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カランカラン。
店の扉に付いているベルが鳴り、男が一人入ってきた。
「……いらっしゃい……一人かい?」
「あぁ」
マリアがいる時間帯はいつも、誰も入ってこない。それはこの街の暗黙の了解。だから、客が来るなんて思いもしなかった為、対応が一瞬遅れてしまった。
この時間帯はマリアが店にいる。アリア・アンセットはこの地の領主の姉。貴族だ。貴族がこんな古ぼけた料理店にいる事自体おかしい事だが、その奇行も常人から外れたものだ。
だから、領民は見て見ぬ振りをしている。この時間帯、この店には近付くなというのはこの地なら子供だって知っている。
決して蔑んだり、見咎められるのが怖いからではない。普段は温厚でこの地に尽力しているマリアへの信頼は篤い。だからこそ、そっとして置かれているのだ。
だから、この時間に入ってくる者と言えば。
「あんた、外から来たのかい?」
「あぁ、東の方からね」
「へぇ……」
東、というと首都のあるスワイル地方だろうか、それともその隣、国境線のあるスワホメイルだろうか。
どうでもいいと思いながら、男を一瞥する。
外からという事は旅をしているのだろう、茶の皮の外套を羽織り、着ている物はどこかの軍服のような意匠のある濃紺の服だ。
あまり外からの人間が来ない田舎の街では珍しい服装だ、もしかしたらこの国の者ではないのかもしれない。
金糸のような髪を肩まで垂らし、顔立ちは整っているが親しみを感じるような温もりは見えない。無表情でいると、まるでマリアが持つ人形のようだ。
「……あっ、おい……」
「構わなくていいよ、直ぐに出ていく」
「……?」
男はそう言うと真っ直ぐにマリアの元へ向かった。
「失礼、マリア・アンセット様でよろしいですか?」
丁寧な口調は、どこか高圧的に聞こえる。だが、マリアはただ視線を一度上向けただけで男の事を無視した。
「トマス・マーモント様の事でお話が……」
初めてマリアの表情が動いた。
この店にいる時は微笑を浮かべ人形と対話をするだけ。感情の起伏を感じさせないマリアの瞳が一瞬揺らぎ、翠色の眼を見開き男を凝視する。
「トマス……?」
「はい、預り物です」
男は腰に巻いている革製の小さな長方形の箱の中から、古びた封筒を取り出した。
元は白だったものが経年により薄茶色に変色した封筒。
マリアの手は震えていた。小刻みに震える手に男は封筒を渡した。
信じられない物を見るような目で、手の中にある封筒をマリアは穴が開くほど見つめた。
褐色の封蝋をなぞる指は、人形の腕をなぞった時に似ている。誰が書いた手紙なのか、その封蝋で分かったのだろう。
「本当にトマスなのね……」
封蝋を砕き封を開けると、中には二枚の手紙が入っていた。同じように色褪せたセピアの手紙を読み始めると、マリアの目には涙が溢れ出した。
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