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映画館デート
会社の昼休み、俺はうっかり見てしまった映画広告のキャッチコピーに、まんまと引っかかっては泣きそうになっていた。
……『母をたずねて3万歩』とか……どんだけ微妙な距離にいたんだよ母親。時間にして徒歩で約1時間ちょいだろ。小学生の息子には長い距離かもしんないけどさ、……いや、違うか。微妙な距離だからこそ息子が会いに行こうって頑張って、初めて1人でバスに乗ったり、怖い犬に吠えられてもめげなかったりして、そうやって奮闘する姿が感動するんだよなぁ。
想像しただけで胸がキュンとして、目頭が熱くなる。
俺はコンビニ弁当を食べながら、スマホで最新の映画情報を見ていた。俺の趣味は休日に映画を観る事だが、新しいやつは映画館に行かないと観られないので、こうして観たい映画の情報だけを予め下調べしておくのだ。……もちろん、映画館で観られたら良いのだが、なんせ涙腺が決壊しやすいのだ。いつ涙の洪水が起こってもおかしくないので、1人こっそりと部屋に籠もっては映画館での上映期間を終了したものを観ていた方が楽と言うもの。
この映画は要チェックだとページ保存しようとしていたところで、昼休みにも関わらず仕事を持って来るバカが居た。
「鬼島さん!お食事中すみません。仕事が1つ片付いたので、後で良いので確認してもらえませんか?」
見えない尻尾をぶんぶんに振り、真城は1枚の資料を差出しながらそんな事を言う。それに対して俺は、涙を我慢するのと同時に不機嫌なフリをして眉間に深いシワを寄せるのだ。
「……真城、仕事熱心なのは良いが、休み時間はしっかり休め。……あと、相手の迷惑も考えろ」
だが、そう注意しても彼は悪びれた風も無くふざけた事を言ってのける。
「ええー、だって早く鬼島さんに褒めてもらいたいから……。あと俺、鬼島さんにしか迷惑かけませんよ?」
「……何だって?」
「だって俺、鬼島さんともっと仲良くなりたいって思ってますから」
……やっぱりコイツ、怖いわ。最近の若いヤツは皆こうなのか?
ニコニコと笑う真城の手からとりあえず資料を受け取ると、俺は彼を追い払うようにしっしっと手で払った。
「……はぁ。今回は受け取るが、次からは昼休みに入る前に持って来い。ほら、さっさと休憩に戻れ」
だけどやっぱり俺の言葉は無視されて、真城は俺のスマホをひょいと覗いては「あっ!」と声を上げる。
「鬼島さん、その映画……観に行くんですか?」
「は?あ、いや……まだ観るつもりは無いけど……」
「俺もそれ、観に行こうと思ってたとこなんです!良かったら一緒に行きませんか?友人に割引チケット貰ったんですけど、一緒に行ってくれる人が居なくて」
苦笑いをする真城に、俺の心は少しだけ揺らぐ。
そりゃ映画好きとしては、ちゃんと映画館で観たい。若い頃は大丈夫だったが、涙腺が緩くなったと自覚してからは余計に我慢するのが難しくなっていたのだ。
一度、それでもいいやとハンカチ持参で映画館に行った事もある。でも、そこで大号泣してるところをたまたま隣りに座っていた子供にガン見され、そういう所へは来れなくなっていた。
……映画館、久しぶりに行きたいな……。それに割引チケットか……。
真城には俺が泣き虫だってバレている。しかも週末にはあんな事があった訳で……。
あの夜、俺は酔っていたのもあるし、今回の事は水に流して欲しいと真城に頼んだのだ。彼は最初「ええー!俺やっと鬼島さんと距離が縮まったと思ってたのに!」とうるさく食い下がっていたのだが、仕事に支障をきたすからと無理矢理納得してもらったのだ。しかしそれからも真城の態度は変わる事無く、このように何かとちょっかいを掛けて来る。
真城の気遣い上手のおかげで気まずくはなっていないから、平気っちゃ平気なんだけど。
大好きな映画と言うのもあり、俺は悩みに悩んだ末「……じゃあ、今週末に……」と、またしても誘惑に負け、彼の誘いに乗るのだった。
土曜日。真城と駅前で待ち合わせをし、少し早く着いてしまった俺は、何となく近くの店のショウウィンドウに自分を映しては前髪をいじってみる。普段はワックスで固めている髪も今日はおろしているし、変じゃないかなとか、俺だって分かってもらえなかったらどうしようとか考えてはソワソワしていた。
……べ、別に真城と出掛けるのが楽しみとか、そんなんじゃないし。これはアレだ。久しぶりの映画で、また大号泣してるところを他人に見られないようにしないといけないって、それが心配で落ち着かないだけだし。
