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「ねぇ、覚えてる?」
とても、綺麗な顔をした男の人だった。
そう口にしたのは、おそらく私に向けてだと思うけど、私は彼に心当たりがない。
ウエーブのかかった黒髪。前髪はオールバック。
美しい瓜実顔で、目元は切れ長で鼻筋もスッキリ整っていて、カタチは良いけど薄い唇は何処か冷たさそうな印象だった。
でも、間違いなく、イケメンには間違いないし。
見つめられるとドキッする様な魅力的な人だと思った。
「貴方は?」
私の質問に、男の人はニッコリと微笑んで、私の首に両手をかけた。
両の掌で私の首をがっちり抑え込んで、力を籠める。
手の力で肉が骨に食い込んで痛い、血流が悪くなって、息はしてるのに息してもしてないみたいに息苦しい。
顔の表面が膨れる様な痛みが走る。
頬骨も目元も、おでこも、まるで割れる寸前の風船になった気分だ。
「あっ……っく……は」
私は、命乞いがしたいとか、苦しいとか、そう言うんじゃなくて。
ただ、生理的に発せられるままに、口から漏らした。
「俺の事、そんな忘れ方するなんて」
よく意味が分からなかった。
でも、刻々と近付いて来る、死の予感を前に私は記憶を取り戻しつつあった。
そうだ。
私は。
彼の教え子だったんだ。
高校生の時、目の前にいる一年先輩の憧れの彼に、絶対、彼が現役合格した大学に合格して、上京すると約束したのに。
私は、高校3年の秋に、交通事故に遭って、目を覚ました時に、私の事を心配して病院にお見舞いに来てくれた、彼のお兄さんと結婚する事になったんだ。
え、ああっ!
うそ!
ああっ!
「ぐっ、あっ……ん」
私は、全速力で、息が上がったのに、まるでそのまま駆け抜ける様に増長する苦痛と窒息感に絶望しながら。
自分の人生を振り返った。
彼と同じ大学に入学出来たら、付き合うって約束をしていた。
いつか、結婚しようとも。
キスもしたし、大学卒業したら、一緒に住もうって。
子供が出来たって、構わないって。
なのに、受験が始まる前に。
事故で記憶喪失になった私は、彼の兄の好意をすんなり受け入れ。
キスもしたし、身体もすぐに許してしまった。
プロポーズも即OKして、明日の卒業式の後、婚姻届けを出しに行くはずだったんだ。
私、彼の兄の子を妊娠していたから。
『ねぇ、覚えてる?』
と彼は、聞いた。
答えは、ノーだ。
でも、 ただ。
「ねぇ、覚えてる? 愛してた……」
もう、気絶する寸前だったと思う。
急に、彼は私の首を絞める手を緩めてそう呟いた。
私も、愛してた。
今も、愛してる。
記憶がよみがえった瞬間、それまでの彼の兄との恋愛が、ガラクタに思えてしまう位に。
だから、私はこのまま、死んでしまいたかった。
「……」
今更、何を言っても、仕方ない。
だから、私は彼に『約束も、愛してたことも、忘れてた』と心の中で呟いて目を閉じた。
※※※
翌朝、私はベッドで目を覚まし、自分の傍らで何らかの方法を用いて息を引き取った彼を見つけて、嬉しくなった。
私はそっと、クローゼットを開け、着物の帯止めに使う紐を見つけ出すと、それをベッドサイドにくびりつけた。
そして、彼の隣で、幸せな気持ちで自分の首を絞めて眠った。
もう二度と、物言う必要ない様に。
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