本編

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どこぞの貴族がうちの家系から嫁を貰わなければいけないらしい。詳しい事情は知らないが、仕方がないので俺が嫁ぐことにした。 「どうも、旦那さま。俺が嫁です。不束者ですがまあ旦那さまのほうもせいぜい俺を持て余さない程度によろしくお願いします」 客間の扉が開く30秒前に考えた挨拶を済ませると、俺に旦那さまと呼ばれた男の表情が固まった。ついでに実家から引っ張ってきた侍従も固まる気配を背後に感じる。まったく俺の倍近く生きてるくせに、ちょっと度胸が足りないやつだ。 挨拶は、先ほど即興で考えた口上にしては上出来だろう。掴みはばっちりのはずだ。 押し掛けた邸の客間に案内されて待つこと30分。 てっきりその場で追い返されると思ったがあっさり入れてもらえたし、会えるなら何時間でも待つつもりでいたところに「喉は渇いていませんか?」「焼き立てのスコーンなどはいかがですか」「この本は王都の若者に人気だと耳にしたのですが、旦那様をお待ちいただいている間にどうでしょう」と何故か至れり尽くせりの対応だ。腰を上げる暇どころか、口を挟む隙すらも与えられなかった。 貸してもらった本を読みつつも自家製だというローズヒップティーと花ジャムがたっぷり乗ったスコーンで腹を膨らませ、ここに来るまでに滾らせておいた怒りが薄まった頃。扉の向こうから足音が聞こえた。 カウントを始めて30秒後きっかりに扉を開いた男は、口を開く前に固まってしまった。その表情のなんと間抜けなことか。込み上げる笑いを隠すことなく口の端を上げて笑うと、男がにわかに頬を赤く染める。 「え、ええっと、君は……」 「セルトー家の人間です。歳は16。俺が一番旦那さまに歳が近いし、当家に俺以外、上は既婚者で下は子供しかいません」 「16だって? 嘘だろう……てっきり……いや、その、十分子供じゃないか」 旦那さまはたっぷり俺を上から下まで見下ろしたあと、小さく呟いた。悔しいが、彼の言わんとすることはわかる。俺はいつも実年齢よりも下に見られやすい。恐らくは、13か14歳くらいと思ったのだろう。 懇意にしている商会から使いが来たくらいにしか思っていなかったのかもしれない。いや、先の丁重なおもてなしを考えれば『権力図をわかっていない豪商のわがままなお坊ちゃんが侯爵家に押し掛けてきた』あたりか? 流石に、俺だってここの家が国内でどんな地位に位置するのかくらい分かってるつもりだけどな。 ここはアルヴァレス侯爵家の邸。世間では豪商なんて呼ばれているが結局のところ平民に変わりない俺が、何の前触れもなしに訪れていい場所ではない。勿論、招かれてもいないなんて以ての外だ。 だが、今日の俺は押し掛けるに値する理由があった。 「嫁を探しているのだと聞きました、俺より下になると6歳の従妹しかいないんだ。だから俺で我慢してくれるよな? じゃなかった、くれますよね?」 何を隠そうこの男がうちの家系から嫁を探しているとかいうどこぞの貴族である。事情は知らないが、知る気も起きない。 「我慢するも何も……」 男は何か言いかけたが、話の途中で口を塞いでしまった。会話を遮ったと言うよりも、こみ上げてきた笑いを隠すような印象だ。しかし、すぐに表情を戻して「いや、この件に関して何の説明も報告も受けていない」と言った。 男の視線が俺に向けられる。値踏みをするよりは、身分が確かなものなのか、もっと言えば俺の言葉に嘘偽りがないかを確かめている瞳だ。猜疑心が滲み出ている。仮にも嫁に向かってする表情かよ。 「ところで、旦那さまがこの家の主で間違いない……ですか。えーっと、初めまして?」 「会うのは二度目だよ。こうして話すのは初めてだが……先日顔を合わせたことがある」 先日。おそらく彼がセルトー家を訪れたのは、俺がどこぞの貴族がうちから嫁を貰わなければいけないという話を聞いた日の前日だ。つまりは一昨日である。あの日は親戚一堂が集められ、本邸はちょっとしたパーティー会場になっていた。 「あの本家パーティー参加者? よく気付いたな、俺からしてみれば親戚一同が集まった場に他人がいたところで気づかないのに」 「……君くらいの歳の子は他にいなかったからだよ」 そうだろうか。俺は彼があの場にいたことに気づかなかったのに。確かに俺と同じ年頃の子供はいないが、そもそも人が多すぎて個別に年齢や顔にまで気が回らないのだ。せいぜい男女の見分けくらいだ。 だが彼の言葉を信じれば、俺たちは顔くらい知っている仲らしい。 どこそこに嫁いだ従姉の一家やら叔父の義娘やらなんて、俺からすればもう他人の括りで違いないはずだ。それでもお祖父様が当主であった頃は、そういう人まで集めて談笑する機会が度々あった。あの人は賑やかなことが好きだったから。 