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8 待ち合わせ
アルスとの待ち合わせは、街の広場にて。
早めに着いたミシュレは、広場中央、古の英雄が嘶く馬に跨っている石像の前に立ち、澄んだ青空を見上げた。
快晴。
昼には少し早い時間だが、爽やかな風が吹く過ごしやすい気候で、人の出も多い。
がやがやとしたざわめきに身を浸しながら、ミシュレはぼんやりと辺りに視線を滑らせた。
(王太子妃か……。ラドクリフ殿下も、何をお考えなのか。たしか隣国レンステシアの王女と婚約なさっていたはず。政情の変化など、やむを得ぬ事情で婚約解消の方向で動いてる? それでアルス兄様をなんとしてでもおさえようとしている、とか?)
考えようにも、情報が少なすぎる。
はっきりしているのは、自分は王太子妃の器ではないこと。
貴族としての最低限の作法は身につけてはいるが、令嬢としてはかなり変わり者の自覚はある。
今も、変装とまではいかないまでも、令嬢らしからぬ男装だ。
アルスと街歩きをするときは、アルスの装いに似せて誂えた少し薄い色のコートを身につける。瞳の色に合わせてすみれ色。髪は無造作に見えるように一本に適当に束ねて、見た目は少年魔法使い。
以前、たまたま女性の姿でアルスと出歩いたところ、「どうしてあんな女が……?」「つり合いというものを考えないのかしら?」というひそひそ声が耳に入ってしまったことがある。
それだけなら自分が耐えれば済む話だが、アルスが気付いてしまえばことが大きくなるのだ。
――俺の妹の悪口を言っているのは誰だ? 血の海に沈めるぞ?
バチバチバチッとその周囲で盛んに光が弾け、頭上にはみるみるうちに暗雲が立ち込めて、ぺらっぺらの露店など吹き飛ばすほどの暴風が吹き荒れる。
その力、強大にして天候をも操る、と聞いたことはあったが、実際に目にしたときは血の気が引いた。
(怒りの感情に引きずられて魔法が発動しているなんて、お義兄様、ご自分の力をコントロールできていないのでは!?)
という意味で。
本人に聞いたところ「はっはっは、まさか。やる気でやっているんだよ」とは言っていたが、それもそれでおそろしい。やる気でやるとは。
幸い、そのときは死傷者や被害を出すことはなかったが、「家族の悪口を耳にすると、問答無用でぶっち切れる」というアルスの一面を知ってしまったミシュレは、何らかの工夫の必要性を認識したのだ。
他人の口に戸は立てられぬと言うし、自分がアルスに似合う美少女になるのも不可能だ。
ならば少年魔導士を装い、傍からは「友人同士」「同僚」などといった括りで見られるように工夫し、決して嫉妬されないように振舞おう。
それが一番平和だから。
アルスも、ミシュレの男装にとやかく言うことはない。
むしろ「ミシュレが可愛いことは俺だけが知っていればいいから」などと兄馬鹿な発言をして男装を推奨している節まである。
最近では「いっそ学校を卒業したら俺のところに就職したら良いと思う。俺の目の届くところにずっといればいいんだ」などとぶつぶつ言っているくらいだ。
そのたびに「お義兄様の仕事場は魔法使いの研究所ですよね。魔力のない私向きの職場ではないんです」と返答しているが。
(進路……、お義兄様とは早く縁談の件を話し合いたいところです)
アルスを身内に留めておきたいのは自分も同じだとばかりに、父まで「お前とアルスが結ばれてくれたら」と言い出したときには、なんの冗談かとおののいた。
(お義兄様のお相手には、もっとふさわしい方がいます。私などではなく。私は「妹」でじゅうぶんなんですから)
だから、早く結婚してください、お義兄様。
心配事が多いせいか、なんとなく気持ちが暗く、うつむきがちになってしまう。
青空に背を向けるように、ミシュレは足元の石畳に目を落とした。
そのとき、覚えのある声が耳をかすめた。
「お待たせ、ミシュレ。少し遅くなってしまったかな」
アルスの声ではない。
信じられない思いでミシュレは顔を上げて相手を確認した。
「ラドクリフ殿下……?」
プリシラによく似た金髪翠眼の青年が、そこに立っていた。
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