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終章 ~ 宣戦布告 ~
「どうもさっきからぼんやりしてるな」
ライトの光が遮られ、はっとして顔を上げると、小野寺会長の心配そうな瞳と目が合った。
「さすがに吉野も疲労は隠せないか」
気遣わしげに訊かれ、この会の意味を思い出した。
自分達の慰労会に、半分責任ある俺がこんなじゃ駄目だ。
「あ、いえ。すみません、大丈夫です」
「いや、いいんだ。時間も……」
腕時計を見た会長が、柳眉を寄せた。
「三時二十分、か。出迎えに来てくれた人達をいつまでも足止めさせるわけにいかないな」
そう呟いて顔を上げ、正面に向かって呼びかけた。
「慰労会に参加して下った皆さん、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。今年は例年にない暑さですが、西城高校もそれ以上に熱く盛り上がりました。いつも陰日向なく私達を支えて下さる地元の皆さんのおかげと、西城高生全員、深く感謝しています」
それに合わせ生徒の間から盛大な拍手が、後方と、二階にいる父兄、街の人達に贈られる。
満足そうな笑みを浮かべた会長が、再び口を開いた。
「黎明女子高の多大なご協力に感謝すると共に、来年も今年以上に熱い夏になる事を願って、この会を閉会したいと思います」
そう挨拶し、くるりと向きを変えた。
「それでは、最後に吉野、やっぱりラストはお前が締めてくれ」
言いながら、野球部の使っていたものとは別のマイクを差し出す。
「えっ!?」
その無茶振りに、声が裏返った。
「無理ですよそんなの。大体何言えばいいんですか?」
こんな大それた場面で!
「それを考えるんだろう。来年への決意とか将来の夢とか。色々あるだろ?」
そんなの、千人近い人のいるところで言えるわけない。
それに自分の未来への誓いをあっさり立てれるほど、俺は達観していない。
それなのに、みんなに熱い眼差しを向けられ途方に暮れる。
そこで、あっ! と閃いた。
自分の未来は誓えないけど、西城高校野球部にとって非常に重要な意味を持つ人からの伝言を頼まれていたんだ。
立ち上がり、押し付けられたマイクを口元に当てた。
「えっ…と、小野寺会長みたいに気の利いた事は言えないし、来年の夢も決意も、今は何も浮かびません」
「こら! お前はまた――」
苦言を呈しかけた会長の眼前で、先にぺこりと頭を下げた。
「すみません。ですが、和泉の加納一聖君から野球部に言付けを頼まれたので、それを伝えて締めの言葉に代えたいと思います」
了承を得る為、加納君の名前を出したら、さすがに館内が大きくざわめいた。
「いいですか? 会長」
「お前、あの加納と知り合い…というか、そんなの頼まれるような間柄なのか?」
会長ではなく結城キャプテンに驚いた顔で訊ねられ、「え、ああ、いえ」
と中途半端に否定した。
「俺が怪我したって新聞に載ったから心配してくれたんです。帰りの新幹線で電話くれて」
「加納から? かけてきたのか?」
不思議顔のキャプテンに「ええ」と頷けば、
「吉野、それってものすごい事だぞ」
半分呆れながらも目力を込めて言われ、思わず訊き返した。
「え…あの、加納君からの電話が、ですよね?」
「この流れで、他に何があるんだ」
それはそうだけど、そんなに大層なものか? という戸惑いも大きい。
それでも一応話を合わせた。
「ですよね、声聞いた時は俺もさすがに驚きました」
この程度の事なら、俺にだってできるんだ。そう思い一人悦に入っていると、
「それもあるけど」
言いかけた会長が僅かに首を傾げた。「吉野、もしかして知らないのか?」
「え? 何を?」
「加納の器械音痴」
プッ、ではなく、ふっ、と、力の抜けた笑いが口から零れた。
「笑い事じゃないぞ。去年すでに『今年の甲子園期待の新星』って見出しで特集組んだ雑誌に、加納の対談が載ってたんだ」
「何て? 電話が使えないとでも?」
冗談半分訊ねたら、
「機器関係が壊滅的に弱いんだと」
あながち外れでもない返事が返ってきた。「ついでに電話も自分からはほとんど掛けない。だから携帯も持ってない、というより必要ない、なんて書いてあって印象に残ってたんだ」
「へえ、珍しいですね」
知らなかった。加納君もアナログ人間なんだ。「でも、俺もどちらかと言うと苦手ですけど」
北斗がいたからどうにか人並みに扱え出したものの、機能の半分も利用してないのは、ついさっき帰りの新幹線の中でも実証済みだ。
「そんな人間が自分から吉野にコンタクト取ったんだぞ、もっと感動してもいいだろ」
不満そうに言われ、加納君の凄さを改めて思い知らされた気がした。
どうやら彼は、同年代で野球をする人にとって相当高いところに位置付けされているらしい。
「いや、感動は新幹線の中で十分しました。けど俺、その加納君に怒鳴られたし」
「それはまた、穏やかじゃないな」
会長が苦笑を漏らして俺を見た。「一体何を言って怒らせたんだ?」
「え、…と、これ?」
