画面の向こう側 4

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   十回表、門倉さんのソロホームランの一点止まりで、かろうじて追加点を阻止した西城は、その裏、一番松谷からの好打順。  今日の調子はどうなのかわからないけど、北斗があれだ。きっと奮起しているに違いない。  ボックスに松谷が入っただけで、レフトスタンドから女子の甲高い声援が飛ぶ。  やっぱり、十分活躍してきたと見た。調子よさそうだ。  話し上手で話題の豊富な松谷は、自身も公言してはばからない無類の女好きだ。  ただし、決して二股とかはしない。一応相手への礼儀は通す。  そんなところが西城の女子の心を掴んでいるのか、女好きとわかっていても好意を寄せる女子は大勢いる。  加えて北斗が全然相手にならないから、余計松谷へ傾く子が多くなるのは、自然の流れと言えなくもない。  そんな対照的な二人ではあるけど、野球抜きでも結構仲がいいのは、一年の時からよく知ってる。  その二人の作り出すセカンドの守備力、連携プレーは半端なく凄くて、何度でも見たくなる。  次を期待してしまう。  それは、野球というスポーツにおいてどうなのかわからない。  だけどそれが西城高校の一番の魅力でもあるわけで。  この試合でもっとも大きな被害を被ったのは、実はこの松谷だったのかもしれない。  その松谷が、門倉から意外にも4ボールを選び、出塁した。 『ああっと、門倉君、一番バッターの松谷君に今日二度目の4ボールです』 『これは、明峰ピンチですよ。西城は恐らく送ってくるでしょう。よほどの事がない限り、得点圏にランナーがいる状態で、成瀬君まで回ります』 『彼の得点圏打率は、……八割超えてます。しかも今日の試合でのゲッツーを入れた数字ですから、とんでもないアベレージです』 『まさしく「怪物」、ですか。そんな呼び名とはほど遠いイメージなんですが』 『まったくです。ですが、六回に見せた守備と言い、九回表に見せたピッチングといい、計り知れない可能性を秘めているのは間違いないでしょう』  そんな解説を聞く度、むず痒いような、落ち着かない気分になる。  さっきダイジェストで振り返り、一応これまでの試合経過は把握できたけど、それに対する観客はともかく、公平な立場のはずの解説者まで妙に入れ込んでいるのが見ているこっちにまで伝わってきて、一体どんなプレーをしてきたのか、前半の試合内容がすごく気になってしまう。 『言えてます。門倉君の安定した素晴らしいピッチングはもちろんですが、成瀬君の……何と言いますか、人間味溢れる投球は、何だか一緒になって応援したくなる、そんな気持ちにさせられます。なかなかいませんよ、こんなピッチャー』 「マジかよ。3イニングほど投げただけの即席ピッチャーなのに、手放しで褒めちぎってるぜ」  解説を聞いた白井先輩が唸りにも似た呟きを漏らす。 「北斗、二足のわらじ履くつもりなのかな」 『あの、…残念ながら彼は投手じゃありません。一応フィールダーのはずなんですが』 『あっ! そうでした、臨時の投手でしたね。失礼しました』   「そりゃそうだろ。やっぱあいつはダイヤモンドを走ってないと、その才能も半減するぜ」  テレビの声に応じるように、白井先輩が辻先輩に答えた。 「確かに、それは言えてる」  答えてふふっと笑う。  西城の先輩達の支援があったから、野球部に入部できた。  北斗が甲子園の舞台で躍動する姿。  それは、この人達みんなの夢でもあったんだ。  それにしても先輩達の会話が、北斗フィールダー説で落ち着いてくれてよかった。  三年の夏目さんという人は、もう引退になる。  その人の代わりとかで四人目の投手として名前を出されたりしたら、今以上に悩みが増えるところだ。  そんな俺の心配はともかく、明峰のピンチは言い換えれば西城のチャンスだ。  立場が変われば状況も変わる。  門倉さんに何が起こったのかわからないけど、こんな好機、もう有り得ない。  誰よりもそれをよくわかっているからか、レフトスタンドの応援が一際大きくなる。  二番打者の渡辺が、最初からバントの構えで門倉さんの豪腕に挑む。  その初球、今度はきっちりと犠打を決めた。  