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 仲原の述べた内容は理解できる。心を荒んでしまい、家に閉じこもって時計を見なくなっても地球は自転を続ける。それと同時に俺たちの時間は刻一刻と過ぎていく。無くなったものは返ってこない。それでも俺たちの時間は過ぎていく。  俺は一体何を失った。郁美が目の前から消えて行く錯覚に騙されている。まだ俺の中では何も起こっていない。失ったという事実もないのに、何故ふさぎこんでいる。俺は自分を欺き、自分を見失い、自分が何であるかを忘れている。 「角田くんの選んだ人生なんだから、その歩みを半端な気持ちで止めてしまうことは良くないよ。もっと明るい人生の道のりを描けたなら違うけどさ」  闇に浮かぶ桃色の唇は柔らかいアーチを描いていた。諭している彼女の表情はアンバランスな調和を保っている。 「まあ、そんな偉そうなこと言ってるけど、私も上手く切り替えなんてできないんだけどさ。でも角田くんは絵が上手だよね。繊細なタッチで緻密な表現ができる。そして描くものに自信を持っている。それなのに辞めちゃうのは勿体無いと思うよ」  仲原が夏休み前の講評会で誰に票を入れたのかはわからない。だが彼女の言い分が本当であれば、きっと俺に票を入れているはずだ。しかし、あの人望だけで評価を得た樋口と彼女は親しくしている。組織票に絡んだ可能性も大いにあるのだ。俺は人を疑ってばかりの悲しい人間だ。
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