察人のパラドクス

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察人のパラドクス

出張から帰ると家に見知らぬ女子高生がいた。ラノベのような話だが本当だ。私が警察を呼ぼうとすると妻の声で「やめて、私よ」という。ますます怪しからん。本当に通報すると真夜中なのに白バイが駆け付けた。そしていろいろ事情聴取のあげく、本当に妻だとわかった。「DVでご主人を訴えますか?」警官が妻に確認したので私は平謝りにあやった。土下座も繰り返してようやく許しを得た。説明によると妻はエステ通いを始めたそうだ。効果てきめんで驚くほど若返った。それでつい昔の自分を思い出した。思い出に保存してあったセーラー服を着てみたところ病みつきになった、という事らしい。 「君は私の居ぬ間にそんな趣味を楽しんでいたのか?」と諫めると「いいじゃない。お金がかからないし。貴方だって出張にかこつけて地元の新鮮なお魚を毎日食べ放題じゃない」 ぐうの音も出ぬ。日当とは別に毎日三千円の食費が支給される。それでプチ贅沢を楽しんでいた。 「しかしお前だって美容に贅沢してるじゃないか」 「あら、貴方の千倍は質素よ」 そんなバカな。月額百円で利用できる日焼けサロンがどこにある。 彼女はウソをついている。おおむねエステとは名ばかりの夜業だろう。そう判断して警官に「この店を摘発してください」と訴えた。すると「誣告罪(ぶこくざい)になりますよ」と叱られた。警察は何でも知っている。合法の店を通報すると罪になるそうだ。とまれ、この一件で夫婦間の溝は深まった。 私は逃げるようにして出張した。いや、正確には出向だ。海を隔てた大陸の現地法人で勤務できるよう会社に泣きついた。 ZOOMに映る妻は日に日に若返っているようだった。顔は黒ずんでいるがうるおいがある。どうせ家計簿に高い化粧品を計上しているのだろうと勘ぐった。私の悪い癖だ。するとエステサロンから嫌がらせみたいに明細が届き始めた。高価な施術や化粧品の類がぜんぶ棒引きしてある。お試しキャンペーンにしては気前が良すぎる。私はこちらの女性社員に明細書を鑑定させた。ほぼほぼ納得のいくサービスだそうだ。今はコロナでどこも必死なのよと彼女は言う。 なるほど。それでもところがほうれい線が消え三段腹がひっこみ、とうとう妊娠線が消えるに至り、やっぱりおかしいぞと感じた 帝王切開の縫い目が痛々しい。 私は残念ながら一人目より妻の命を優先せざるを得なかった。そういう事情もありお互いに距離を取っている。 そうこうするうちにどう見ても十七、八の女子高生と見分けがつかなくなった。 ますます怪しい。私はオンラインで探偵を雇った。そして尾行をさせた。 開始から一週間後、中間報告が届いた。 びっくりした。 『調査費用は全額お返しします。ご依頼はキャンセルとなります。こちらの 一方的な都合ですので手数料はいただきせん』 どういうことだね、という私の問いに「ZOOMではお答えできません」と来た。 そこで私は少し手荒な手段に出た。 「契約不履行で君らを訴える。場合によっては妻と君の不貞行為も訴えるぞ」 打てば響くように返信が来た。「こちらも法的措置に着手します。つきましては●月●日に東京地裁…」 私は尻に火が付いたようにビジネストラックで帰京した。勤務先が検査機器メーカーで医療機関にも納品している関係で融通が利く。そして弁護士を交えて会談した。飛沫防止シート越しの妻はますますギャルだ。 「いつから入れ替わっていたのか正直に話してあげなさい」 キラキラ光る観葉植物ごしの日ざしが涙腺を刺激する。 少女は弁護士からハンカチを受け取り目頭を押さえた。 そして、一言。 「ごめんなさい」 どういうことだ。私が噛みつくと探偵が割って入った。 「実は時間警察から今回の御依頼は違法行為であるとお叱りを受けまして…」 西暦2899年。地球から五千光年離れたオオイヌ座のUV星が大爆発を起こした。太陽の二千倍を超える質量が一瞬で圧壊した。その衝撃波はブラックホールを生み出すばかりか半径数十光年を丸ごと破壊した。連鎖反応で強烈なニュートリノバーストが発生し太陽系も焼き尽くした。 人類はひとたまりもない。