桃太郎とおじいさん

1/1
前へ
/15ページ
次へ

桃太郎とおじいさん

「どうしたんじゃ桃太郎。よく眠れなかったのか?」  その日はとてもよく晴れており、桃太郎が布団から起きて上がってきたとき、おじいさんは部屋で薬草を作っていました。 「実は昨日少しこわい夢を見てしまって……。それよりおじいさん、いまなにを作っているのですか?」 「薬を作っておるのじゃ。生活は苦しいが、なんとか生計を立てんといかんからのう」  おじいさんが薬草をすり潰すと、見る見るうちにそれが緑の粉となっていきます。  桃太郎は感心しながらおじいさんの隣に座って、その作業を眺めていました。 「それより桃太郎よ。さっき、怖い夢を見たと言ったな」  おじいさんは尚も薬草をすり潰しながら、そんなことを聞きました。  すると桃太郎はにわかにその表情を陰らせました。 「……はい。昨日見た夢はたしか、僕が小さいころのことでした。村が大変な事になって……たぶんおじいさんがいつも言っていた、村が鬼たちに襲われた時の夢だと思います」  桃太郎がそう言ったとき、おじいさんの薬草をすり潰す手が、ふと止まりました。 「あの時、僕は確か誰かに抱えられて、小さな小屋の中に隠されたと思うのですが……その人が誰だったのか、あの後どうなったのかがどうしても思い出せないのです」  桃太郎は何とかそれを思い出そうと、頭を抱えていました。ーーあの時、自分を助けてくれた人物はいったい誰だったのか、そしてそのあとその人物はいったいどうなってしまったのか。  するとそのとき、おじいさんがいきなり桃太郎の肩を引き寄せました。 「……おじい……さん?」 「思い出さんでええ」  おじいさんは一言そう言うと、桃太郎を優しく抱きしめたのです。 「怖いことは、思い出さんでええんじゃ。怖いことは、忘れてしまったら、ええんじゃ」  桃太郎はしばしの間ポカンと目を丸くしていましたが、彼は次第にその眼を細めていきました。 「……」  桃太郎は感じとります。ーーなんだか、懐かしい感触。  そう思った途端、桃太郎は昨日の夢がとても温かく思えてきました。とってもこわい夢だったはずなのに。とっても哀しい夢だったはずなのに。  そして、桃太郎は改めて思い出します。おじいさんは自分にとって一番大切な人であり、自分はおじいさんにとって一番大切な人であるーーと。  おじいさんの胸元に顔を埋める桃太郎からは、自分を抱きしめるおじいさんがいまどんな顔をしているのかは見えません。  しかし、おじいさんから匂う土臭い薬草の臭いが、とてもいい匂いだと彼は思いました。  その匂いは、ただの薬草とは思えないくらい、いい匂いでした。  するとその時、彼はなぜか急にあの夢の続きを思い出しました。なぜかは誰にも分かりません。とにかく桃太郎は、あの恐ろしい夢の続きを思い出すことができたのです。  彼は絡まった糸を手繰り寄せるように、『あの後』の記憶を辿って行きました……  小屋に一人取り残された後――幼き日の桃太郎は真っ暗な空間の中で独り、膝を抱いていました。あれからどのくらいの時間が経ったのでしょうか? ーー彼には分りません。ただ、あれだけ騒がしかった外は、今はもうすっかりと静まり返っています。  ――必ず、戻るから  彼には、あの男が残したその「言葉」は、とても力強く、とても頼もしく思えました。 『絶対に帰ってくる。絶対に約束を守ってくれる。絶対に僕を……』  彼はその事だけを信じ、『あの人』の帰りをただひたすら待ち続けていました。  するとその時、暗闇の中に一筋の光が射したのです。  小屋の扉を開けたその人物ーー桃太郎はその人影に抱き上げられ、小屋の外に連れられました。外はすでに、眩しいほどに明るくなっていました。  そして、光り輝く太陽が、『この人』の顔を照らした時……  桃太郎はすべてのことに合点がいきました。同時に、どうしてこんな簡単な事に気がつかなかったのかと、不思議に思いました。    彼はあの日、自分を助けてくれた人物のことを、ようやく思い出したのでした。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加