじゃなかったんすけど」  その途端、会場が大きな波にさらわれた気がした。  それは俺も知っている。  北斗自身の口から、偶然とはいえはっきり聞いた。  だけど、さっきから心の中のもやもやが晴れない。  何とも言いがたい、重い気分が俺を支配していた。  集まった人が口々に、試合の時の事を思い返すように囁きあう。  再燃した騒ぎの中、会長も半ば呆然とキャプテンに真相を求めた。 「結城、今の関の話、本当なのか?」  すると、小さく頷いたキャプテンがあっさり同意した。 「ショートへの強襲が少なかったのは、山崎が極力レフト方向に飛ばないように配球していたからだ。いつもの逆だな。おかげでそっちに気を取られた山崎は、打席でさっぱり打てなくて参った」  それでなくても大振りが多いのに、という愚痴は敢えて仲間内だけに留める。つまりマイクは下ろしての呟きだ。 「山崎、そんな芸当できたのか」 「わ、ひっで会長! 県下NO1を誇る和泉の加納とやりあったんすよ。それも決勝戦延長まで。そんくらいできないと互角にもならないっすよ」  明らかに憮然とした表情で山崎が会長を睨む。  後輩だから見くびっていた、というわけではないだろうけど、日頃の山崎の屈託のなさが彼の実力を低下させているのは事実のようで、「すまん」と謝った会長が、すぐに本題に戻った。 「なら成瀬は本当にスランプだったのか」  再度訊かれたキャプテンが、首を竦めた。 「そ。で、ショートでいつものプレーができないなら代わりに投げろってな」 「それはまた……」 『気の毒な』  一瞬、言葉を失った会長の、声にならない本音が聞こえた気がした。  とはいえ、そこは学校の信用も篤い生徒会長。  一時の同情も押し殺し、頬を引きつらせながらも自分の役目を全うする。 「――随分大胆な方法を思いついたもんだな、関」  名指しされた関が、苦笑いを浮かべ回ってきたマイクに手を伸ばした。 「確かに無茶だけど、わかってて提案したのは、相手が北斗だったからっす」  さらっと告げた言葉が、その場しのぎのいい加減な継投を究極の、そして唯一の選択に変えた、ような気がした。  その関の一言で、さっきからの胸の奥のもやもやの正体がはっきりと姿を現す。  この街で、俺の事を一番知り、理解しているのは間違いなく北斗だ。  そして、北斗の事を一番わかっているのは自分だと、自惚れていた。  だけど、あいつはそうじゃなかった。  野球の事も、これまでの成長過程すら、俺は目の前の野球部員に遠く及ばない。  その事実に今更のように気付かされ、自分でも呆れるほど衝撃を受けた。 「確かに、北斗以外の誰にもできないな」  この場にいない人物に想いを巡らせ、感嘆の思いで会長が呟く。  同じ気分で頷く面々の中、強く反発する声が間近で起きた。 「ちょーっと違うんだな、これが」  はっきりとした否定の声の主は、北斗の幼馴染、山崎のものだ。 「俺がキャッチャーだったから、あいつは投げれたんだ」  言い切った山崎を、半ば呆然と見つめた。  一瞬の間を置いて、ステージが笑いの渦に飲み込まれる。  だけど山崎の確固たる思い込みが俺の落ち込みに拍車をかけるより、ほんの少し浮上するきっかけをくれた。  その信憑性はともかく、北斗と山崎が強い絆で結ばれている事は確かで、それは他と比べるような、まして優越を競うような類のものじゃなかった。  それに、他人が口を挟む事でもない。  そう気付いただけで、余計な嫉妬心から少し解放された。    会場のあちこちから指笛か口笛か、とにかく賑やかに囃し立てる音が上がる。  西城野球部にとって欠かす事のできない大事なムードメーカー。  西城の学生の中にも、そのパワーはしっかり浸透していた。  実際、守備の要でもあるキャッチャーがしっかりしていなければ、上位になんかなれない。  見かけだけだとあんまり器用な真似できるとは思えないけど、彼の実力は確かなもので、西城の友人達も十分承知している。  女の子大好きの山崎が男連中に絶大な人気があるのも、その辺が親しみ易いせいだろう。もちろん友達、友人としての範疇で、だけど。  そう思い、心の中で笑った。  俺も山崎のさっぱりした気質や、意外に気が利く一面も好きだ。  なんであの性格のよさを世の女達はわからないのか、なぞなんだよな。  やっぱり不憫な奴。  まあ、俺も似たようなもんだ。だから余計山崎が好きになるのか。  同類相憐れむ、ってやつだ。  いつの間にか関への憤りより、山崎への同情に浸る。  しみじみ感慨に耽っていた俺は、自分が呼ばれていたのにも全く気付かなかった。 「おい吉野!」  いきなり至近で呼ばれ、はっと顔を上げた。 「お前は、ほんと大物だな。こんなとこで寝るなよ」  目の前に呆れ顔の会長。  