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知り合いの介護事業所の立ち上げをする時にパソコンで言われた通り書類を作成しました。
県の方から事業所認定を頂いた。
事業所を手伝いながら、ヘルパーの資格一級を取得しました。
事業所を手伝っていた私は、事業所の社長さんのお父さんが来られた時に気に入ってもらえ、山で長男さんと暮らしてる家に今日から来てくれと、お父さんの介護をするようになりました。
お父さんの家に住み込み、お風呂介助と食事を作りその他に病院の付き添いや新鮮な野菜が欲しいと使っていない畑を仕事の合間に近所の方に教えて頂きながら耕し野菜を作れるようにしました。色んな野菜の種や苗を買ってきて植え、水まきやら草抜きなどを仕事の合間にしてました。これほど色々な事をしていたのを知っていた事業所の社長家族は、給料はほんの少ししか頂けませんでした。
お父さんの長男さんが一緒に住んでまして、私の給料明細を見た時に給料の少なさにビックリされていました。
長男さんが社長に月5万しかないのは、生活できないやろがと社長さんに言ってくれたが駄目でした。
長男さんが私に食べ物、飲み物、生活が出来る様にきちんとしてくれました。
長男さんは戸籍上結婚されていましたが、お父さんの介護をしていく中で二人の関係が隠れ夫婦関係になりました。
奥さんは長男さんの洗濯はしない、食事も作ってくれない戸籍上だけの夫婦関係と何回も聞いてました。
世間では不倫と思われるのであろうが、お父さんも認めてくれており、いつも嫁と呼んでくれてました。
そのような中、長男さんの妹さんも介護事業所をすることを知って少しして事業所をするにあたって、社長さんとも繋がっていた右翼のかたが事業所設立に当たり関わっていたのでした。
合資会社で事業所を作るみたいで揉めていました。
合資会社の負債は子供や孫まで支払いをするようになるとの事で、妹さんが事業所立ち上げる途中でなげすてたのです。
その時目にとまられたのが私だったのです。
私はいい様に言いくるめられ、断れない状態までもっていかれて事業所をするようになるのでした。
事業所するには、コピー機、パソコン、介護タクシーの🚕二台をローンで払う様になりました。
支払い合計は1000万円近かったと思います。
そんな中、私は長男さんとの子供を身籠り、長男さんに伝えるのを様子みてましたけど、黙っていられなくなりつたえました。
長男さんは仕事上世間体を気にする人で、戸籍上嫁がいてるし仕事場にもわかったら大変だと言われ、堕ろさせられました。
ほんまに辛かったので小さな瓶を持って行っていて院長に我が子の供養をしたいと伝え瓶のなかに我が子を入れて持ってかえりました。
その後も長男さんとお父さんと私とずっと隠れ嫁で毎日過ごしてました。
お父さんは身体障害者二級でして、二級より悪くなってるようなので、長男さんとふたりで病院の院長に話をしました。
二級から一級になりました。
月日が過ぎて行く中で、お父さんが調子悪くなり入院をされる事になりました。 色々とある中で、とうとう事業所の設立日になりました。 長男さんから電話あり、お父さんが危篤と教えてもらいました。
病院には、私達二人の事を知らない人と兄弟も居られ、兄弟が家の片付けに帰ってる間に、二人の事を知ってる伯父さんだけ居るに病院へよんでくれて最後に顔を見ることが出来ました。
病院から出てから市役所に行っている途中(30分後)にお父さんは息をひきとったと連絡がありました。
長男さんから、隠れ嫁が来てくれるのを待っていたのだといわれました。
葬儀の段取りも長男さんとしました。
火葬場も行ってほしいといわれた。 再度、長男さんから身内には何も言わさないからお骨ひろってやってほしいと言われ長男さんと一緒に拾わせていただきました。
それからも長男さんと一緒にくらしてました。
49日の法事の用意を長男さんと前もって段取りしていたのを、戸籍上の嫁と長男が見ていたらしく、二人の関係も一緒に暮らしてる事もバレてしまいました。
49日が終わり長男さんは戸籍上の家族が住む家に、私は隠れ嫁でお父さんの家にて過ごす毎日です。
長男さんが仕事行く朝に帰って来るのを待って朝御飯を食べた後髭そりをしてあげて身支度できた後送りだしてました。
一緒に暮らしてる時から長男さんが風呂に入れば、お父さんから早く風呂にいけと言われ一緒にはいってました。
頭から脚の先まで私が長男さんの身体を洗ってました。
仕事に行った時は、一緒に暮らした時から仕事場に作り立ての弁当を持っていってました。
仕事場の人も二人の関係も知っていました。
私は、長男さんからの愛を頂き幸せ者です。
その後も淡路まで魚釣りにいったり、私が借りていたアパートで食事をしたりしていました。 介護事業所が、利益がかんばしくなく、右翼の方に、裁判所の方に訴えられてました。 私が長男さんにお金を渡し使い込みをしたと、あることない事デタラメな事ばかりでした。 裁判所には、弁護士さんにお願いした上、三回程行きました。 この件では、私が潔白と証明されました。 右翼の方に家を知られてましたので引っ越しをしました。 長男さんとは、仲良くしていましたが、いつの間にか遠い存在の人になってました。 私は二人の子供の瓶をはなみ離さず過ごしていましたが、長男さんの家に送り永代供養をお願いしました。 我が子が永代供養してもらえたのかは、17年たったいまでも分からずにいます。
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