当て馬系ヤンデレキャラになったら、思ったよりもツラかった件。

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「どこへなりとも行けばいい。去るものを追ってやるほど、俺はヒマではないからな」  やけに聞き覚えのあるセリフは、たった今、この口から出たものだ。  その瞬間、ぼんやりとカスミがかっていた意識は、パッと己のものに切り替わる。  なんだこれ、どういう状況なんだ?!  目の前には妙に見覚えのある人物が、ふたりならんで立っている。 「ごめんなさい、兄様……でも僕は……」  おどおどとした気弱な態度で、こっちの様子をうかがう黒髪の少年は、今にも泣きそうに見える。  大丈夫だ、なにも気にしなくていい!  そう言ってその華奢な肩を抱き、はげましてやりたくなる。  思わずそんな庇護欲をかきたてられるほどに、弱々しい少年だった。  ───そうだ、この少年はがよく知るゲームの主人公、深山(みやま)夏希(なつき)だ。  病弱だった母を亡くして天涯孤独の身になったところからはじまるそのストーリーは、バイト仲間や中学時代の同級生に後輩、大財閥の御曹司だの社長秘書だのといった、色々な身分の相手に恋愛フラグが立つ、主人公総受けのBLゲームだった。  その夏希に、今俺はなんと呼ばれていた??  ───あぁそうだ、『兄様』だ。  つまり俺は今、そのゲームのなかに出てきた夏希の生き別れとなっていた双子の兄、鷹矢凪(たかやなぎ)冬也(とうや)になっているということだろうか!?  チラリと横目で見た室内に置かれたスタンドミラーには、青いシャツに銀のネクタイを締めた若い男が写っている。  金髪に近い薄い色の髪はきちんとセットされ、涼しげな目もとにスッととおった鼻筋と、人目を惹く程度には容姿がととのっていた。  ───あぁ、この顔、まちがいない。  俺は今、どういうわけか自分がスタッフのひとりとして手がけていた、ゲームソフトの世界の住人になってしまっているらしい。  それも、俺がいちばん嫌いなキャラクターに、だ。  いったいぜんたい、これはどうしたことだろうか?  そう問いかけたくとも、この場にその問いをできるような相手はいなかった。  ひょっとして、これは仕事中に居眠りでもして見た夢だろうかと、そっと自分の手をつねってみれば、おどろいたことにふつうに痛かった。  なんてことだろう、これは夢じゃないっていうのか?!  混乱するあたまで必死に考えてみても、どうしてこうなったのかなんてわかるはずもない。  そう気づいたとたん、ひとまず俺は、ありのままの光景を受け入れることにした。  冬也は、別にそのゲーム内では攻略対象のひとりというわけでもなく、ストーリー上、夏希を保護して様々な攻略対象と出会わせるための足掛かり程度の役割しかあたえられていない、いわゆる名前のあるモブキャラにすぎない存在だった。  唯一ある主人公との絡みといえば、とある攻略キャラルートでバッドエンドになってしまったときだけ、ヤンデレ化して夏希を監禁・凌辱するというものだ。  言ってしまえば、その攻略キャラのメインルートであれば、ていのいい当て馬キャラでしかなく、正直俺は冬也というキャラクターを好いてなかった。  いっそサイコパスみのあるその冷酷な言動は理解に苦しむし、どうしてこんなヤツがいるんだ!とさえ思ったこともある。  だって冬也は、あまりにもおかしい。  さすがはゲームだけあって、現実にいなさそうな盛りすぎ設定もまかりとおるものなのかと思ったものだし。  なにしろ冬也ときたら、若くして眉目秀麗かつ頭脳明晰な大企業のやり手社長と呼ばれ、とんでもない豪邸に住んでいる大金持ちの設定だった。  女性にはモテるが、興味はなし。  己の仕事に役に立つ相手にはいい顔をするが、自分よりも下の人間のことは一切かえりみないタイプで、それでもその圧倒的なカリスマ性でどうにかしてしまえる系の性格破綻者だ。  見た目がよかったからなのか、はたまた中二病をこじらせたような設定なのがウケたのか、ファンからは妙に人気があったせいで、攻略本にはその詳細なプロフィールも載っていたから、それはよくおぼえている。  