一塁まで激走しベンチに引き上げていく、まだあどけなささえ残る渡辺に、客席から大きな拍手が起こった。  この場面で大仕事を成し遂げた渡辺に、俺も心から賞賛を贈りたい。  剣道の県大会会場で俺に叫んでくれた以上の声で。 『西城の渡辺君がバントをしっかり決め、松谷君を得点圏に送る事に成功しました』 『一番プレッシャーの掛かるこの場面で、自分の役目をしっかりこなしてきますねえ、西城は。それが彼らの強さなんでしょう』 『驚異的な粘りを見せます、西城高校。対する門倉君は、長打だけは避けたいところですが、西城のクリーンナップを抑える事ができるでしょうか?』  1アウト二塁で、続く結城キャプテンが額の傷跡も生々しいまま、打席に立つ。  間違いなくこの試合最後の打席になるだろう。  たとえ代理の出場だとしても、高校生活最後の集大成。  もしかしたら相模主将と同じ、今後の進路しだいではこの夏を最後に、二度と野球に携わる事はなくなるかもしれない。  けどそんな事、今の結城さんには関係ないのか、先の事より何よりこの試合に勝つ事しか考えてないように見える。  いい感じに集中できている。  同級生でもある超高校級左腕の門倉さんの球を、力強いスイングで迎え打つ。  掠った打球がライトスタンドへ入り、レフトスタンドからの溜息を背に仕切り直した二球目。  高めに浮いたボール球を、今度は完璧に捕らえた! 『また打ったッ! 今度は西城高校の結城君、門倉君の球を完璧に捉えた! 打球は伸びる。入るか? どうだ? 入れば逆転さよならだッ!!』  前の回の久住の当たりを彷彿とさせるような打球が、レフトとセンターの中間に飛んで行く。  一斉に立ち上がる三年の先輩と、言葉もなく拳を握り締めて見守る俺。  打球を追って、テレビの画面がセンター方向へ移る。  その中に、強風にはためく大会旗が映った。  同じ風に押し戻された打球が見る見る失速し、レフト側に寄ったセンター外野手のグラブに、真っ直ぐに落ちていく。  二塁からタッチアップを狙っていた松谷も、捕球された位置が悪く犠打にはできなかった。 『あ~、残念。もう少しでさよならになろうかという当たりでしたが、甲子園の強風がそれを拒みました。ついていません西城高校、スタンドまでが遠いッ』 「ちぇ~、マジついてねえっ! 何だよもう! あとちょっとで逆転ホームランだったのに~」  嘆く安達先輩同様、椅子に座り込んだ他の三年生も落胆を隠せない。  その中で、結城キャプテンの心情を誰よりもわかっているみたいな相模主将が、さっぱりとした口調で呟いた。 「相手は門倉だ。あそこまで飛ばせただけで本人は満足するさ。今は……そう、悔しさで一杯かもしれないけどな」  キャプテンとしての重責と、純粋に野球を楽しむ気持ち。  両立するには難しい、二つの事柄。  だけど結果がどうあれ、この大会が終わればその重みからは解放される。  願わくば、ここでの試合が相模主将の言葉通り満足のいくものになればいい。  そう心から願うばかりだ。  一回戦突破まであとアウト一つのライトスタンドからは、門倉さんへの声援と、あと一人コールが起こる。  対するレフトスタンドは一瞬でも初勝利を夢見た分、落胆の色を隠しきれない。  対照的なそれぞれの応援席を映し終えたカメラが、ネクストサークルに佇む北斗を捉えた。  いつもならとっくにサークルを出て打席に向かっているのに、まだ立ち上がる兆しさえ見えない。  その姿をカメラが映し続ける。  ……ほんとに大丈夫なのか?   そんな心配が脳裏をよぎる。  と、これまでなら軽々と回していたバットを杖代わりに、ようやく重い腰を上げた。   刹那―――  そんな懸念も吹き飛ぶほどの、割れんばかりの大きな拍手が、会場を囲む全ての客席から沸き起こった。 「!! すっげ! 何、この拍手」  安達先輩の呆れ声に、三人の同級生が揃って頷く。  俺もびっくりした。  とても初戦とは思えない盛り上がりだ。  だけど驚いたのは、俺達だけじゃなかったようだ。  ほぼ満員の観客席に目を遣り、一瞬その場に立ち尽くした北斗が、気持ちを奮い立たせたのか、後押しされるように甲子園の空気を大きく吸い込み、ようやく一歩を踏み出した。 『皆さん、お聞きになられてますでしょうか? この大歓声。