7.不思議なこと

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7.不思議なこと

 その頃、あたしは仕事で苦しんでいた。  あたしが通っている職場は元からパワハラ体質ではあった。そしてこの人手不足なご時世。増員など望めるはずもなく、仕事量の調整など上がまるで考えていない常時オーバーワーク。長時間の残業が当たり前になっていて、誰もそれを是正しようとしない典型的なダメ組織。  ところが、それがある日突然解消されたのだ。何の前触れもなく。  パワハラ上司は何者かの内部通報によって告発され、懲戒解雇。労働基準法ガン無視な組織の問題も外部に全て洗いざらい表沙汰にされて、会社の偉いさんがたんまり怒られたんだとか。何人か首にされたとも聞く。 「ヒック。おいとしあき。おめーの仕業だろ? なんかやったんだろ?」 「一体何の事ですか? ぷは~」  急に定時帰りなんてことができるようになって自由時間が大量に増えたので、私はいきつけの酒屋で酒を何本も買って帰り、こうして居候と飲んでいるのだった。 「とぼけんな。白状しやがれや」 「……怒らないでくれるなら、言いますけど」 「怒んねーよ。酒の席だから無礼講だ。言いたい事言ってみせぃや」 「……許せなかったんです」 「あん? あにがじゃ」  こやつ……としあきが言うには夜、あたしの歯軋りや寝言があまりにも酷くて、相当心配になったらしい。毎日のように聞き耳を立てていたら、ぐぎぎぎぎぎという凄まじい音と共に仕事の文句、上司である課長に対する呪詛、恨み辛み、不満。あんにゃろう、いつか殺ってやるぞとかそういった物騒な内容のリアルな寝言。  一体この人は会社でどんな扱いをされているのか? 気になったとしあきは、まっ昼間にこっそりと会社にやってきて、その様子を伺ったのだそうだ。きちんとした人の姿に擬態して。  後はお察しの通りだ。理不尽な理由で叱責される様子。いつまで経っても帰れないような雰囲気の悪さ。積み上げられる至急の仕事。怒鳴り声が響くようなモラルが崩壊し疲労にまみれたダメ組織。 「結美奈さんを酷い目に遭わせていたあいつらが、許せなかったんです」 「ほぉ? で、何やったん?」  憤ったとしあきは、自身の身体の一部……LANコネクタに変換した便利でサイバーな触手回線を用いて社内ネットワークに接続し、念入りに情報収集を行った。  会社が行っている不正。蔓延しているコンプライアンス違反の数々。上司や上層部の連中が行っている数え切れないくらいの暴言などの音声。それらを地道に収集していき、まとめて労働基準監督署にリークしたらしい。  だからって、労基なんざ真っ当に動いちゃくれないだろう? そんな私の突っこみにとしあきは言ったものだ。  無論、労基の方々にも真摯にお願いをしましたよ、と。  どのようなお願いをしたかについては、としあきは無言を貫いた。まあその、触手だったんだろうな。きっと。触手なんだよ。触手を使ってお願いをしたんだよ! 「……。あんたがやってくれたんだな?」 「ごめんなさい、余計なことをして。そして結美奈さんの言いつけを破って、お外にも出てしまっていました」 「おい」 「何ですか?」 「まぁ飲めや」  としあきのグラスにどぼどぼと酒を注いでやる。褒美だ。 「あ、ありがとうございます。いただきます」  ビール、チューハイ。ホッピーからワインにウイスキー。甘系のカクテルと焼酎と日本酒と梅酒。だんだんと空き缶や空き瓶が増えていく。としあきが言うには、芋焼酎が特に気に入ったようだ。なかなかいい趣味してるじゃねーか。 「うめぇか?」 「はい! とっても!」 「そかそか」  深酒。明日は休み。飯も食って風呂にも入って、あとはぐだぐだして寝るだけ。  ふと、僅かに開いていたカーテンのすき間を眺め見る。光が照らしている。 「満月だなぁ」 「あ、そうですね。綺麗なお月様です」 「んー。そういや。確かおめぇと初めて会ったのも、満月の夜だったよな」 「そうでしたね」  もう、何ヶ月も前のこと。