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【後日談】デートの朝
長いこと「兄」だと思っていたアルスが、自分のことを好きなのかもしれないとミシュレが気付いた一件から、早二週間。
(現実感がない。夢なのでは?)
休日デートを前に、頬をつねりそうになる。握力があるせいで痣になってしまうのは確実なので、実際に試すことはない。
ただ、寄宿学校の寮の自室で鏡に向かい、自分の地味な顔を見ていると、何かの間違いだと頭が自動的に判断しようとする。
迷った末に、選んだ服はいつもの男装。
(いきなり女装をしても、アルス兄様が驚いてしまうかもしれないし……)
悩みながら支度をして自室を出たところで、プリシラがドアの前で待ち構えていた。
「今日はアルスとデートなのよね? どうしていつも通りの服装で出かけるの?」
「どうしてと言われても、どう変えれば良いんです?」
痛いところをつかれてしまったと思いつつも、ミシュレは若干意地になって疑問で返してしまう。プリシラは両手で頭を抱えて「そこから……!?」と非難がましく呻いてから、目をカッと見開いて言った。
「ふつうね、デートというものは着飾るものなのなのよ……! 見た目は大切、見た目でまずは相手を幸せにしましょう?」
一瞬、自分が女装をしたくらいでアルスは本当に喜ぶのだろうか? と考えないでもなかったミシュレだが、意地張りついでに断固として言い返してしまった。
「この世にアルス兄様以上にお美しい方っていないと思うんです。見た目で幸せになりたいのなら、アルス兄様は鏡をご覧になっていれば良いと思います」
プリシラは過剰な仕草で胸を手でおさえた。シルクのシャツの前身頃をぐしゃぐしゃに握りしめながら「そうじゃないでしょう……!」と顔を歪めて呟く。
すぐに思い直したように、ミシュレの目を見て言った。
「アルスはミシュレ、あなたのことが好きなのよ……!? 好きな女の子が自分と会うために着飾って可愛くしてきたって知ったら、あのアルスのことだもの、狂喜乱舞でそのへんに頭打ちつけて死ぬほど喜ぶから!」
「私、義兄を殺すつもりはないんですが。殺……、そもそもデートってなんでしたっけ。果たし合いじゃないですよね?」
「じゃないですね、はい、じゃないです。私のたとえが大変悪かったです。だけどミシュレも真顔でとぼけないで!! 仮にも貴族の令嬢なのよ、こんなに口うるさく言われなくても着飾る意味くらいわかるでしょう?」
「男装と女装では暗器を仕込む位置が変わってくるので、身につける服装に従ってひととおりパターンは把握しています」
「なんの話をしてるのよ!?」
なんの話でしたっけ、とミシュレは首を傾げて考えてみた。
そのわかってなさにおののいたかのように、プリシラは顔をひきつらせると胸ぐらに掴みかかってくる。ミシュレと額を突き合わせる距離で、盛大に喚いた。
「四の五の言ってないで、可愛く着飾って行きなさい! それで、アルスに色目を使う女性がいたら、目にものを見せてあげるのよ! ミシュレのポテンシャルなら十分可能だから!」
「主命ということであれば、努力します」
「命令よ命令。それと、お願いだから進展してきて。今日の帰りまでにせめてキスの一回くらいはしてきなさい」
「キスは一人ではできません。アルス兄様の意志を確認してからで良いですか」
「アルスはもう何年も前から準備万端に決まってるじゃないっ」
叫ぶプリシラに部屋に引きずり込まれ、いつの間にかミシュレのサイズぴったりに誂えられて用意されていた白のワンピースを着せられる。フリルやレースで飾られていて、(汚さないかな)と心配になる可憐さであったが、プリシラには異論反論の一切を封じられ、「今日は一日それで」と厳命されて送り出されることになった。
* * *
迎えに行くと言い張っていたアルスが、寮の表門を出たところで、レンガ造りの塀に腕を組んでもたれかかりすでに待っていた。
「アルス兄様、おはようございます。お待たせしました。いつからいらしていたんですか?」
(今日、妙に寮を出入りしている女生徒が多いと思っていたけど、アルス兄様目当てでしたか。結構早くからお見えになっていたのでは)
もしかしなくてもだいぶ待たせてしまったらしい、とミシュレは頬に緊張をはしらせた。その結果、アルスが女性たちの注目を集めてしまっている。目にものをみせなければ、とプリシラの命令が頭をよぎった。
そんなことは知る由もないアルスは居住まいを正すとゆったりと微笑みかけてきた。そして、ミシュレのワンピース姿に気づき、凝固した。
「……兄様? どうなさいましたか?」
「いや……。ミシュレのそういう服装を見たのが久しぶりというか……いつ以来だろう。それはまさか今日のデートのために……?」
(今日のために、プリシラ様が用意してくださっていました……とは、言いづらい)
ミシュレとて、アルスが自分の服装に喜んでくれているのは理解できた。何もかも素直に打ち明けることで、この感動に水を差すのはいけない、という配慮くらいはできる。
返答は笑顔で頷くにとどめ、余計なことは口をつぐんで決して言わない。
胸の中でだけこっそりと、プリシラにお礼を言う。アルスが喜んでくれると、ミシュレも嬉しい。先回りして状況を読んで準備してくれていたプリシラには感謝しかない。
そこでふと、課題を出されていたことを思い出した。「周りの女性に目にものをみせろ」と、「キスの一回くらいは」という件について。キス。
「アルス兄様、折り入ってお願いがあるのですが」
即断してミシュレは呼びかける。感動に打ち震えたまま動きを止めていたアルスは「なんでも言ってくれ」と答えた。
その女性たちの目を惹きつけるであろう美貌を見ながら、ミシュレはきっぱりと言った。
「実はプリシラ様に、本日私とアルス兄様で一回以上のキスをするようにと命じられてきました。アルス兄様にお許し頂けるならば忘れないうちに一回目のキスをしたいと思います。よろしいですか?」
「俺はいったい姫様に何を管理され、恋人に何を確認されているかよくわからないが、異存はまったくない」
「ありがとうございます。では」
服装どころか髪まで綺麗に飾ったまごうことなき令嬢スタイルのミシュレは、まったくためらいなくその場に跪き、アルスの手を取って甲にふれるだけの口づけをした。
「……?」
理解できない顔で固まっているアルスを見上げ、落ち着いた声で告げる。
「今日一日どうぞよろしくお願いします」
「……キス?」
「はい。これで安心ですね。今日の分は果たしました」
「うん……」
ちょうど、用もなく出入りをしていた女生徒たちが、ごまかすことすら忘れたように足を止め、二人を見ていた。
寸前まで、「アルス様だわ、素敵」と言っていたはずの彼女たちの目は、いまや「女装した男装の麗人のキス」に釘付けになっている。ミシュレは素早く立ち上がり、周囲に笑顔を振りまく。ミシュレ様素敵、という歓声が上がった。
(目にものをみせるって、こういう感じでいいでしょうか)
アルスはぼんやりとした顔で、「ミシュレ、いつもこんなことしているの?」と呟いた。
ミシュレは落ち着き払って、その疑問に答えた。
「いつもではありません。アルス兄様の恋人らしく振る舞おうと思いまして。他の女性の目から見てどうでしょう、完璧に恋人仕草だったのではないでしょうか」
「気持ちはありがとう……、惚れ直した」
その言葉とともに、アルスはミシュレに手を差し伸べる。ミシュレがその手をとり、「楽しい一日にしましょうね」と言うと、アルスは「もちろん」と笑顔で応じてその手を握り返した。
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