そこには、『幼いころから大企業のトップに立つものとしての英才教育をほどこされ、両親からの愛情を一切受けずに育った』と書いてあった。  それもそのはず、父親は優秀な跡継ぎだけを求めていて、そのために子どもを産めないからだだった正妻の反対を押し切り、その妹を無理やり犯して産ませた子どもだったからだ。  そして産まれた双子のうち、からだの弱そうだった弟の夏希は実の母親である正妻の妹とともに放逐され、元気だった兄だけがその鷹矢凪家に残されたという逸話がある。  父は子どもを己に都合のよい手駒としてしか見ておらず、母は己の腹を痛めて産んだわけでもなく、まして大事な妹を汚された象徴としか見えなかったときたら、そりゃあもう愛されようはずもない。  おかげで冬也は、性格がゆがみまくり、ヤンデレキャラに成り果てたという設定だった。  その冬也に、俺がなっているなんて……!!  本当に、どういうことなんだ、これ!!?  夢……にしては、やけに臨場感のある場面だ。  目の前でふるえる夏希も、そしてその肩を抱く己の秘書だった白幡(しらはた)の顔も、生々しい。  こちらに向けられる感情も、突き刺さりそうなほどに痛かった。 「あやまる必要なんてないのですよ、夏希さん。こうなったのも、すべて冬也様ご自身の行いによるものです」  そう告げる白幡の声は固く、こちらを見るまなざしは氷のように冷たい。  これもまた、ゲームのなかで見覚えのあるセリフと表情だった。  そうだ、さっきの冬也の捨てゼリフの前には、さんざん白幡によって己のダメなところをあげつらわれ、だからもうこれ以上仕えることはできないと辞表を叩きつけられていたんだっけ。  ゲーム的には、いわゆる当て馬キャラがザマァをされた、スカッとするシーンというヤツだ。  冬也は、それまで白幡と夏希がいい感じになるたびに絶妙にジャマをするヤツだったから、白幡からの三行半を叩きつけられるがごときこの場面は、白幡ルートのクライマックスにおけるメインイベントと呼べるものだった。  そしてこの後の冬也を待ち受けるのは、エピローグであっさり語られて終わる、凋落だけだ。  鷹矢凪家に何代にも渡って仕えてきた白幡家の長男にして、幼いころから己に仕えてくれた有能な秘書、白幡(しらはた)月兎(つきと)に見放された冬也は、自らが経営する会社が倒産し、莫大なる借金をかかえて路頭に迷うという情報だけが語られて終了する。  いわばこの冬也という存在は、この白幡ルートに入ったときにだけ出てくる、完全なる当て馬系ヤンデレキャラであった。 「今までお世話になりました。私の護るべき方は、どうやらあなたではなく、この夏希さんだったようです」 「どこへなりとも行け」  白幡にそう返している己の声は、やはり感情の起伏すらわからない冷たいものだ。  そしてふたりに背中を向けて、興味を失ったかのように窓の外をながめる。 「白幡さん……っ!」 「苗字ではなく、どうか月兎とお呼びください、夏希さん」 「はい……月兎さん……」 「なんですか、夏希?」 「えへ、呼んでみただけです」  背後から聞こえるのは、ラブラブなバカップルのじゃれ合う会話で、本当にどっかへ行ってからやってほしい。  なんて思うこともなく、冬也にとっては一切の興味もわかないことだった───と思い込もうとしたのに。  不思議なことに俺は今、猛烈な喪失感に泣きそうになっていた。  心臓はギュッとにぎりつぶされそうなほどの痛みに締めつけられ、気を抜けばふるえてしまいそうだった。  なぁ、本当はあのとき、ゲームのなかでの冬也も、こんな風に泣きそうだったのか?  胸がキリキリと引き絞られるような痛みに耐えて、それでも顔に出さずにいただけだったのかよ?!  俺はこんなに泣きそうになっているというのに、幼いころからずっと泣くことをゆるされなかったこのからだの持ち主は、こんなときですら涙を流すこともできないでいる。  なぁ、なんて哀しいヤツなんだよ、鷹矢凪冬也という男は……。  