1 姫君の企て

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1 姫君の企て

 アイトヴァン湖に住まうという、伝説の水竜。  王家の姫君は十五歳を迎えてから一年以内に湖に向かい、祈りを捧げる。  その証として、「水竜の逆鱗」を持ち帰るという伝統があった。  しかし現在十五歳のプリシラ姫に関しては、不慮の事故続きでその儀式が執り行われないでいる。  それというのも、かつて王族筋の姫には代々強い魔法使いが多く生まれていたので、山奥の湖までひとり歩きをさせてもさほど危険はなかったのだ。  だが、魔法使いが生まれにくくなった現代、プリシラ姫も例外なく魔力らしきものが無い。あるとしてもごく微量。一般のか弱い少女と何も変わらない。  周辺のモンスターはおろか、待ち伏せしている暴漢がいようものなら、歯が立たないのは目に見えている。  よって、儀式に先駆けて、様々な下準備が必要になる。  湖の近くまで護衛で固めて進行し、最後の最後だけ形式に則ってプリシラが祈りを捧げる。その手はずになっているのだが、日程を組むたびに台風や地震といった天災が起きたり、王妃が病気になって寝込んだり、王都周辺にモンスターが出現したといっては同行予定だった騎士団が駆り出されるなどで、延期を余儀なくされてきた。  そうこうしている間に、プリシラ姫の十六歳の誕生日まで、あと七日という現在。  時間的な限界である。   「伝統行事とはいえ、すでに形骸化しているんです。十五歳というご年齢にもそれほどこだわることはないかと思いますが」  姫君が通う学校のカフェテリアにて。  一歳上の幼馴染として話を聞いていた侯爵令嬢ミシュレは、真剣な口調でそう言った。  プリシラは金髪翠眼のいとけない美少女で、身分が高いとはいえ早くから学校にも通っていたので、同年代と話す分にはくだけたところもあるが、自分の意志を通そうとする少々我の強い面はある。  一方で、質実剛健の家風を体現したかのようなミシュレは、令嬢とはいえ凛々しく少年のような風情。痩せて背が高く、姫の護衛のような位置づけから常に動きやすい服装をしている。シャツにズボンに、男子の制服である紺色のロングコート。砂金色の髪は無造作に束ね、すっきりとした顔には化粧っ気もない。  ミシュレは食事をする手を止めてスプーンを置いた。  姫君が持ち出してきた話題を警戒し、すみれ色の目を細め、頬に緊張を走らせている。  その様子を気にかけることもなく、プリシラはきっぱりと言い切った。  「いいえ、だめよ。儀式に至る前提のすべてが建前に移行しているとしても、年齢くらいは守らないと。私、どうしても十五歳のうちに湖に行きたいの。このまま延期を受け入れていたら、私なんてあっという間にどこかに嫁がされてすべて有耶無耶で、水竜様に会うこともできなくなるわ」 「たしかに、他家に嫁いで王族身分を返上してしまえば、王家の伝統行事を行う名目もなくなりますからね……」  仰ることはわかりますが。  一応の理解を示そうとしたミシュレに対し、プリシラは愛らしい顔にキリッと(いかめ)しい表情を浮かべて断言した。 「それだけじゃないわ。水竜様は処女にしかお会いにならないそうよ」  ミシュレは、一口飲んだお茶を噴きかけた。なんとかこらえた。 「えぇと……?」 「なにびっくりしているのよ。だからずっと十五歳って決まりがあったのよ。今は結婚年齢が十八歳に引き上げられているけど、昔は十六歳だったから。清らかな乙女でなければお目通りができないの」 「処女でなくなったくらいで、清らかではなくなるなんて決めつけはそろそろ時代錯誤では。清らかさが大切だというのであれば、体の経験ではなく心の高潔さを基準に考えるべきかと。姫が、というよりはこの場合水竜様が、ですけど。まさかご自分の元まで会いに来た姫君が好みの相手の場合は食うというわけでもないでしょう」 「まぁ。ミシュレったら」  食う、という言葉に反応したのか、プリシラは頬を染めてゆるく首を振る。  一瞬、その能天気さに気が遠のきかけたミシュレであったが、お茶のカップをテーブルにおいてこんこんと諭した。 「姫、冗談ではありませんよ。伝説レベルの竜は知能がずばぬけて高いとされていますが、人間と生活圏がかぶる山林に生息している小型の翼竜などは、分類上、モンスターです。普通に人間を食べますからね。水竜様といえども所詮は伝説の存在。人間の魔法使いが世代交代を繰り返す中で魔法を失ったように、生き物として代替わりしていれば、すでに知性のないモンスターと化している可能性もじゅうぶん考えられます。乙女な幻想は破棄してください。どうしても儀式を行いたいというのであれば、王宮の関係部署が予算と日程を組むのをおとなしく待つべきです」 「いいえ。そんな悠長なことは言っていられないわ。だいたい、頓挫した計画が再開されないのは、王宮の人間がこの儀式をすでに重視していないから。歯がゆいったらないわ。ということでミシュレ、私、行くわね」  どこへ、という言葉を飲み込む。  この流れでそれがわからないミシュレではない。  そして、行くなら行くで誰にもみつからないように内密にことを進めればいいのに、ことこの期に及んでなぜ自分がこの話を聞かされているのか、その理由も思い当たっている。 「止めたいのですが……、姫様。本当に全力で止めたいと思っているのですが、行かれるのですか」  もはや諦めの境地ながら一応の確認をしたミシュレに対し、プリシラは笑顔で頷いた。 「もちろん行くわ。止めるのは不可能よ。あなたにできるのは、私が危なくないように道中ついてくることくらいね!」  ミシュレは溜息を飲み込み、とある人物の顔を脳裏に描いた。 (これは私の手にはさすがに余りそうです。お義兄様に助力をお願いできないか、手紙を出しておきましょう)
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