仮にあの場で全くの血縁者じゃない人がいたところで気付かないことだろう。それを逆手にとって一昔前はお祖父様に黙って見合いの場に使われていたと聞いたことがある。 中途半端にセルトー家の奇妙な風習だけを聞きかじって嫁探しをしたのだとしたら、うちから嫁をもらうと言うのもそう突飛な話ではなかった。貴族同士で婚約しないのかできないのか知らないが、平民を選ぶなら少しでも裕福なのを選びたいと考えたのだろう。 これで何故セルトー家が選ばれたのか?という疑問は納得がいった。だが、話は解決しない。 見合いが行われていたのなんて、もう昔の話だ。今は行おうにも若者たちはすっかり売れ切って皆既婚者だし、残っているのは子供だけ。親戚一同のベビーラッシュからずれて生まれた俺と、見合い婚をした親戚たちの中でも一番早くに子供を産んだ夫婦の娘である従妹しかいない。件の貴族……目前の男のことだが、彼はそのことを知らなかったのかもしれない。 「えーっと、あの……?」 「……ん、ああ、すまない。見過ぎた。その、あまりにも貴方がかっこいいから」 ところで、俺は対面の相手の顔をじっと見つめる癖がある。誤魔化すために適当な言い訳を言ったが、男は何とも言えない表情で黙り込むと視線が床に向かってしまった。 しまった、男が男を相手に言っては失言だったか。この程度のリップサービスで気を悪くされても困るのだが。 しかし、俺の心配を良い意味で裏切ってすぐに顔を上げてくれた。愛想の良い笑顔まで浮かべている。 「保護者の方はいるかな?」 「いな……いません。保護者はいないが、本家から俺の侍従を一人連れて来ている。あーもういいや、敬語やめていい?」 「それは構わない」と言うので、寛大なお言葉に甘えてとってつけたような敬語を無くす。元々敬語は苦手だし、俺は好意からここに来たわけではないのだ。相手に敬語を使いたくない心情に引っ張られて上手く喋れない。 取り入りたいわけじゃないし、媚び諂うつもりもない。下手に出る必要もないのだから、初手で力関係を作ってしまう悪手だけは避けたかった。 「俺は御隠居なさった先代当主の大甥に当たる。生憎と三男の俺には継げるようなものは残されていないだろうが、アルヴァレス侯爵家の当主ともなればセルトー家がそれなりの商家と言えどたいした額じゃないだろ」 「それなりとは随分と謙遜したね。セルトーといえばこの大陸で名前を知らない人はいない、僅か0.16%しかいない超富豪層に食い込む豪商じゃないか」 「そんなの、ただ組織が肥大化しすぎただけだ」 実際、甘い蜜を吸えるのは大きな組織の頂点のみ。長子である一番上の兄はいずれ重責と共に莫大な資産を受け継ぐことになるだろうが、俺は何も羨ましくなかった。 「とにかく、俺が旦那さまのものになったところで一切の利益は見込めない。だが旦那さまの望むものがセルトーの血筋のみだってんなら、俺でもここに来る資格があるはずだ」 お祖父様は先代当主から見て一つ下の弟だった。たいへん仲が良かったと聞いている。家系図からすれば枝分かれした分家だが、数ある枝の中でも本家筋に一番近い。彼の望む『セルトー家の嫁』を考えれば条件に最適なのは俺だ。 間違っても、可愛い可愛いまだ6歳の従妹に大人の婚約者を充てがうわけにはいかない。どうにか俺が頑張らなければ、と決意を込め強い瞳で相手を射抜く。男は今度は逸らすことなくじっと見つめ返すと、ふわりと笑った。 「僕が欲しかったものは何も血筋に限ったことではなかったのだが」 「なんだって」 俺じゃ駄目だと言うのか。やっぱり男である以上無理があったか。 養子縁組制度が整備されて久しく、今では同性間の恋愛に偏見があったのは昔のことと言われている。だが、だからといって全ての人が同性愛者になったわけではないのだ。男同士が駄目なら、愚策だがやはり女装でもして来るべきだったか。 「ああ、勘違いしないでほしい。どうかここに居て。僕の欲しかったものは手に入るようだから」 それってどういう意味だ。聞き返そうとしたが、俺が口を開くより先に「それにしても」と男が言う。 「君に旦那さまと呼ばれると擽ったい気持ちになるな」 「……名前を聞いてもいいか?」 「ふふ、本当に名前も知らない人と結婚するつもりだったのかい?」 「教えたくないというなら構わないが」 「拗ねないでくれ。僕はヨハン。君の名前は……」 「俺はリアムだ。では、よろしくヨハン様」 「……その様というのはやめてもらえるかな」 苦笑いする男に右手を差し出すと、同じく右手を差し出された。契約のようなかたい握手を交わす。 彼の名前はヨハン・アルヴァレス。この俺、リアム・セルトーと添い遂げる男。俺たちは結婚するのだ。
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