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「なぁ、今日の国語の授業での内容、覚えてるか?」
中学校からの帰り道、俺は隣を歩いている美鈴に声をかけた。
「国語?小説の話だったね。気になるところがあったの?」
「まぁ、ちょっとな」
きょとんとした顔をして、美鈴は首を傾げる。今日の内容はそこまで難しくなかったはずなのにとでも言いたげだ。
確かに今日の授業の内容はそこまで難しくなかった。
それに気になったのは先生の解説の方じゃなくて、小説の内容そのものの方だ。
「ほら、主人公がさ、『どうして自分たちはまだ中学生なのに、将来の夢を決めなくちゃいけないんだ』って話し、してただろ?」
「そうだね」
美鈴は国語にあった小説の内容を思い出そうとしているのか、時折視線を上に向ける。
「そのあとの先生の言葉、覚えてるか?」
「えーと、確か……『人間てのは、目的や目標がないと上手く動けない生き物なのさ。』――だったよね?」
俺は美鈴の言葉に頷いた。
小説の主人公は俺たちと同じ中学生で、将来の夢なんて持ってなかった。だから授業で渡された、「将来の夢は何か」と書かれた紙に何も書かずに提出してしまう。結果として放課後に先生から呼び出された。先生からは「なんでもいいから書け」と言われ、先ほどの話に繋がっていく。
『――人間てのは、目的や目標がないと上手く動けない生き物なのさ。そいつらがあれば、強いモチベーションになったり、少しでも努力するようになる。逆算して、自分の足りない部分も補おうとすることも、どうすれば効率よく動けるか考えることもできる。目的も目標もなければ、ただ流れるだけだ。船乗るときと同じさ。流されて沖に出りゃ座礁したり漂流する可能性が跳ね上がる。目的地があれば、どこが岩場なのか、嵐が発生しているのか、ある程度調べて考えて、回避なりの方法をとる猶予ができる。“人生”とかいう航海で、漂流や座礁をしたくないってんなら、さっさと将来の夢っていう目的地を決めた方が、比較的安全ですよっていう、それだけの話さ。』
その後、主人公に『ま、今ここで決めた夢は変わってもいいんだし、とりあえず上手い飯が食いたいとかでも書いとけばいいさ。それも立派な将来の夢だ』と言って、授業中に提出したプリントを返されてしまう。
「なんていうか、国語っていうより総合の時間に出てくるような内容だったね」
「まぁな、でも、先生の言葉の部分読んでたらさ、俺も主人公と同じ側だったなーって、思ったんだ」
「え、そうなの?」
意外とでもいうように、美鈴は驚いた声を上げた。
「真ちゃん、勉強も得意だし、将来の夢とか考えてそうなのに……」
「考えてはいたんだけどさ、ざっくりしすぎたんだ」
そう、ざっくりしすぎた。「立派な大人になる」というのが夢だった。
「思えば、立派な大人になるっていう夢からとりあえず公務員っていうことしか考えてなかったんだよ。自分にとって何が立派かとか、人生においての具体的な目標とか考えず、周りの言う“立派な大人”に流されてたっていうかさ……」
そのまま流されても別に問題はないのでは――とも、一瞬、思った。でも、それは自分のやりたいことではなく、誰かがやって欲しいことでしかない。自分の将来を、人生を、そんな簡単に流されてしまっていいものだろうかと、今更になって考えた。
きっとこの考えを他のやつに話したら、「何だそれ」とか「今さら?」とか言って笑うんだろうなと、思う。自分だってなんでこんなことを今さらになって考えるのかって、思っている。
でも、美鈴は何も言わない。笑うこともなく、冷やかすこともなく、ただ、真剣に聞いている。
真剣に、俺の言葉を聞いて、何を言おうか考えてくれている。
「――私の考える立派な大人はね、物事を真剣に考えて、自分の夢に対してひたむきに頑張れる人、だと思う」
長い時間をかけて考えた後、美鈴はそう言った。
「ひたむきに頑張れるって、なかなかできることじゃないもん。お金が無くなったりしたら自分の夢を諦めなくちゃいけないこともあると思うし。でも、真剣にいろいろ考えなきゃ、うっかり漂流しちゃったりすることもあると思うの。衣食住そろえてやりたいこともやるって、すごいことじゃん?だから、そういう人が立派な人だなって思う」
あと、優しいところもあると良いかなーと美鈴は笑いながら付け加えた。俺もつられて笑う。確かに、優しい人ところがあった方が、立派でいい大人だと感じた。
きっと、美鈴は、優しい立派な大人になるのだろう。こうして俺の話を真剣に考えて答えてくれるんだから、そうならないはずがない。
なら、俺は?俺にとって立派ってなんだ?