最大の山場を迎え、最高の盛り上がりを見せています、大会初日の第三試合。明峰の門倉君対、西城の成瀬君。今日四度目の対決です』 『最初の打席こそ併殺打に終わった成瀬君ですが、その後が圧巻です。ツーベースヒットとホームラン。どちらも門倉君の投球を完璧に捉えてます』 『観客だけでなく、我々も非常に楽しみな対決です』  解説者やゲストまでが、観客の一人になって見守っている。  当の北斗はというと、意地と気力だけでそこに立っていると見てわかるほど、疲れ果ててる。  無理もない。  この大観衆の前で、いきなりマウンドに立たされたんだ。  体力的にどれほど北斗がタフだろうと、精神的な重圧は普通の試合の比じゃない。  ボックスへ向かう足取りは、見たことないほど重そうで……  そんな姿をわざと人前に晒し上手く同情を買う人間もいるけど、北斗は絶対そんな真似しないと知っているから、よけい気が気じゃない。  それでも……と思う。  ついさっき、俺も自身の全てを出し切って大河内さんと戦った。  試合には負けたけど、自分なりに最後まで全力を尽くせた事が何より嬉しかった。  そして、それを受け止めて真っ向勝負してくれた大河内さんにも、感謝の気持ちで一杯だ。  だからわかる。  北斗も俺と同じ気持ちなんだと。  その打席で、自分自身のバットで、決着を着けようとしてるんだろ?  自分よりも遥かに大きくて、強い敵を相手に。  なら、遠く離れたこの地から精一杯のエールを贈る。  届かなくてもいい、北斗が全力を出せるよう祈るよ。  まだ、やれるよな?  そんなとこで力尽きたりしないよな?  どんな結果になろうと、俺は困難に立ち向かったお前を凄い奴だと褒めるよ。  画面越しの門倉さんが、思いがけない強敵を前に、これまで以上に集中している。  さすが高校球界ナンバー1投手だけある。  もうすでに何球団からか誘いがあると聞いた。 『なら俺も前年度優勝校相手に、五割超え狙うかな』  三日前の夜の、北斗との携帯越しの会話。 『え、相手の投手、門倉さんって、雑誌にも載るくらい有名な人だよ?』 『いきなりそんな投手出さないだろ。しかも初戦、相手は県大会二位だ。エースピッチャーは温存、それが定石』 『そっか、そうだよな』 『だから、門倉さんを引っ張り出せたら上出来だな』 『上出来』どころか、十分対等に戦ってる。  十回表の門倉さんの打席の再現みたいに、今度は北斗がファールで粘る。  門倉さんの表情にも余裕なんかなさそうだ。  一球たりとも気が抜けない。  そんな気迫で投げ続け、北斗もまた、それをことごとく打ち返していた。  ただフェアグラウンドに、飛ばない。  恐らく門倉さんの実力を確かめる為、スタンドに来ているスカウト陣も大勢いるだろう。  彼らの目に、今の北斗はどう映っているのか。  さっきまでその可能性を考えて、北斗が遠く離れて行きそうで、暗く沈みがちだった。  だけど、今は不思議にも焦りや嫉妬を感じない。  それどころか、彼らに北斗を正当に評価して欲しいとさえ思っている。  技術だけじゃなく、門倉さんと対等に渡り合える輝きを北斗は確かに持っている。  それがこの先どんな影響を及ぼそうと、そんな未来の心配よりもっと大切なものがあると、あいつ自身が教えてくれた。 『……スランプでもいい、甲子園…行きたかった』  本音を吐露した俺に、北斗は否定じゃなく肯定の言葉を使った。全てを承知した上で。  だから俺も、北斗の本心を返すしかなかった。 『もしか見に行けても、北斗は……喜ばないよな』  それが嘘偽りのない気持ちだって事、俺が一番よく知ってる。  剣道を選び竹刀を扱う俺を最高に綺麗だと言ってくれた北斗にとって、いくら全力で戦い負けたとしても、その後甲子園に応援に行くような俺じゃ、駄目なんだ。  二日目の最終戦、芦屋さんとの一戦で零れた涙は、その事にぎりぎり気付いたから。  北斗は最初から、俺の客席での応援なんか望んでも期待してもいなかった。  結城キャプテンが開会式の第三試合のくじを引き当ててしまった時点で、初戦の日の俺の甲子園での応援は諦めていた。  それが叶うのは、自分達が明峰に勝利した後、二回戦からだと知っていたんだ。  俺には大会最終日、あいつらは大会初日。  どう考えても不運としか思えなかった俺とは真逆の結論を、北斗は出していた。  