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ファナティックとフラットのあいだ
動画をコンスタントに作り続けなければならないという、肩を締めつけていたくびきが外れると、私はとたんに深く鋭い呼吸ができるようになった。そして、見るものすべてから、たっぷり水を含んだ綿のように、言葉がにじみ出てきた。
息が荒く、かさかさに目が乾いていたときには蹴飛ばしても踏みつけても文字の一滴も放たなかった事物が、そのおよそ一ヶ月のあいだ、そのものを覆い隠さんばかりに言葉を発した。
開閉する電車の自動扉からは、自律、かたくなさ、卑猥、本能と人工、背の高いギザギザの葉などといったとりとめのないキーワードが、蒸籠から立ちのぼる湯気のように現れては消えた。また、バイトを終えたあとに買った缶ビールからは、皮肉、自虐、古新聞紙、ミミズク、軽石の詰まった植木鉢などが、缶の底に空いた観念的な穴からだらだらと流れ出ていった。
一見関連のない言葉が、物質から野放図に生まれては消えてゆく。物質とそれぞれの言葉との因縁は確かに存在したのだが、それを意味として認識しようとすると、ほのかに結わえられた糸は途端に引きちぎられた。
しかし、蒸発したり垂れ流されたりしているのをただぼんやりと眺めるあいだは、糸の上に小さな蜘蛛がつたうのを感じ、胸の奥に張られた弦は糸のふるえに共鳴して軽やかな音色を奏でた。
四分の一ほど歩んだであろう人生の路上で、これほど澄明な音を聴くのは初めてだった。幼いころの世界は色わけされておらず、あちらこちらから吹き出す間欠泉のような意味の噴出をただ原始的なリズムとして体で感じとるだけだったが、いまはありとあらゆる言葉が虹のように輝き押し寄せて、複雑な音楽を成していた。
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