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本格的に暑くなり始めてきた夏の初め、セミが鳴き出す声と共にあいつはひょっこり帰ってきた。
「お、悠里。アイス? いいな、俺も食べよーっと」
リビングの窓を全開にして、少しばかり冷えたフローリングの床に寝そべりながら、アイスをほおばっていた僕をよいしょと跨いで、あいつは冷蔵庫を開けた。
「アイスアイス……あれ、無い」
「……これ、最後の一本」
僕が食べかけを頭の上で振ると、あいつは残念そうにまじかーと声を漏らした。
「アイス食べたかったなあ……買いに行くかな」
「えっ、あ、ちょっと」
慌てて起き上がり、玄関へ向かおうとするあいつの前に立つ。
「どした、コンビニ行くだけだぞ? すぐ帰ってくるよ」
どいたどいた、と僕を軽くあしらうように手を振るあいつ。こいつは放浪癖があるので信用できない。僕は急いでその場で残りのアイスを口に詰め込んだ。
「僕も一緒に行く。アイスもう一個食べたいんだ」
あいつは目を丸くして、お腹壊すぞーと笑うと、じゃあ行こうかと僕より先に外に出て行った。僕はあいつを追いかけるように外に出ると、玄関にしっかり鍵をかけて、先を行くあいつの隣にいつものように並んだ。
十二分後、アスファルトを焼き始めている太陽を浴びながら歩いて、エアコンの効いたコンビニに辿り着いた僕らは、アイスが並んだ冷凍庫とにらめっこしていた。
「お……なあ、葡萄味出てるぞ」
あいつは嬉しそうに、僕らがよく二人で食べるフローズンアイスの新作を指さした。
「ほんとだ、美味しそう」
僕がそう返すとあいつはじゃあこれにしようと言うので、僕はアイスの袋を一つ掴んでレジへ向かって行った。いつものようにポケットから財布を取り出して会計する僕をあいつは後ろから眺めていた。店員さんに渡されたアイスが入ったレジ袋を渡すと、あいつは嬉しそうに受け取った。財布にレシートやらなんやらを仕舞いながらコンビニから出ると、パリパリと音をさせてあいつがアイスの袋を開ける。
「ほら、悠里の分」
「ありがと」
二つに割ったアイスの片方を受け取って、冷たい葡萄味の塊を味わう。そうして僕らは、互いに味の感想を漏らしたりして、遠回りな砂利道をだらだらと家の方向に向かって歩き出した。
「そういえば、今までどこ行ってたんだよ」
ふとそんなわかりきったことを聞いてみたくなって、僕はあいつにそう尋ねた。
「んだよ、急に。そんなこと去年も一昨年もその前だって、一度も言わなかったのに」
「なんか聞きたくなった、だけ」
あいつはなんだか少し寂しそうな顔をしていた。それからしばらく、僕らは何も話さずに、ただ歩いてアイスを消費した。重苦しい空気に耐えかねたのか、アイスを食べ終えたあいつはレジ袋にゴミを突っ込んで、突然走り出した。
「悠里! 家まで競争な!」
「えっ、ちょっと! 僕まだ食べ終わってないんだけど!」
右手に掴んだレジ袋を揺らして、早く来いよーと笑顔で先を走る姿はいつものあいつのようで、僕は少しほっとした。僕は急いで残りを流し込むと、待てよーと声をかけながらあいつの背中を追いかけた。思いのほか、あっという間に追いついてしまって、あいつは隣に並んだ僕に悔しそうな顔でずるいぞ、と言った。僕は伸びた足を見せつけながら、得意げに笑ってみせた。あいつは更に悔しがって、僕の前へ前へ行こうと走る速度を上げて、僕もそれに負けないように全力で走った。そうして二人とも汗だくで息を切らしながら家に帰ったものだから、既に帰宅していた母が僕らを見て驚いて、早くお風呂に入ってきなさいと優しく笑ったのだった。
