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少年の夢の中
『……ッ郎!……ッ太郎‼』
誰かが少年を呼んでいます。
家の外は騒がしく、その喧噪は家の壁越しにでもうっすらと少年の耳に届くほどです。
地の底から這い出るような人々の悲鳴は少年の心を絶えず揺さぶり、まだ幼い彼はただガタガタと布団の中で蹲るばかりです。
恐ろしい喧騒たちが家の外をうろついている中、突如その中から出し抜けに飛び出すようにして、ひとつの大きな足音が家の中へと飛び込んできました。
つん裂くような容赦ない足音は少年のもとまでまっすぐ駆け寄ると、少年が顔まで被っていた布団を無理矢理引き剥がします。
「やめて!いやだ!いやだ!」
少年は怯えてうずくまり、固く目をつむりますが、彼はあっさりとその者に抱え上げられてしまいました。
少年はぎゅっと目を瞑っていました。まるで暗闇の中で体がクルクルと回転しているみたいに感じました。しかしそれでも音や匂い、そして肌を掠める気配などから、ほんの少しばかりは今の状況が分かります。
走る振動に激しく揺さぶられ、さっきまでは壁を隔てて聞こえてきていた喧騒が、突如鮮明に聞こえだしました。
そのことが少年に、自分が家の外に出たのだということを知らせました。
外がとても騒がしく感じました。
何かが焼ける音がパチパチと聞こえます。
少年の瞼の向こうでは、昼のように明るい夜の暗闇がうっすらと確かに存在していました。
悲鳴、怒号、泣き声、呻き声。
彼の耳に聞こえてくるおぞましいそれらは、まるでこの世の終わりの様な世界を思わせ、まるで不安と恐怖が入り混じった蟲の大群が足から順に這いずりあがってくるようでした。
少年には、いま何が起きているのかはさっぱり分かりません。
しかし、何か悪いことが起きているということだけは、はっきりと分かりました。
ふと、扉が開く音がしました。すると目をつむっていた少年は、また周囲が真っ暗な壁に包まれたような気がしました。
少年は恐る恐る、目を開けてみました。そこは小さな倉庫でした。そして少年の目の前には、男がいました。しかし、その男がいったい誰なのかは、少年にはまったく分かりませんでした。なぜなら外からの光による逆光により、男の顔の一切は影で覆われているからです。しかしそれでも、男が扉の外からじっと自分を見つめていることだけは、少年にも分かりました。
男は小屋の外から、とても切迫した様子で少年に言いました。
「お前はここに隠れていなさい!絶対に出てきてはだめだ!」
外は朱く輝く火の灯りがまぶしく、依然男の顔は影にまみれています。
そしてただ呆然とする少年の肩を、男が強く掴みました。
「良いか? 静かにしてるんだぞ。外にはこわーい鬼達がたくさんいる。食べられたくなかったらここで大人しくしてるんだ。良いな?」
男の口ぶりはまるで冷静さが欠けたようなそんな強い口調でしたが、それでも何とか少年を不安な気持ちにさせまいと、おどけた言い方を努めているようでした。
少年は「言葉」というものはまだよく解りません。しかし、いま目の前に居るこの男が自分を危険から守ろうとしている、それだけは何となく解りました。
その時……
《この人を行かせてはいけない!》
誰かが、少年に訴えかけます。
《もう二度と会えなくなるぞ!》
それは、誰の声でもないーー少年自身の心に抱く自らの直観の声でした。
彼は直観します。ーーこの人は自分にとって一番大切な人で、自分はこの人にとって一番大切な人。
少年はその声に従うがままに、気がつけば目の前の人物に手を伸ばしていました。
いかないで――
こんな真っ暗な小屋の中、独りにしないで――
そう伝えようにも、幼い少年はまだ「言葉」というものを知りません。だから彼は泣きました。自らの気持ちを伝えるために。
それなのに目の前の人はただ少年を抱きしめるだけで……
「必ず、戻るから」
その人の顔ははっきりとは見えませんでしたが、しかしただ一つ少年にも判ったことはーー
その人は彼ににっこりと笑いかけ……
……
…………
「ハッ……!」
桃太郎は目を覚ましました。
彼は咄嗟に周りを見回しました。
「……!……!」
しかし、そこはさっきのおぞましい光景とはまるで正反対で、小鳥のさえずる声は優しく耳を撫で下ろし、明るい日の光は桃太郎の体をちょっと乱暴に包み込んでいます。
桃太郎はそこでやっと、自分の体が布団の上にあることを認識しました。要するに、いつも通りの朝でした。
「なんだ……夢か」
彼が深くため息を吐き出すと、まるで糸が切れたかのように一気に身体が緩みました。どうやら桃太郎は、悪夢を見ていたようでした。そのせいか、彼の体は、汗でぐっしょりとなっていました。
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