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そして、ある時から王女は変わった。
山賊の下働きを自ら願い出た。どうせ助けがこないのならば、泣いているだけではいけない。
そして少しでもミトに優しくしてくれるようにとアゼルに申し出たのだ。
アゼルはニヤニヤと陰気な笑いを浮かべて、いいよ、と言った。
あれでも律儀な男のようで、王女には何人たりとも指一本触れさせなかった。
王女の白い掌には赤い豆が出来、足は擦り傷だらけだったが、姫もまたミトの為に戦っていた。
王女はミトの為に純潔を守り、ミトは王女の為に穢れる。
そうしていたからといって、命の保障は何一つなかったが、彼らは精一杯の事をしていたのだ。
だが、限界がある。
1か月ほどした時だろうかある時、ミトの部屋から男が転がりだしてきた。
「お、親分、親分大変だ」
「なんだ騒がしい」
「壊れた、壊れた」
「なにがだ」
「ミトの野郎がです」
「なんだと」
慌てて皆が部屋に行くとミトは、一人で歌を唄っていた。
アジョレストの姫様は
世界で一番可愛いな
髪は栗毛で目は赤目
麗しい姫様を
この私めがお守りしよう
アジョレストの姫様は
世界で一番可愛いな
少々お転婆娘だが
麗しい姫様を
この私めがお守りしよう
高貴な鳥と共に
我が姫をお守りしよう
この命に代えても
これは誓いの歌
これは私の魂の歌
アジョレストの姫様は…
何回も何度も繰り返される抑揚のない歌声は、アゼルを凍りつかせた。ハオでさえ顔を背けた。
そして、アゼルは何故かミトを抱きかかえて連れ去ろうとした。
それに気づいた王女は悲鳴を上げて縋りつく。
「殺さないで!お願い!なんでもするから!私がミトの代わりをやりますから!私が抱かれるから、お願い、ミトを殺さないで、お願い」
「どけ、小娘!」
「いや、いや!私のミト!」
「馬鹿野郎、こいつはお前のせいでこうなったんだ!!俺が憎いか!憎いのなら生きろ!こいつがこうなった責任を購え!」
「殺さないで…!」
「誰が殺すと言った!これからはこいつは俺のもんだ!それにな、こいつはお前のものなんかじゃねえ!なあ…王女様気取りの娘さんよ、今のお前は名もない俺たちの小間使いのただの女だ!それを忘れるな!」
アゼルは何故、そんな事を言ったのかは解らない。しかし気が変わったのは事実だろう。ミトに対して惨い事をすることもなくなったし、姫にも体を要求することはそれからもなかった。
生きた歌唄い人形を、アゼルは慈しんでいた。それは間違いのないことだと思う。
そうだ、ミトは歌を唄うだけの人形になった。
王女が手を振っても反応のない、私が罵倒しても聞こえない、寂しい人形だ。
あれからミルグガイに逃げ込んだ一人の騎士によって、盗賊の急襲を報じられたミルグガイの騎士団が姫とミトを救出したことも、彼は解っていないのだろう。
彼は永遠にこちらへは戻ってこれない魂の放浪者だ。
「あまりにも哀しい、そしてなんという高潔な男だ、ミト=クスダ=アジョーレ。このサティは酷く胸を打たれた。私の妻を守ってくれてありがとう。心から礼を言う」
ミルグガイでミトは、自分が最高の栄誉であるトーマ勲章の授与を受けたことも知らない。
…王女の夫となる男は少し頼りなさげだったが、誠実ないい男だと思った。これなら間違いなく王女は幸せになれるだろう。
しかし、と私は思った。
彼だけが不幸せではないか。
私の主だけが何故、不幸なのか。
否、彼はもしかすると幸せなのかもしれぬ。身も魂も投げ出して王女を救うことができたのだから。
しかし私は釈然としなかった。
不愉快だ。
それでは私が不幸だ。
もう彼の腕で空を飛べぬ私こそが、私だけが不幸じゃないか。
「それでミトはどうなったの、エレス」
そう言って無邪気な顔で私の話を聞く少年は続きをせがむが、そろそろこの話もおしまいだ。
私は思い切り嫌味な口調で言葉を続けた。
「ええい、小僧!平民風情が馴れ馴れしく呼ぶでないわ!」
「ごめんねエレス。でも続きが気になって…」
「聞きたいか小僧」
「うん!」
「教えません」
「えっ」
「小便臭いガキなんかには教えません」
「臭くないよ!」
「臭いわ、臭い!…教えて欲しければな、小僧よ。強くなれ。強くなって私が振るえる位に強くなってみせろ。そうすれば素晴らしい真実を教えてやろう」
「…うん。うん!お願いします。…僕ね、ミト様を知っているよ。母さんから聞いた話はそんなんじゃなかったけれど。ヘレスト王女を支えた英雄、ミト=クスダ=アジョーレ。トーマ神に功績が認められて、星になった英雄だと、そう聞いた」
「ああ、そうだ。そういうことにしておけ。誰にも言うんじゃないぞ」
「うん!」
満面の笑みで駆けていく少年を見ながらエレステアは、鋼で出来た自分の心が熱く高鳴るのを確かに感じた。
ここは、宮殿ではない。
貴族の家でもない。
平民の小さな家だ。話を聞けばクスダ家の末裔でもないらしい。
とすれば。私がここで目覚めたことは間違いでも長すぎる居眠りでもないらしい。
私は高貴な鳥だ。物言わぬ愚剣とは一味も二味も違う。
人は私たちのような物を魔剣ともいう。
斬った者の魂を溜め込む性質があるからだ。そして主の治癒に役立てたり、ある種の魔術に用いられたりもする。
そうだ。
秘術を行った。沢山の命は目の前に転がっている。
捕らえられた盗賊共の命を、私は吸った。
命の灯火が消えようとする中、山賊達は泣いて許しを乞うたが、アゼルだけは違った。
それが例え処刑場の上でもだ。
あの男も彼自身が言っていたように、生まれが違えば人生が変わっていたかもしれない。
言いたくはないが、あの男もミトほどではないが、悪くはない男だった。
アゼルが死ぬ間際、呟いた。
「俺な、なんか今ほっとしているよ。なんだか、よ。ミト。あんた、救われなきゃならねえし、俺達は成敗されなきゃならねえ。だったらこの命、有効に使ってくれ、化け物刀」
そして、私は盗賊を処刑し、魔剣としてやるべきことをした。
「…やれやれ、ミトよ。百年後か。随分と遅いお帰りではないか。秘術とは言え魂が蘇り、この世に人間として、そしてこの地に生まれるようにするのはそれ程の労力がいるという訳かね。私がここにいることも偶然ではあるまい。きっとヘレスト王女が誰かに言伝してくださったのだろう。魔法は匂いがつきやすいから、彼が生まれた頃合に私をここへ託してくださったのだ」
そして、私はまた、彼の腕で空を飛べることができるのだ。
ああ、実に愉快である!
【ある剣が語った話】完
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