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第零夜
夜陰に包まれた町は静まり返っている。
近頃の夜には珍しく、今宵は月がよく見えた。月明かりを隠す雲は無く、澄み切った空はどこか心地よい。連日降り続けた雨はすっかり鳴りを潜めたが、それでもこの時期特有の蒸し暑さは残っていた。
それゆえか、辺りに人の姿は見えない。もともと大きな町ではないこともあって住人の数が多いわけではないのだが、普段であれば夜歩きの一人や二人いるものだ。既に夜更ではあるが、人一人姿が見えないこの風景には一抹の寂寥感が漂っている。
ああ、この地はこんなにも寂しい場所ではなかったはずだと――――、女はそう思った。
女は橋の上に立っていた。橋の下には大きな川が流れている。どちらもそれ自体におかしなことはないのだが、何故か歪である。その光景はどこか幻想的ではあったが、同時に言い知れぬ不安を煽るものだった。もしこの場に見る者がいれば、嫌悪感や、そして恐怖すら感じただろう。
この光景の何が歪なのか。可憐な美女が月明かりに照らされて川を眺めている。美しい光景ではあっても、歪ではないはずだ。だがそれが不釣り合いであることは明白で、女自身もそれを良く理解していた。
「――ああ、なんて綺麗な月」
一言そう呟き、女は手すりにもたれかかる。空を見上げるその目は、哀愁で溢れていた。
自分はここにいるべきではないのはわかっているが、他に当てもないのだから仕方ない。
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