真城はまだ若い。新卒入社で、確か今24か25歳だろう。俺は今年で37歳だから、10歳以上離れてるのは確かだ。そんな若者と一緒に出掛けるなんて初めてだから、そりゃ緊張もする。
そうこうしていると、ふとショウウィンドウの中にこちらへ向かって走って来る人影が映り込んだ。俺はそれがすぐに真城だと気付くと、振り向いてはぶっきらぼうに手を挙げていた。
「真城!」
「あ、鬼島さん!すみません、お待たせしました!……って、鬼島さん!?」
笑顔で駆け寄って来たと思ったら、俺を見るなり彼の表情が一変する。
驚いたように目を丸くした真城は、俺の両肩を掴むとベタな驚き方をするのだ。
「ビックリしたぁ!髪おろしてると会社でのイメージと違いますね!似合ってて可愛いです!」
「か、可愛いって……だからそれ、やめろってば。目上の人に対して失礼だぞ」
「勿論分かってますよ。この前も言ったと思うけど、俺は鬼島さんにしかこういう事言いませんから」
「……何で?」
「え、分からないんですか?もしや鈍感?」
真城は困ったなぁと漏らすが、俺の耳元に口を寄せると、小さな声でその理由を教えてくれる。
「……俺、鬼島さんの事狙ってますから」
「!?」
くすぐったい言葉に思わず赤くなり、彼から距離を取ろうと身を引いた。すると真城も手を離し、動揺する俺を見てはニッコリと微笑む。
「……驚きました?」
「お、驚いたって言うか……意味分かんねぇし」
「そうですか?まぁでも、覚悟しといてください。必ず落してみせますので」
おいおい、マジかよ。この男正気か?
何でここまで好かれてるのか分からない。一度寝たからか?チョロいとか思われてる?
俺が警戒心丸出しで顔をしかめると、真城はすぐに話題を変えるように俺の手を取り歩き出した。
「さぁ、時間も無いですしさっさと行きましょう!」
「うわっ、こら!手を離せ!」
「いいじゃないですか。誰も見てませんって」
「そういう問題じゃなくてだなぁ!」
ダメだ。聞く耳も持ってくれない。
俺は半ば引っ張られるようにして、そのまま彼に映画館へと連行されたのだった。
俺達の観た映画は、親子連れを中心に思った以上に観客が多かった。座席はなるべく後ろの方を取っていたから普通にしていれば俺が泣いても誰も気付かないだろう。それに、今回はハンカチでは無くフェイスタオルを持参して来たから、もしもの時はこのタオルで顔全体を隠してしまえば良いと思っていた。
そして上映中、このタオルが良い仕事をしてくれる。
やっぱり感動モノの映画では人一倍泣いてしまうらしく、その度にタオルで顔を隠しながら涙を拭っていた。真城も最後まで何も言わないでくれたし、気を遣わないで良いから集中して観れたのは本当に良かった。
……真城となら、また映画館に来てもいいな。
俺は巨大スクリーンに流れるエンドロールテロップを見つめながら、映画の余韻に浸ってはまだ引っ込まない涙を拭っていた。周りはまだ暗かったが、その頃からチラホラと観客達が席を立ち、出入り口へと向かい始める。
と、俺はここで重大なミスを犯したと初めて気が付いた。
映画を観ている最中は後ろの席で良かったが、上映が終わると皆後ろにある扉から帰るのだ。その際に、俺がタオルを使って涙を拭いていたら目立ってしまうのは避けられない。
ど、どうしよう……。エンドロールも終わってしまう。館内の電気が点いたら、ここに居る全員に泣きはらした俺の真っ赤な目と鼻を見られてしまうではないか。
そう思った時だ。急に視界が暗くなったと思い顔を上げると、俺の頭の上に上着が被せられていたのだ。そして真城に肩を抱き寄せられると、そこから更に、頭も抱かれる。
「……っ、ま、真城……?」
「しっ。……電気点きますから、大人しくしててください。泣いてるとこ、他人に見られたくないでしょ?」
「……そう、だけど……」
「全員外に出たら教えますので、それまでは我慢してください」
そうやって小声で話す彼の配慮には俺も有り難いと思いつつ、ちょっとだけキュンとしたのは言うまでもない。
……何だよ、真城のクセにカッコつけやがって……。と言うか、コイツの心臓の音、凄いな。
抱き寄せられた胸の中、俺は彼の鼓動を聴いていた。平気そうに見えて実は緊張していたのか、その音はまさに早鐘だった。
俺は真城の合図があるまで、心地良くなり始めていたその音に暫く耳を傾ける事となる。そしてちょっとだけ、まだこの時間が終わりませんようにと、心の隅っこで思っていたのは内緒だ。
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