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五時半になると、その女は「では、また明日~」と言って
玄関に鍵をかけ、自転車を飛ばして帰って行った。
東吾は、一階に降りた、どの部屋も、ピカピカに磨かれていて
見違えるほど、綺麗になっていた。
いつもの様に、仏壇の前に座った東吾は、「あっ」と言った。
東吾が供えた、菓子と林檎の他に、お茶と、ご飯が供えられていて
花も、白とブルーの桔梗に変わっていた。
そうか、お茶やご飯も供えるのか、初めて知った東吾は
「母さん、気付かなくてごめん」と、謝った。
桔梗は、母の好きな花の一つだ、線香をあげ、凛を鳴らして、手を合わせ
「母さん、あの子、じゃ、また明日って言ってたけど
これから毎日来るのかな~、父さん、あんな若い子と、結婚する気なのかな」
と、聞いてみたが、写真の母は、にっこり笑っているだけだった。
台所に行くと、テーブルの上にメモが有った。
「里芋を煮てみました、良かったら食べて下さい、食べなかったら
鍋ごと、冷蔵庫に入れて置いて下さい」と、書かれている。
コンロの上を見ると、鍋が有る、蓋を開けると
煮たばかりの、里芋の煮っころがしが、湯気を立てた。
美味しそうな匂いに、箸で一つ摘まんで食べてみた。
ほくほくとした美味しさが、口の中で踊る。
「旨いっ」東吾は、食器棚から、鉢を取り出して
鍋の中身を、半分ほど取り分け
「年寄りが、こんなに沢山、食べる訳無いだろ」と、勝手な事を言いながら
二階に持って上がり、レトルトのご飯をチンして、一緒に、もぐもぐ食べる
彼奴の名前、何て言うんだろう?だが、聞く訳には行かない。
そうだ、一日中、ルンタルンタ歌っているから、ルンタって呼ぼう。
そう思った東吾は「ルンタ」と、口に出してみて、くすっと笑った。
翌朝、父は何時もの様に、七時三十分に、仕事に出掛けた。
待っていた東吾は、一階へ降りてみる。
昨日のメモの横に、父のメモが有った。
「里芋、とっても美味しかったよ、君は、料理も上手なんだね。
それに、シーツやカバーまで、洗ってくれたので
久し振りに、お日様の匂いに包まれて、気持ちよく
朝までぐっすり眠れたよ、有難う」と、書かれていた。
「ちぇっ、な~にが、朝までぐっすりだよ」そう言ったものの
東吾も、母が死ぬまでは、お日様の匂いに包まれて眠っていた。
それを思い出して、ちょっとだけ、父が羨ましかった。
ルンタが、いつ来るか分からないので、二階に上がり、ベランダの階段を降り
新聞を取って、今日もじっくり読む。
9時になると、玄関が開き「おはようございます」と、言う声がした。
「来たっ、ルンタが来たぞ」珈琲を飲んでいた東吾は
階下の音に、耳を澄ませる。ルンタは、今日も、仕事をしながら歌う。
「麗しき~桜貝、一つ~去り行ける、君に捧げ~ん」
この貝は~去年の浜辺~に、我一人~拾いし貝よ~」
また、知らない歌だ、何でこんな歌ばかり歌うんだろう。
あの年頃なら、若い男性のアイドルグループの歌だとか
女性たちに人気の、歌手の歌とか、沢山、有るだろうに。
そう思いながらも、その歌に聞き入っていた東吾は
「いけね、仕事だ」と、パソコンの前に座った。
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