カセットテープ

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 私はグラスの中に残っているビールを飲み干して独り言をつぶやいた。 二十代から働いてきた会社を退職して、これからどう毎日を生きようかと途方に暮れていた。これまで仕事が中心の生活をしてきたのに、年齢で急に仕事から退くことになると、どうやって一日を過ごせばいいのか分からなくなる。読書は好きだが、読み続ける体力が減っている。学生の頃よりは多少お金はあるので旅行もいいとは思いながら、あの頃のように純粋に新鮮な感覚を持てるだろうかと不安になる。 結局、私は家の周りを散歩して、二羽の雑草を抜いて車の掃除をする生活を送っている。それでも陽が落ちるまでは永遠かのように訪れない。妻は新しい趣味の手芸や近所の友人と旅行に行ったりして楽しそうだ。女性はいつになっても新しいものを見つけてくる。妻が生き生きとしているのは私にしてもうれしいのだが、当方はただ死を待つだけの日々を過ごしていた。 そんな時にこの同窓会の案内が届いた。これまで何回かあったらしいが、私は仕事や家庭の忙しさを言い訳にして『不参加』にマルをするどころか、提出せずにそのまま捨てていた。高校ならともかく、中学生の頃のことは仕事をするにつれて記憶から排除されていった。しかし、今の私にはその催しさえも一日の空きを埋める貴重なもののように思えた。なので、私は初めて『参加』の周りをまるで囲んでポストに投函した。 「下田君?」  そう言って私のもとに近づいてくる女性は細身で黒のシックなドレスに身を包んでいた。シンプルな中にも時計やイヤリングなどのアイテムがおしとやかにおしゃれを醸し出している。眼鏡のフレームで見えづらかったが右目の目じりにほくろがあった。しかし、誠に申し訳ないが私の記憶に目の前の女性はいない。 「ああ。あなたは、えっとお……」 「田沼よ田沼。田沼貴美子。今は木下だけどね。三年生の時委員長していたんだけど覚えてない?」  ほくろのある部分を人差し指で掻く目の前の女性、田沼と記憶の片隅にある中学生時代を照らし合わせる。セーラー服の少女が教卓の前できびきびとクラスをまとめている映像が浮かんだ。その子は右目にほくろがあり、その箇所を指でかいている。 「ああ、田沼さんか。あの頃の記憶しかないからすぐに結びつかなかったよ」 「そんなこと言って、老けたとか言うんじゃないよね」 「そんな。それを言うならお互い様でしょ」 「それもそうね」と田沼は鼻の下を指で押さえてくすりと笑う。 「それで、下田君はご結婚されているの?」 「ええ、三十の時かな」
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