家族の愛というものを知らず、あたえられたのは厳しい躾と教育だけ。  唯一己に心をくだいてくれた秘書の白幡にでさえも、『上に立つものは下のものに、弱い面を決して見せてはならぬ』と父から教育されてきたせいで、甘えることもゆるされなかった。  そんな冬也が長じてから知った双子の弟の夏希という存在も、その窮状を知って保護したまではいいものの、どうすることが『甘やかす』ことなのかもわからなくて、ただその世話を秘書の白幡に丸投げすることしかできなかった。  必死に距離を詰めようとしてくれる夏希にたいして、かえせたのは冷たい言葉だけ。 『いっしょにお夕飯を食べましょう、兄様』  そう言って、わざわざ遅くまで食べずに待っていてくれた夏希にかえしたのは、 『だれも待てなど言っていない』 なんていうセリフだった。 『っ!ご迷惑でしたよね。ごめんなさい、兄様……』  そうあやまって部屋へと駆けもどっていった夏希の頬は、涙でぬれていた。  それを目にした瞬間、ズキリと胸が痛んだのをおぼえている。  そばに立つ白幡のまなざしはこちらを咎めるようなもので、冬也にとっても今の態度は非難されてしかるべきだと思ったから、甘んじてその視線を受け入れた。  けれど長年培われきたポーカーフェイスは、その咎める視線すら気にしていないように見えただけらしい。 『あなたという人は……っ!追いかけないというのなら、代わりに私が夏希さんを見てきます!!』  なんて言った白幡が、後を追いかけていってもなお、俺はその場を動くこともしなかったっけか……。  それは仮に自分が追いかけていっても、どうなぐさめていいかだってわからなかったからにすぎないし、白幡のほうがよほど夏希にやさしくできると信頼していたからだ。  決して、そんなことに時間を割くのがもったいないと思っていたわけじゃない。  ちがう、だから夏希の好意は決して迷惑だなんて思っちゃいなかったんだ。  ただ冬也が言いたかったのは、『飯くらい、いつでも夏希の好きなときに食べてもいいんだ』ということだったのに。  あんな風に、迷惑に感じていると言わんばかりの言い方をしなくてもよかったじゃないか!  ここがBLゲームの世界だと認識している『俺』という人格を自覚しているのとおなじように、冬也として生きてきたこれまでの人生の記憶も、自然と浮かんできて、今は己のものだと思えてくる。  幼いころから本当はずっと愛に飢えていたのに、その感情すら自覚することもできないままに生きてきた冬也にとって、家族と向き合うことは己の経営する会社を発展させるよりもよほど難題だったんだ。  やがて室内から出ていった白幡と夏希の気配に、ようやくそこでホッと息をついた。 「~~~~っ!!」  泣きたい気持ちの代わりに絞り出した息は、やっぱりか細くふるえてしまっていた。  本当は、行ってほしくない。  弟の夏希だってかわいがりたかったし、いつも尽くしてくれていた白幡にだって感謝をしたかった。  でもそういうとき、どうするのが正解なのか教えてくれる大人は、冬也のまわりにはいなかったんだ。  窓の外では、見つめ合うふたりが幸せそうに笑いながら車に乗り込んで、そして敷地から出ていくのが見えた。  そうか、今の夏希は幸せなのか。  ならば俺は、これでよかったんだ。  キュウキュウと締めつけられる痛みを訴える心臓は、きっとただの疲れによる体調不良のせいだ。  だからこの、今ツンと痛くなっている鼻の奥も、俺の気のせいでしかないんだ……。  だってもしここがあのゲームの世界ならば、これまで色々とツラい目に遭ってきた夏希も今度こそ白幡と結ばれ、幸せになれる。  白幡にしたって、庇護欲のかたまりのような世話焼きタイプだから、思わず護りたくなるような夏希のそばにいるほうがよほど満たされることだろう。  そして夏希も。  白幡ルートがあのゲームにおいては、いちばん甘くて幸せで、ファンにも好評なストーリーだったわけだし。  そのシナリオを書いたの先輩も、鼻が高いって言ってたっけ……。  コンコンコン……  ───と、そこで部屋のドアがノックされる硬質な音が響いた。 