競技種目の違いも、遠く離れた試合会場も、あいつには関係ない。  同じ日に、互いにとってもっとも大切な試合が重なる可能性が見えた時から、お互いが、それぞれの会場で、共に最後まで全力で戦い抜く事。  それだけを望んでいた。 『瑞希が勝つ方が嬉しいし、誇らしい』  あの時の言葉の意味とその重みが、胸の奥に静かな自信となって満ちてくる。  全国大会、個人戦二位。  優勝はできなかったけど、相手の人はこれから先も剣道界に君臨し続けるような、本当に強くて、大きな人で……負けた事に後悔なんか少しもない。  そんな凄い人と一度でも竹刀を交える事ができたのが、最高に嬉しい。  そこに辿り着き、その人の前に立てた自分が誇らしいと、増長でも誇張でもなく、素直に思える。  その想いも、北斗は一番にわかってくれるはずだ。   そう思い、今まさに激闘を繰り広げている目の前の北斗を見つめた。  今、門倉さんが何球目を投げているのか、全然見当もつかない。  捉え損ないの鈍い音が何度もグラウンドに響き、その都度スタンドがざわめく。  そして――  ボックスに立つ北斗の後姿に、西城の学生の間から『北斗』コールのウェーブが起きた。  次第に大きくなるその呼び声が、グラウンドにこだまする。  背を向けていても、きっとしっかり聞こえている。  ありったけの力でぶつかれ、北斗!  この甲子園で門倉さんに挑むチャンスは、これが最後だ。  力を込めて見つめるその先で、北斗が渾身の力をバットに託し振り切った。  何球目かはもとより、どんな球種だったのかも皆目わからない。  だけどそれは、間違いなく北斗の出したバットの真芯に捉えられた。  久々に聞いた快音。  気持ちいい音を響かせて飛んだ打球が、北斗らしく内野手の間を痛烈な当たりとなって悠々抜ける。  ライト前へのヒット!  懸命に走る北斗に、県大会で見せた俊足の冴えはない。それでも一塁を蹴り、二塁を狙う!  無茶だっ!  咄嗟にそう思い、もう一人のランナーに気付いた。  松谷までが三塁を回り、ホームに向かう。  確かに際どいタイミング。普通なら山崎のバットに後を託すところだろう。  けど、今日の彼のバッティングはダイジェストで見た限り、門倉さん相手にはよくなかった。  それに、北斗の体力の限界を知ってるんだ。  なら無茶は承知で同点に賭けようとしている。だから北斗も走った。  どれほど疲れていようと、あいつの判断力は低下していない。  こんな時でも、一番最善の選択ができる奴なんだ。  二人の強引な走塁に、明峰のライトを守る選手がすばやく捕球し、迷う事なくホームに投げた。  十回裏の、硬くなってもおかしくない場面なのに、その動きには微塵も迷いや動揺を感じられない。  それも明峰の強さ。  どんな場面でも対処するだけの力を備えて、この地にいる。  だから、強い。  頭から本塁に突っ込んだ松谷と、返球を受けたキャッチャーとが、ホームベース上で激突した。  ミットに収まったボールは――こぼれなかった。  ホームを死守したキャッチャーが、固く閉じたミットを高く掲げる。  ベースの上に身体を預けた松谷も、主審を見上げる。  判定は!?  静まり返った会議室。  北斗が打席に立ってから誰も、一言も口を利いていなかったと、今更ながら気付いた。  そして―――  画面の向こう側で、二度繰り返されたジェスチャーを、言葉もなく見つめた。 『ランナーアウトッ! アウトです!   西城の松谷君、その俊足も一歩及ばず、昨年度優勝校の明峰が、初戦かろうじて逃げ切り、長い長い激闘、白熱した試合にようやく終止符を打ちましたっ!』  ジャッジが下された瞬間、球場だけじゃなく会議室の時までが止まった。  すぐに大歓声がライトスタンドで起こり、守備に散っていた明峰のレギュラーが、ベンチの控え選手が、一斉にマウンド上の門倉さんの元に集まり、団子状になって喜びを分かち合う。  日の暮れかかった甲子園の空に、勝ち鬨の雄叫びが高々と響いた。  俺達は、激戦を制した勝者の雄叫びを、喜びに沸く明峰の選手達を、黙って見つめる事しかできなかった。
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