だが幸か不幸かブラックホールの超重力が地球近郊の余剰次元とやらをゆるがした。この世を構成する十次元の一つである時間軸を少しだけゆがめた結果、人類はタイムマシンを獲得したのだ。予定調和的に数々のひらめきが生まれ、29世紀人は危機と絶望を同時に知った。 オオイヌ座は紀元前に爆発していたのだ。 つまり人類が知らなかっただけで、滅亡は予約されていた。 だが、座して死を待つほど人はおろかでない。 実用化したばかりのタイムマシンを用いてなりふり構わぬ対策が始まった。 その一つが不幸のだ。 「ニュートリノバーストによる放射線被ばく量を歴史上のに公平負担していただくことになりました」 エステサロンの経営者が覆面を脱いだ。顔にやけどのあとがある。彼も29世紀出身だ。 「おお…そんなバカな…日焼けの習慣は君たちの自演だというのか?」 震える私に(つま)がうなづいた。 「他にも数え切れないほど歴史がされました。貴方の奥さんは私が生まれる直前に亡くなりました」 「死んだだと? ピンピンしてたじゃないか。じゃあ、君は何者だ。私の妻をどこへやった」 私がつかみかかると二百ボルトの電流が全身を貫いた。 「いいかげんにしないか! 英雄の父ともあろう方がみっともない」 弁護士はテーブルの上空に時間警察手帳を投影した。 「貴方の妻は助からなかった。だがお腹の子は余人を以て代えがたいと判断された。彼女は救世主たりうるからだ」 首から下の感覚がない。私はどうにか言葉を紡いだ。 「だから誘拐したのか。そして娘に罪滅ぼしをさせた」 「だからごめんなさいといってるでしょお!」 女子高生が席を蹴った。 「君がなりすましたは帰ってこない。人類の趨勢なぞクソくらえだ。私と妻の時間を返せ。私の妻を返せ!」 はらわたが煮えくり返る。妻を見殺したあと平然と本人になりすます。そんな卑劣漢をなどと呼べるものか。 「ちょっとシナリオと違うわ。少しずつ気づかせず一気にバラすべきだった」 娘を自称する女は時間警官に不平を漏らした。 「英雄の父に忖度しすぎましたね。しかし貴方も貴方だ! 赴任する度に女を泣かしてきたでしょう!」 警官が両手を広げると愛人のサムネイルがぎっしり浮かんだ。 それを見て私は猛烈な殺意が沸いた。火事場の馬鹿ぢから的な闘志をかき集め、自称娘の眼球にグラスを叩きつける。致命傷に至らずともにはなる。視覚を失っても命に別条はないといえるだろうか。 「親殺しのパラドックスはあっても子殺しの逆説という言葉はない!死ねえっつ!」 全ての憎しみを私は腕力に乗せた。グラスを一気に振り下ろす。 パン、と乾いた音がした。そして氷水を注ぐような冷覚と鈍い衝撃が胸から全身にひろがっていく。壁が天井になって、テーブルが急上昇して絨毯になった。 私の鼻先に革靴がある。苦しくて声どころか思考もまとまらない。 そしてふわっと生暖かい息が顔にかかった。 「親殺しのパラドックスは継父には通用しないのよ」 薄らいでいく視界の片隅で女は哄笑した。息が苦しい。ごぼごぼと肺が水のようなもので満たされていく。 「じ…じかんけいさつ…のくせに…ひとごろし…なんか」 私の揶揄を時間警官はあっさり否定した。 「ええ、そういうイメージを流布しました。私たち時間警察が」 そして娘が続ける。 「怪しいと思って通い妻めいた潜入捜査をしたけど、あなたはやっぱり我が子に手をあげるろくでなしだった」 「お…おれが…えいゆ…いうのは…ウソだっ…か?」 「容疑者の一人よ。全員自称してる。縁故だけの理想郷を作ろうとしてオオイヌ座を狙撃した。その為に出来たばかりのタイムマシンを奪った。試作型で安全性は保障しないけど」 少女はペロッと舌を出した。人が死にかかっているというのによく言う。 「おま…ははおやだって…うらで…ロクなだんせい…へんれき」 「男運が悪かっただけよ」 娘はすっくと立ちあがった。そしてホログラムをめくった。時間警察手帳には肖像画が載っていた。 「でも私はこうして時間旅行の祖にして守護者になれたの。産んでくれなくてありがとう。おかあさん」 ちくしょうめ。こんなことになるんなら、うわきなどしなければよかった。
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