ファナティックとフラットのあいだ

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 なぜこれほど澄みわたり静謐で、鮮やかに豊穣だったのか。一つは気温と湿度にあると見ていた。  真夏に手を伸ばしすぎた五月が去ると、一転して冷めた六月がやってきた。ファナティックな親に対して子が極端にフラットになるように、六月の初夏は冷たく、徹底して無表情だった。しかし、冬のように人を突き放し、いたぶるような気配はなく、どこか甘くてお人好しだった。硬い葉で作った草笛を吹くような空気に、私の神経はおびえることなく寄りかかり、空と風と音を感じるがままに感じるのだった。  ある日、チャンが見知らぬ男と、二人で一つの青い傘をさして歩いているのを見た。傘の柄を温めるようにつながれた手と手は、一つの関節のように見えた。雨がヴェールのように薄くけぶるなか、彼らは大学正門前の横断歩道を渡っていて、そのとき私は、星が生まれて消滅するような遠大な時間と、泡が弾けて消えるたまゆらを同時に感じた。寄り添う二つの影が土に落ちた雪のようにはかなく跡形もなくなった一方で、彼らを含んだ霧の絵画が海鳴りのような車の音とともに記憶のフィルムへと焼きつけられた。  なるほど、チャンは夏菜子に別れを告げ、今の男と一緒に歩みはじめたのだ。その事実は、私の心臓よりももっと深い場所に痛みもなく筆先を落として、太く動脈を描いた。これほど自然に事実をありのままに、みずからの血肉とできるのは初めてだった。
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