9 ……解き放つわけには

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9 ……解き放つわけには

「ちょうど良かった、と言って良いのかわかりませんが。殿下とお話したいことがありました。お時間頂くことは可能でしょうか。今日はなんの用事でこちらへ?」  姿勢を正して、心持ち視線を上向けて目を合わせながら、折り目正しくミシュレはそう尋ねた。  ラドクリフは、地味ながら仕立ての良いシャツやジャケットを身に着けた、良家の子息風。護衛はいるだろうが、見える範囲にひとを引き連れている様子はなく、お忍びといった風情で佇んでいた。 「ミシュレは、その動じないところが美徳だと思う。私からの申し出は耳に入っていると思うんだが……」  少し、困ったように微笑まれる。  ミシュレはわずかに小首を傾げて、ラドクリフの顔を覗き込んだ。 (このご様子だと、ラドクリフ様にとっても、あの縁談は本意ではないということ?) 「何かご事情でもあるのかと。殿下には御婚約者様がすでにいらっしゃるはずです。たしか隣国の姫君」 「破棄した」 「まさか」  間髪おかず返されて、ミシュレは思わず非難がましい声を上げてしまった。  とはいえ、まだ半信半疑。即座には信じられない。 「婚約破棄だなんて、そうそう簡単にできるものではないですよね。何かこう、よほどの事情がない限り」 「隣国と仲良くなるより、アルスを暴れさせないことが、いや、こう、きちんと飼いならすことの方が何に置いても優先されると関係各所の同意が得られた」 (……王家はとてつもなく本気だ。本気の縁談なんだ……!!)  背筋にぞくりと悪寒が走った。  ミシュレとしては、「なにかの間違いだろうしまずは王家に事情を確認しよう」程度で申し出をまったく重々しく受け止めていなかったのだが。  王家の一大事としてすでに検討されており、了承を得て、隣国も巻き込んで婚約破棄をした上で申し込んできているとは。 「そこまでして……、王家はお義兄様を」  欲しいのですか?  声に出さずにミシュレはそう尋ねた。ラドクリフは苦み走った笑みを浮かべた顔で頷いてみせた。 「アルスを……、解き放つわけにはいかない」  言葉の端々に緊張感が漂い、いちいち溜めながら発言してくる。 「それなら私と殿下が結婚するよりも、より直接的な方法として、プリシラ様がいらっしゃるではないですか。アルス兄様はプリシラ様のことは何と?」 「眼中にない」  辛そうに吐き出されて、ミシュレは思わず眉を寄せた。 「そんな……。たしかにプリシラ様はプリシラ様で何を考えているかよくわかりませんけど。かたや王家の姫、かたや最強の魔法使い。政略結婚にはまずまずの間柄のはず。何が不満なんでしょう?」 (プリシラ様は、少し我が強いですけど、決して性格は悪くはありませんですよ、お義兄様。お可愛らしい方です。何度かお会いしているのですからご存知でしょう)  胸の中で、思わずアルスに文句を言ってしまう。  プリシラはミシュレにとっても大切な友人なのだ。眼中にないと言い切られてしまうのは納得がいかない。 「プリシラよりミシュレは? ミシュレはどう考えているんだ。結婚とか、恋愛とか」 「殿下、成り行きで立ち話になってますけど、お時間大丈夫ですか?」  話を逸らす意図はなかったのだが、気になってつい聞いてしまった。  タイミング的には不敬すれすれであったと思うが、ラドクリフは咎めることもなく柔らかに微笑む。 「大丈夫だよ、ミシュレ。今日ここで君とアルスが待ち合わせしているというのは当のアルスから聞いてきたんだ。アルスが来る前に君と話し合いたいと思って、私も来た。さてどうだろう、私からの申し出について、真剣に考えてもらうことはできないだろうか。()()()()()()()()()()()()()()()()のならば」  聞き間違えでなければ、何か、妙なところを強調された気がする。傍点のうえ、二重線がひかれる勢いで。  ミシュレはラドクリフを見上げて、ハキハキと答えた。 「まず、先程のご質問ですが、私は恋愛というものに疎いようです。結婚に関しては家督の問題がありますので、父と相談となると思います。つまり、現在心に決めた相手はおりませんし、いたとしても思いを遂げようとは考えないでしょう。風変りとは言われておりますが、私も侯爵家に生まれた身、果たすべき義務があるのなら、逃げようなどとは思いません」  がっくり。  目の前で、ラドクリフが目に見えて落ち込み、肩を落とした。心に決めた相手を……と聞き取りにくい声で呟いているが、もう一度はっきりと言ってくることはない。 (何……? 心に決めた相手がなに、どうしたんです……!? この婚約の申し出にはまだ何か裏が?)  ただならぬ態度に、ミシュレは目を瞠った。 「私は、決して殿下からの申し出が嫌だなどとは思っていないんです。ただ、おそらく殿下の目的は果たせないだろうと考えております。私と結婚したからといって、アルスお兄様を引き込むことなど実質的には不可能ではないかと」 「そうだね!」  落ち込み切って荒んだ表情のまま、ラドクリフはにこにこと微笑んだ。  それから、気を取り直したように一歩進み出てきて、ミシュレの右手を取り、抵抗する間も与えずにしっかりと自分の両手で包み込む。 「アルスがどうして君のことを可愛く思っているのかがよくわかってきたよ」 「この会話で? どの辺でですか?」 「いやもう、可愛い可愛い。ぶっちぎりで可愛い。こんなに真剣に取り合ってくれるくせに、最終的には全面的に拒否されるなんて、心の中のSとMが大歓喜だよ。本当に私と結婚しない? アルスのことは抜きにして、どう?」 「王太子妃は無理です。今からだと何かと手遅れだと思いますし、どうせ頑張るなら、もっと別のことを頑張りたいです」  手を離して欲しいな、振り払ってもそこまで失礼にあたらないかな、と悩みつつミシュレはきっぱりと言い切った。それから、そーっとさりげなく手を抜こうと試みる。  ぐいっと、力を込めて握り直されてしまった。 「「殿下」」  ラドクリフに対するミシュレの呼びかけに、もう一つの声が重なった。  はっとミシュレが首を巡らすと、少し離れた位置に立つアルスの姿が見えた。
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