マンネリの朝

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 パソコンの前にいる私は、動画を一時停止して、ディスプレイのほこりをなめ取るように、公衆トイレの外観を丹念に吟味した。意匠もなにもない素朴な箱からは、たしかに蛍光灯の光が漏れていたが、青くはなく、黄ばんでおらず、赤らんでもいなかった。扉や小窓など光の落ちこむ淵によどみやうるみといった予感はなく、むしろ無機質な乾きが目の水分を奪いとっていった。  夏菜子はいったい、ここでなにを感じたのだろうか。私とチャンが日常というなまぐさい温水につかって水遊びをしていたとき、彼女は極北の切りたった崖に立ち、生者の超えられない氷海の向こうで手を振るなにかを見たのか。 〈再生ボタンをクリック〉  しかし、このあとカナピはすぐに現実世界へ戻ってきた。 「あー、あたしトイレ行ってきます」  くだんの建物に到着すると、彼女はおそれもせずに女子トイレに向かおうとした。 「あなたさっき、ココキモチワルイとか言ってませんでした?」 「うん、でも近づいたら普通だった」  あくびをしながら平然と箱の中に押し入っていく女の機微をまったく理解できず、男二人は曖昧な笑みを浮かべて背中を見送るだけだった。  夏菜子の気持ちのうつろいやすさは、感受性の高さと精神的なもろさの現れだろう。過去の動画でも、か細い針のような鋭敏さが顕現したことがある。いかにも怪しい雰囲気を醸し出しているところではなく、廃トンネルを抜けた後の草地や廃屋の前にある朽ちた荷車など、思いもよらないスポットで彼女は気味の悪さを訴えた。不思議なことに、それらは実際いわく付きであることが多かったのだ。たとえば、トンネル横の草地は多重事故が起きて死者が出た現場で、荷車は殺人事件の遺体を運んだと噂されるものだった。
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