「失礼いたします、社長。そろそろ次のアポイント先にうかがうお時間が……っ!?」  顔を出したのは、白幡の代わりに己のマネジメントを任せていた青年だ。 「どうした、山下?」 「いえ、その……さしでがましいようですが、よろしければこちらをお使いください」  ギョッとした顔を見せたあと、あわてて胸ポケットからチーフを取り出して差し出してくるのに、かすかに首をかしげる。 「すぐに目もとを冷やすものをご用意いたします……」  俺の手にそのチーフをにぎらせると、あたまを下げて部屋を出ていく山下に、ようやく俺は事態を理解した。 「あぁ、俺は泣いていたのか……」  音もなくその頬を伝っていたのは、久しく流していなかった涙だった。  そうか、こうして流せる涙が───感情がまだ俺にもあったのか───……。  そのことが妙に感慨深くて、気がつけば口もとにはうっすらとした笑みが浮かんでいた。  久しぶりのそれは、思った以上に悪くない感覚だった。 「お待たせいたしました。どうぞこちらをお使いください」  そこへもどってきた山下から、ぬれたタオルを手渡される。  そっと目もとに押しあてれば、それは冷たいのにふしぎとあたたかかった。  ───いや、ちがうな。  あたたかいのはタオルじゃない、俺の胸のあたりだ。  こんな俺にもまだ、こうして気をつかってくれる相手がいるのかと思うと、それがすなおにうれしくて。 「すまない、ありがとう山下……」 「っ!?」  そう思ったら、自然とお礼の言葉が口をついて出ていた。 「恐れ入ります」  きっと山下にとっては、これがはじめて俺からかけられた感謝の言葉だったんだろう。  その動揺する気配が、こちらにまで伝わってくる。  以前の俺なら、そんな風に動揺をすることすら不敬と感じていただろうし、なんなら差し出されたポケットチーフすら受け取らず、その手をふりはらっていたかもしれない。  人の気持ちなんてまったく理解しない……いや、したくても理解できない可哀想な人物だったから、鷹矢凪冬也という人物は。  そう思っていたけれど、今となって思えば本当は少しちがっていたのかもしれないな……。  だってここにいる俺は今、失ったものを悲しみ、あたえられたやさしさをありがたいと感じているんだから。 「しかし、このようなときに出ていくとは、なんと恩知らずな輩なのでしょうか……!」  山下の発言で、ふいに今の冬也のまわりで起きていた凋落の予兆の記憶がよみがえってくる。  ───そうだ、このときからすでに彼の転落人生ははじまっていたんだ。 「まさか、小切手決済のメインバンクと、大口顧客の複数社が立てつづけに破産宣告をするとは……」 「タイミングが悪かったというヤツだな……だが、この危機は俺がなんとかする。そのためのアポイントだろう?」  なんてことのないように笑って見せれば、山下は泣きそうな顔になる。  信じていた秘書と大切にしたかった双子の弟に、誤解とすれちがいを重ねた結果に捨てられ、そして己の会社も経営の危機に陥っている。  こんな泣きたくなるような逆境のなか、気丈にほほえめば、ふしぎと力がわいてきた。  そうだ、今の冬也はゲームのなかの冬也そのものじゃなくなっている。  という別の人格が合わさっているんだから、ひょっとしたら立て直せるかもしれない。  いやちがうな、なんとしてでも立て直さなきゃダメだ!  だって、この山下をはじめ、俺の会社にはたくさんの社員がいる。  そしてその社員たちには、守るべき生活と家族があるんだ。  ゲームのなかではたんなる『ザマァ』で済んだことも、今の俺にとっては必死であらがうべき運命だった。  だから俺は今一度、仮面をかぶる。  どんなことがあろうと、みじんもゆらがない覚悟をもって。  感情のゆらぎすら表に出さず、身内にさえも誤解をされる、そんなポーカーフェイスの社長の仮面を張りつけると、山下の差し出すジャケットに袖をとおした。 「さぁ、次の手を打つぞ!」
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