まだ、答えは出ない。出かかっているはずなのに、言葉に出ない。頭の中が、もやもやした霧で覆われて見えなくなっているようだ。
「――そういえば、私の将来の夢って、何だと思う?」
思い出したかのように、美鈴は質問をしてきた。
「学校の先生になる、だろ?」
「あったりー!さっすが真ちゃん」
少し前に「学校の先生になるには成績が良くなくちゃ」とか言って分からないところを俺に聞いてきたんだから、覚えている。忘れるわけがない。
「でもね、実はもう一つあるんだ」
ふと、歩いていた足を止めた。美鈴は一歩、二歩、三歩と先に進んでからこちらに振り返る。
夕日が美鈴の後ろから差してきて、表情がはっきりと読み取れない。何か不安を押し殺しているような、そんな表情に見えるのは、気のせいだろうか。
「その夢は小さいころからずっとあるんだけど、私一人じゃ叶わない夢なんだよね」
「その夢って……」
「――えへへ、秘密!」
美鈴は続きを言わなかった。いたずらが成功したような笑みを浮かべて、もうすぐ着く家の方へ体を向ける。
美鈴の声が少しだけ震えていた気がした。
「……それじゃぁ、また明日ね」
「あぁ、ありがとうな、美鈴」
俺はそれ以上の話題は振らず、美鈴も話そうとしなかった。美鈴は手を振って家の方へ消えていく。
ぱたん、とドアが閉まるのを確認した後、俺は自分の家へ走り出した。
家に着いたら母さんに「ただいま」とだけ言って、自分の部屋がある二階へ駆け込んだ。慌ただしくドアを開け閉めしたから、バタン!と大きな音がドアから立つ。
それでもこの焦る気持ちは変わらない。タブレットを取り出して「学校 先生 サポート」や「職業 先生 助ける」なんかを検索し始める。
――美鈴の小さいころからの夢を、俺は知っている。
忘れるわけがなかった。そもそも「立派な大人になる」という夢は、美鈴とその夢を叶えるためだったから。
『おとなになったらね、しんちゃんのおよめさんになるの』
幼稚園のころや小学生のはじめのころに何度か美鈴が言ったその言葉。
そして、「りっぱなおとなになったらけっこんする」と彼女に誓った幼い自分。
今でもその夢が有効なのは、うれしい。でも、同時に今のままじゃだめだという気持ちになった。
少なくとも、今のままでは美鈴の言う立派な大人にはなれない。美鈴の方が立派で、優しい人間だ。そのまま大人になっても良いくらいに、美鈴の方が先を行っている。
だめだ、こんなんじゃ。
今の自分は泥船だ。簡単に沈んでなくなってしまうもろい船だ。今の自分じゃ美鈴と幸せになれはしない。
これからも美鈴には笑顔でいて欲しい。隣にいて、幸せであって欲しい。
悩んでいることがあれば、話を聞いて相談に乗りたい。傷つくことがあれば、その傷を癒せるような人間になりたい。
俺にできることなら、なんでもしたいんだ。美鈴がずっと笑っていられるようなことがあれば、なんでもしたいんだ。
ずらずらと流れる文字の海の中で、答えを探す。灯台の明かりを探すように、目的地を探るように。
そうして、見つけた。
あぁ、これならきっと、ずっと彼女といられるだろう。悩みがあれば相談にも乗れる。職業としても、悪くはないと思うんだ。勉強は大変かもしれないけれど、きっと頑張れる。自分の人生においても、納得のできる選択だ。
俺の、将来の夢は――。
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