会場からは控え目な忍び笑いが聞こえる。 「寝てませんよ! 起きてます」 「そう思ってるのは自分だけだろ。何回呼んだと思ってるんだ?」  そう訊かれ、一年以上前の山崎との会話を思い出した。 「ちょっと考え事をしてたんです。それに俺の出番はもう――」 「勝手に決めるな」  最後まで言わせず、会長が言葉尻を取った。「ったく、何を考えてたらそこまで没頭できるんだ?」 「え、…いや、山崎の事を少しばかり」 「……山崎って、そこに座ってる山崎か?」  明らかに不審者を見るような眼差しを向けられた山崎は、反対にポカンと俺の方を眺めている。 「そうですけど?」  頷いた途端、微妙なざわめきが会場だけでなくステージの上にも広がった。  ……何なんだ、この反応は。 「吉野、真面目に答えろ。あの山崎の事を考えていて、俺に呼ばれたのにも気付かなかったって?」  ピシッと指を指された山崎が、不愉快そうに顔をしかめる。 「えっと、そうなりますか」 「マジでか」  額に手を遣り大袈裟に天井を仰いだ会長が、心から不思議そうに俺を見た。 「悩み事とは一番縁遠い奴の、何をそんなに真剣に考え込んでいたんだ?」 「え、そんな大層なものじゃないですけど。ただ、あいつすごくいい奴で、昨日の試合なんか結構男前に見えたのに、なんで彼女できないんだろう、とか」  口にした途端、会長が盛大に噴き出した。 「ハハ、そうか、そっちか。確かにそれは尽きない悩みだ」 「吉野~、それ絶対さっきの仕返しだろッ!」  本人に直接喚かれて、初めて思い出した。  そう言えば、いつの間にかリベンジみたいになってる? 「違うよ! あっ、違います。大食い扱いされた時は腹立って、言い返したいって思ったけど、今のは本気で――」 「なお悪いッ!!」  マイクも使ってない山崎の大声で、会場の笑い声が止まらなくなり、途方に暮れる。  何でそうなるんだ?  本気でいい奴だと思ってるのに。   「山崎、落ち着け。まあいい。それより吉野を呼んだのは相原の事だ」 「相原?」 「ああ。同郷同士似たような怪我をして、お前ら仲がいいなって言ってたんだ」 「怪我は関係ないでしょう? たまたまです。けど――」    どうしよう、言ってもいいだろうか、俺と駿との間柄を。  俺達が同郷だという事は、すでに西城のみんな知っている。  迷った瞬間、広い体育館にまた、白井先輩の丸めた頭を捜した。  剣道部内の一大事件となった連休明けの出来事。  隣に座っている千藤監督との仲を疑われていたなんて、今となっては笑い話にもならないけど、『抱かれる見返りに稽古をつけてもらっている』というもう一つの噂は未だに……  いいや、実は玉竜旗大会以来、安達先輩が何も知らない俺を面白がって、そっち方面のあれこれを積極的に教え始めたせいで、あの頃以上に俺を憂鬱にさせていた。  先輩の手前、拒否する事もできず、話だけとはいえ具体的なイメージを植え付けられた俺は、あの噂話で自分が置かれていた立場を、改めて思い知らされた。  それは、俺のささやかな性に関する知識の、許容範囲を遥かに超えた、受け入れがたい行為(じじつ)だった。 「『けど』、どうした?」  会長に不思議顔で繰り返され、慌てて手を振った。 「いえ、何でもないです」  無理矢理誤魔化して、密かに三ヶ月前の屈辱に身を震わせた。  北斗は、同級生は誰一人、俺をそんな人間には思っていないと断言してくれたけど、どう考えても俺と仲がいいと知れたら余計駿の立場を悪くしそうで、やっぱり公然と言うのははばかられる。  あれがあって、俺の人間性はおそらく一度、地に落ちた。  それなのに、噂の内容は現実には有り得ない事で、俺にとっては精神的にも肉体的にも一番の屈辱だった。  にも係わらず自身の身に置き換えてみれば、対照的でありながら、その最低な評価はあながち外れてもいない。  それが恐くて……こんな風にたまに思い出しただけで、無性に辛く、苦しくなる。  その事を考える時、自分の、深く澱んだ暗い心の深淵を覗いてしまった気になるんだ。  ……何だか、今日はこんな気分ばっかりだ。  そう思い、緩く頭を振って、思考を止めた。  北斗がこの場にいたら、これほど考え込んでいなかった気がする。  久しぶりに……ようやく会えるのが、嬉しくて堪らなかった。  会って、顔を見て声を聞けば、自分の事なんかどうでもよくなる。  そう、いつもそんな感じだ。  北斗がそこにいるだけで、俺はいつも救われる。  それだけは、出会ってからずっと変わらない。  早く……逢いたい。   今、俺の本当にしたい事、それは間違いなく、北斗との『再会』だった。  
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