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ジィーと耳障りだけども懐かしい無音が終わるや否や、テンポのいいエレキの音が流れて三人の女性の歌声が耳元で響いた。流れてきたのはキャンディーズの「春一番」。私も耳に穴が開くほど聴いていた。三人なのに一人のような統一した声から見事なコーラスは当時の私にとって衝撃だった。最近でもテレビの音楽祭でたびたび耳にすることは会ったが、テープ特有の音源で聴くこの曲は私を中学生に戻していった。
昔の曲はおよそ三分程度で終わる。今の曲と比べれば物足りなくなるかもしれないが、これはこれで短い時間で伝えたい言葉が詰まっているので良いものだ。
曲が終わり、次の曲に移るかと思えば聴こえてきたのは少女の声だった。
「下田君、学校で落としたテープを必死に探してたよね。きっと先生から怒られて返してもらったと思うけど、それ私が拾ったの。こっそり下田君に返そうと思ってたんだけど、帰そうとしたときに先生に見つかっちゃって。ごめんね。それでね家に持ち帰って聴いてみたの。そしたら一番初めにキャンディーズが入っていて、下田君この歌好きなのかな。それから私も聴くようになったよ」
黄色い花を咲かせるタンポポのような声が録音されていた。この声には聞き覚えがあった。確かに中学一年生のころ、私は大事にしていたテープを学校のどこかで落としてしまった。必死になって探したがどこにも見当たらず、落ち込んで次の日登校すると、教室の前で鬼の形相を浮かべた体育教師が仁王立ちしていた。テープを見せられてこっぴどく叱られたが、その時の私は怒られて落ち込むどころかテープが見つかったことへの高揚感で目を輝かせて「すみませんでした」と連呼していた。そうか、テープを拾ってくれたのは君だったのか。
懐かしむ余韻もなく、テープは勝手に次の曲へと移る。
二曲目はポップなイントロから始まる桜田淳子の名曲「ねえ気がついてよ」だった。これも私が当時聴いていた曲だ。女性目線の歌詞だったが、にこやかに笑いながら美声を振りまく彼女に陶酔していた。
曲が終わると、先ほどと同様少女の声が聞こえてくる。
「この曲ね、買い物帰りにたまたま下田君の家の前を通ったときに聞こえてきたの。すぐに女の人の声が聞こえてきてね、あれは下田君のお母さんなのかな。『あんた、どんな耳したらそんな大音量で聴けるの、うるさーい!』って、私思わず外で笑っちゃった。下田君が慌てているのが想像できたから。それからかえってさっそく聴いたの。いい歌だね。私のことも早く気づいてよ」
夜の公園で一人、思わず笑みを吹き出してしまった。気づくはずもないじゃないか。あの頃の中学校は十五クラスあって、三年間で友人になる人数よりも顔も名前もパッと浮かばない人の方が多いのに、教室が真反対の気味がいることすらも気が付かなかった。
それから局が二、三曲続いて最後はサザンオールスターズの「勝手にシンドバット」。これは私もよく覚えている。いや、思いだしたのは田沼にカセットテープを渡されたときだからついさっきまで忘れていた。今のように公園で一人、私がこの曲を口ずさんでいたところに君がやってきた。その頃になれば私も君のことを見たことはあったし、少し気になっていた。その子が私に何の用かと驚いていると君は私の隣に座って「下田君、歌好きだよね?」とさわやかな笑顔で聴いてきた。それから君と日が暮れるまで歌の話をした。私が好きな曲を君はほとんど知っていて感動したことを覚えている。今考えたら当然のことのように思える。それでも、当時の私は心が通っているようで心底嬉しかった。
月がきれいに輝くころ、不意に君が「今何時?」と聞いてきた。私は真面目なもので、公園にある時計台で時刻を確かめようとしたとき、君は私の袖を引っ張って唇を重ねてきた。強引なくせに震えていたのをよく覚えている。私も君も、緊張していた。
最後にはもちろん君の声が入っている。
「……本当に急でごめんね。でも、嬉しかった。下田君も私と同じで」
この日から、私と彼女は恋人となった。
私はテープを裏返して再びプレーヤーの中に入れる。A面は『下田君へ』に対してB面は『克己くんへ』だった。
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