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 アタシは猥雑な街の猥雑な通りで猥雑な飲み屋をやっている。  今はきっと、こんな表現を使ったら怒られるのだろうけれど「オカマのママ」が売りの小さなスナックだ。  ――「オカマ」というのはアタシの世代では普通に使われていた用語だったのだから、もうなんだか肌から吸い込んだそれが、アタシの性根のところにまで染み着いてしまったような気がする。今更のように「オネエ」だの「ゲイ」だの「性同一障害」だのレッテルを塗り替えられたところで、根っこのところでアタシが自分を「オカマ」だという認識を持ってしまっている事実は変わらない。コロコロと世間からの呼び名が変わる度に、なんだか臭いものに蓋をされているような偽善じみたものをアタシはいつも感じてしまう。カタカナ名の本質が良く分からない政策だとか打ち出されたりした時は、特に。  一時期それこそ一瞬だった日本経済の黄金期には、それなりの大きな店舗でショーや出し物なんかを売りにしていた店の主だったこともあるのだけれど、なんだかああいう馬鹿騒ぎは趣味に合わないなァ、と思っていい加減のところで店を畳んでしまった。周囲の人から頻りに勿体無いと言われたけれど、関わってくる人数が多くなればなるほど、アタシの方の私生活が削られていったし、スタッフも――店主からして「オカマ」なんだから、それこそ色々と抱えている者たちばかりで、人が寄り集まったところに出来る人間関係のいざこざの責任までを取らされるのに、かなりうんざりとしてしまったというところもある。それから規模をどんどん縮小して、今のスナック「うつつはゆめ」を経営するようになった。  浮かれた世間に乗っていたあの頃より、落ち着いた良い店だと思う。それはアタシが年寄りになったせいだから思うことなのかも知れないけれど。水商売や飲食業が難しいと言われるこの世の中で、常連さんやら何やらに支えられて、なんとか一人食っているだけでの食い扶持は稼がせて貰っている。 「ねぇ、ママ」 「なァに」  声を掛けられて視線を向ければ、そこにはつるりとした肌の若さが眩しい女がいる。化粧っけが無いのに、瑞々しい肌。染めてもいない髪は真っ黒で、それを前下がりのボブにしている。じゃらじゃらと飾りたてたお洒落をしていない、いたって簡素な格好が、若い女だというのに――少年みたいな清涼感を与える。手には半分ほど飲み干したビールのグラスが握られていた。  常連の、長く続く劇団の座長が「新人だ」と言って、この間――連れてきたコだ。名前は確か、雫。苗字は知らない。相手だって、アタシのことをスナックのママ(男)ぐらいにしか認識していないだろう。それにしても、最近のコで――物怖じせず一人で、またこの店に来るコというのは珍しい。最近のコは、そもそも、あんまり飲みにも出歩かないようだ。仮に飲みに行くとしても、スナックなんて選択肢の外にあるらしい。確かに、スナックなんてちょっと以上に敷居が高いだろう。狭い店は、自然と店員と客の距離が近くなる。だから会話をせざるを得ない。同年代がやっている店ならともかく、明らかに年上がやっている人間――それも性別不明の――の店でなど――空気の読める最近の若い世代は却って気を使って飲めないのだろう。それなら安い酒でも買って、気の合う仲間とスマートフォンで繋がったりながらお喋りに興じる方がよっぽど楽に違いない。  それだというのに、このコはなんの躊躇も無く明るい声で「こんばんは」と告げて、爽やかに席に付いていた。  ちょっと珍しい感じに、肝の据わったコだなァ――と思って眺めていると、悪戯げにニコリと笑って女が言う。 「私のお母さんになってくませんか?」 「――はァ?」  何言ってンのかしら、この娘。  胡乱な視線を向けるアタシの視線に、雫はニコニコと翳りのない笑顔を見せた。
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