僕らがお風呂からさっぱりして出てくると、母いつもより早めに夕飯の用意を始めていた。今日はきっとご馳走なのだろう。手伝うよと台所に入った僕を母は、今日はいいから、久しぶりにお兄ちゃんとゲームでもしてきなさい、と追い出した。僕は母の言う通りにすることにして、リビングのソファーでくつろいでいるあいつに話しかけた。
「夕飯できるまでゲームしよう、今日は手伝いいらないって」
「まじ? なにからする? 新しいの買った?」
あいつはテレビ台の下からゲーム機とソフトが入った箱を引っ張り出すと、一つ一つパッケージを眺める。僕はその間にゲーム機をテレビに繋いでおく。まだ動くのかなあと適当なソフトを入れて起動してみると、ガタガタと歪な音を鳴らしながら動き始めた。
「……なんかやばい音だな」
ソフトを探す手を止めて、あいつはゲーム機を見つめる。
「仕方ないさ、もうずいぶん古いから」
「まあ、そうだけど」
やがて、やっぱ最初はこれかなとあいつが取り出したのは僕らが大好きだったレースゲーム。早速セットして電源を入れ、コントローラーを握る。それぞれいつも使うお気に入りの車を選び、コースを選択して走り始めた。コースがカーブする度二人で体を一緒に傾けながら曲がる。母は台所のカウンターからそんな僕らを眺めているのか、後ろからくすくすと笑う声が聞こえていた。
僕らが三つのコースを走り終わったころ、丁度父がただいまと帰ってきた。テレビの前に並んで座る僕らを見て、父さんもやりたい、と言い出すので仕方なく僕が代わって、食卓にお皿を並べ始めた母の手伝いをすることにした。コントローラーを手渡すと父は僕の頭を撫でて、少し悲しそうに笑った。
二人がゲームをしているのを眺めながら、母と夕食の用意を済ませると、母が後ろからご飯ですよと声をかけた。今日の夕飯は僕の予想通り、ご馳走だ。あいつの好きな料理が並ぶテーブルに着き、皆でいただきますをする。
「今日はいつ帰ってきたの? いつも朝には帰ってくるから、帰ってこないのかと思った」
「あー、今日ちょっと寝坊して」
「ふふ、向こうでもお寝坊さんなのね?」
「母さん、向こうの話はあんまり」
「あ、そうだった。ごめんなさい」
「まあ、こんくらいは大丈夫」
「そうだ、今年は何がしたい?」
「俺今年は家でゆっくりしたいな。久しぶりに誠とかと遊びたいし、行っていい?」
「誠君って、哀川さんとこの?」
「うん」
「行きたいなら僕付き合うよ」
「お、悠里も一緒に遊ぶか」
「悠里が一緒なら安心ね、行っておいで」
「よっしゃ」
こうして、僕らはいつものように家族の会話を楽しみながら夕食を済ませ、少しだけゲームの続きをした後、僕はあいつと一緒に床に入った。ずっと仕舞ってあった布団からは押入れの古くさい匂いがして、僕は何だかここが自分の家ではないような気がした。隣の布団ですうすうと寝息をたてているあいつは、もうこれが家の匂いになってしまったのだろうか。そんなことを考えてしばらくうとうとして、まどろみの中で小さな影がごめんな、と僕に言った。僕は言葉の意味を考える間も無く、意識を夜へと手放した。
次の日、朝起きると隣の布団はもぬけの殻で、リビングへ行くと母と父が静かに泣いていた。僕はそれを見て、ああ、今年が最後だったのだと思い出した。もうあいつに会うことはこの先一生ないのだ。しかし実感なんて、あいつが最初にいなくなった時と同じようにまるで無くて、もしかしたら今朝だってどこかに出かけていて、昼にはひょっこり帰って来るかもしれない。そんなことを考えたが、あいつがもう帰って来ないことなんて僕はわかっていたし、母も父もきっとわかっているのだろう。僕のたった一人の双子の兄であるあいつは、六年前同じように突然ふらりと、この世から姿を消したのだから。
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