26人が本棚に入れています
本棚に追加
「一昨日から、働く事になったのですが
田村さん、どこかへお出かけでしたか?お留守の様でしたが」
「はい、主人と一緒に、湯治に行っていたんです」
何時から働きだしたのかと、聞く前に知った和江は、そう言った。
「湯治ですか?良いですね~で、どこの温泉に?」
「今回は、00温泉に行って来ました」
「00温泉と言えば、温めの炭酸泉だと聞きましたが、どうでした?」
「それが、温めなので、長く入れましてね~湯当たりもしないで
とても良かったですよ」
「まぁ、そうでしたか、私も一度、行ってみたいと、思っているのですが」
「是非行ってみて下さい、近ごろは、お若い方も、随分多いんですよ」
「そうですか、ご主人と一緒だなんて、お二人は、ラブラブなんですね
羨ましいです」「そんな、、」和江は、顔を赤くして
「五年前に、主人が倒れましてね、半身に、麻痺が残ったんですよ。
それには、温泉が良いと聞きまして、行く様になったのですが
一人で行かせられませんし、私は、付き添いと言うだけで」と
弁解する様に言っていると「お~い」と、夫に呼ばれた和江は
「じゃ、また」と、言って顔を引っ込めた。
ハラハラしていた東吾は、花梨の受け答えに、舌を巻いた。
「すげ~あの婆さんに、うちの事は何も聞かせずに、向こうの事だけを
喋らせちゃったよ」それも、何の違和感も無く、いたってスムースに。
あいつ、家政婦だったんだな、だから、五時半になると、帰って行くのか。
再婚相手では無いと知って、ほっとしたが、父は、なぜ今頃になって
家政婦なんか雇ったのか、しかも、あんな若い子を。
やっぱり、母によく似ているからかな~。
だが、父は、殆ど花梨と会う時間は無い、毎日、ルンタ、ルンタと
花梨が、歌っている事は知らない。
庭の手入れをしている事も知らない、知っているのは、俺だけだ。
東吾は、ちょっと、父に対して優越感を持った。
花梨の姿を見るだけで、毎日が楽しい、父の為に作っている
夕食を、こっそり食べる事も、いけない事をしている、子供みたいで
わくわくする、そして、その旨さに、満足していた。
その日は、寿司揚げが安かったからと、山盛りの稲荷ずしが置いて有り
仏壇にも、供えられていた。
早速一つ食べてみる、酢の塩梅も丁度良く
ふっくらと軟らかく煮えた寿司揚げは、甘辛さが、何とも言えない。
「絶品だ!!」東吾は、そう叫び、次々と、頬張る。
頬張りながら、母が、運動会や遠足に作ってくれていた事を、思い出していた「母さん」優しかった母の顔と、花梨の顔が重なる。
「あ、いけね、これ以上食べたらヤバイな」
東吾はそう言って、食べる事を止めた。
稲荷ずしは、もう五つしか、残っていなかった。
最初のコメントを投稿しよう!