満月の光を浴びながら、あたしはこの礼儀正しく家庭的で人畜無害な触手淫獣と出会った。 「としあきぃ」 「何ですか?」 「……あんがと」 「そんな……。僕が勝手にやっただけで……」 「助かったよ。もう嫌だ。辞めたい。やっすい給料稼ぐため何でこんな辛い思いしなきゃならねーんだ。やってらんねぇ。……ずっとそう思ってたんよ。どんなに頑張っても、どうにもできねーなって。死にたいとすら思うこともあった。再就職もリスクがあるし、金があるわけでもねえし。うんざりしきっていたけどどうにもできなかった」 「結美奈さん……。鬱入ってますよそれ」 「んむ。だから、礼を言う! 誉めてつかわす!」 「ははー! ありがたき幸せです!」  触手淫獣の恩返しといったところか。  それにしても深酒が過ぎた。ぼーっとしたほろ酔い気分。もうろれつも回らんし足腰もふらつく。 「そろそろお休みになりませんか?」 「ほーだなー。んう? お? お?」  柔らかなクッションに包まれているかのよう。  としあきの緑色の身体が突然ファンシーなぬいぐるみのように変化して、本来うにょうにょどろぐちょ液だくだくのはずの触手が、何やらふわふわもこもこの柔らかいものになっていた。そしてあたしの身体を丸々と包み込んでいく。 「ほぇ? なんよこれ? 気持ちぃ~」 「リラクゼーションモードですよ。マッサージチェアみたいな感じです。いかがですか?」 「ほーなんか。悪くないのぅ。……てゆかとしあきさー。あんた、いっぱしの触手いんじゅーなら、器用に服だけ解かす液体とか出せたりするん?」 「……やろうと思えばできますけど。でも、やりませんよ?」 「無欲なやっちゃのー」  他愛のない話が続いた。  としあきが言うには、惑星ショクシャーの触手星人達は皆、争いを好まない穏やかな性質らしい。  だからあたしが変態アニメとかマニアックなジャンルのエロ漫画とかで抱いているような極めて偏ったイメージを、こやつは否定した。  無理やり相手にひどい事をするだなんて論外。お互い認め合った、本当に好きな相手にだけ、自分の触手を解放して包み込むんだとよ。純愛派だな。  今あたしにしているよーにか? ほーかほーか。  結美奈さんは、僕を見てその……最初はさておき、恐がらずに相手をしてくれました。その上、部屋に居候までさせてくれて。とても優しくしてくれて、僕は嬉しかったんです。だと。  そのお礼として何かできることはないか? そう考えて、家事とかをやって……でも、何かが足りなく感じて。お仕事がものすごく大変そうなあたしを見て、会社が酷い事になっているんじゃないかと考えたんだとさ。  で。決して物理的な痛みは与えずに精神的にちょっと脅かしただけ。  満月の夜。夜道を歩くアホ上司や無能な上層部を一時的に拉致って物陰に連れ込んで、異形の姿をそのままさらけ出して触手でびしばしと痛くない程度にしばき回したり、全身をぐるぐる巻きにして『すぐにブラック企業な環境を改善しなければ、締め上げますよ?』とか言ったんだとさ。恐怖体験というのかね。精神を削って自分らの行いに非があるのだと問いただしたそうな。優しくとはいってもそれ、精神は壊れねえか? SAN値直葬っていうのか? 「やっぱ、すげぇなぁとしあきは。……その気になりゃ、あたしのようなやかましくて生意気な小娘なんざ、好き放題にできるんだろ? たこ足吸盤つき触手とかでぐるんぐるんにして服剥いで、持ち上げてひぃひぃいわせてとか……なんでしねぇんだ? やりたきゃやれよ」 「そんなひどいこと、できませんって」  あたしはもう、心地良さに抗し得なかった。 「好きな人にそんなこと……できません」  その声はもう、あたしには聞こえていなかった。  なんだ。アホな人間よりも優しいじゃん、触手淫獣。  としあきは、好きになった焼酎をちびちびと飲みながら、独りごちた。  結美奈さんお疲れ様。そして、ゆっくりとお休みください。と。  満月を眺めながら、としあきは爆睡するあたしをずっと優しく包み込んでくれるのだった。
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