本日何度目になるのか、首筋に手をやった。
「傷跡が残るって話したら、何でか――」
口にした刹那、悲鳴に近い声が会場一杯に広がった。
「ウソォ、治んないの?」
「やだっ!」
「誰よ、そんな酷い傷負わせたのッ!」
「絶対許せない、抗議すべきです!」
ヒステリックな声が次々起こり、会場全体が騒然となってしまった。
何だか悪者になった気分でおろおろと視線を泳がせていると、会長がそんな俺の動揺を察し、口元にマイクを近付ける。それより先に、
「やかましいッ!!」
と怒鳴った人がいた。
会場のど真ん中、すっくと立ち上がった人物に、目が釘付けになる。
きれいに剃られた頭、白井先輩だった。
「あいつがどんだけ必死に戦ってきたか知りもしねえくせに、自分の所有物みたいに言うんじゃねえ!」
当事者の俺には目もくれず、黎明の女子を睨み付け、会場の隅々まで響く張りのある声で言い放った。
「吉野が怪我した? そんなもん当然なんだよ。各県トップの奴らとやり合うんだ。ヘラヘラやってて準優勝なんて、できるわけねえだろうがッ」
騒いでいた黎明女子を見据える目が……恐すぎる。
脅したらまずいだろう、立場上。
仮にも黎明女子はゲスト、しかもか弱い女の子なのに。
その予想は、見事に的中していた。
白井先輩の剣幕に、誰も……西城の生徒ですら一言も口を挟めずにいる。
そんな周囲の反応を他所に、先輩がその視線をステージに立つ俺に合わせ、顎でしゃくった。
「見た目はああでも、あいつの精神は誰より強靭なんだ。怪我の一つや二つ、全然気にしやしねえ。それを関係ないお前らが偉そうに言う資格なんかあるかっての」
確かにそれは、今の俺の心情を過不足なく代弁していた。
感心しつつ目を遣ると、二十メートル程離れて立つ先輩とばちっと目が合う。
思わず見つめ合い、先輩がフッと口角を上げた。
「あいつに堂々と文句を言えるのはな、奴の身内と彼女だけ、なんだよ」
皮肉な笑みを浮かべ、何事もなかったようにさっさと腰を下ろした。
会場は静まり返ったまま、さっきまでの騒ぎが嘘のようだ。
そしてまた、白井先輩に庇われたと知る。
けど、はっきり言って全然嬉しくない。
だって、どう考えてみても最後の一言は絶対余計だ!
俺に彼女なんかいない事を知っていて、実情を知らない黎明の女子に当てつけてる。
その証拠に、白井先輩の言い様に逆切れしても不思議じゃない彼女達が、未だ黙ったまま、一言も発せずにいる。
効果的だけど、実にいい加減なハッタリをかました先輩。
一般生徒に混じってしまったその姿を、半分睨みつけるように捜していると、隣でコホンと咳払いが聞こえた。
「あいつの言う事は、どうやら正しそうだ。吉野は、こっちは大丈夫なんだな?」
自分の胸を指差して訊ねる会長に、しっかり頷いてみせた。
「もちろんです」
答えて、会長の意図に気付き、手にしていたマイクを口元に当てた。
「あのっ、気遣ってくれてありがとうございます」
会場のみんな、特に黎明女子高の生徒に向かって呼びかけた。
「それと、心配かけてすみません」
言いたい事だけ言い放って、後は知らんぷりの先輩の尻拭い。
いくら釈然としなくても、やっぱり俺がすべきだろう。
「この傷は自分が未熟だったからで、俺、その彼とこれからも対戦すると思うし、戦いたい」
この場を取り繕う為に発した言葉。
だけど、想いを口にして自覚した。
試合終了後、強く感じた想いが、この場所で再燃する。
そうだ、俺は、相馬君との再戦をこんなに強く望んでいる。
俺以上に複雑な心境だろう千藤監督を一瞥して、再び口を開いた。
「彼は、俺と同じ年で、だけど俺なんかとは比べ物にならないほど大きなものを抱えて、試合に臨んでるんです。今回はこんな怪我して、――彼も、自分の父親に邪魔されて、お互い満足のいく試合じゃなかった。だから今度は絶対、誰にも邪魔させない。どの大会で当たっても関係ない。俺達だけの、最高の試合をしたい」
熱く語って、ハタと気付いた。
「あれ? 何言ってんだ? 加納君の伝言、言うはずだったのに……」
呟いた途端、静まっていた会場に明るい笑い声が弾けた。
「相変わらずで嬉しいよ、吉野」
「はあ?」
会場と同じ、クックッと笑いをかみ殺しつつ、会長が俺に近付いた。
「吉野の決意は、ここに居合わせたみんな、確かに聞いた。俺達――」
言いかけて、すぐに口調を改める。「私達三年は秋の新人戦でしか、その活躍を見る事は叶いませんが、来年の夏、今以上に逞しくなった彼の勇姿を期待します」
「いや、俺の話じゃなくて、ですね」
やたら煽る会長を慌てて止めると、
「ああ、忘れてないよ、吉野」
するりとかわした会長が、野球部との仲を取り持つように付け足した。
「加納からのメッセージ、お前の声でこいつらに伝えてやってくれ。他の誰の言葉より一番効果がありそうだ」
「はあ。じゃあ、気を取り直して」
そう前置きして、一つ大きく息を吐く。
そして、加納君との約束を、ようやく口にした。
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