親切な悪魔が語る慈愛の王の話

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第一王子は首を振ります。よろよろと、後ずさります。 すると追いかけてきた第二王子が第一王子を後ろから抱きしめます。 そしてそのままバルコニーの縁まで一緒に歩きます。違う、と第一王子が言います。第二王子がいいえ、違うものか。この愛はこの世で一番。といいながら第一王子の着ていた上着を放り投げます。一層の歓声をあげて、みな、第一王子の上着を奪い合います。違うんだ、第一王子が言います。 「俺はみなが幸せに暮らせる国を作りたいのだ。天使よ、これは、違う」 「幸せですとも、こんなに幸福な気持ちになったのは初めてです。兄さま」 第二王子が呆然としている第一王子の着ている物をすべて剥ぎ取ってしまうと、全てを階下に放り投げました。 それに群がる人々は次第に熱を帯びます。殴り合います。人を噛み、引きちぎります。 なにもまとわぬ第一王子は、第二王子に後ろから貫かれます。愛を、彼は受け入れます。その愛に彼は涙します。 彼の涙が、バルコニーから階下に落ちます。 すると、一人の娘さんにその涙が降りかかります。するとあっという間に娘さんに皆が群がり、そして娘さんは哀れな姿になってしまいました。 王子の愛が欲しい民衆が一斉に上を向きました。 「あいしています!」 ひとり、頭上に手を上げました。そのひとりをふたりが引きずり倒します。そのふたりをさんにんが踏み固めます。そのさんにんがよにんに積み重ねられます。 城の外には何万人も民衆がいます。それが波になります。二人の王子がいるバルコニーまで行こうと、皆が押し寄せます。人を階段にして、波は盛り上がります。 そして、いつしか波はバルコニーまでせり上がり、何人もの人々が傷つき、傷つけ合いながら、満面の笑みで第一王子に笑いかけます。 「愛しています、私の王よ!」 そこで初めて、第一王子は自分の願いの大きさに気づくのでした。 愛って、万人に平等なんて、きっと嘘なんですもの。自分が一番にならないといけない、それが人間という種族です。 私は人の波が第一王子を攫う前に、第二王子から彼を引きはがし、私の腕に第一王子を引き寄せたまま、翼を広げて空中に舞いました。 第一王子は私を見て、まだ天使よ、と言います。 「俺はあんな愛など、いらない。どうしてあんな事になってしまうんだ」 下界では、みなが争っています。 誰が第一王子の一番か競い合い、みんな波に飲まれて殺し合っています。 何万人が、さざ波のように、中心から、違う街まで、愛の殺意が流れ込みます。 彼等は第一王子を愛するため、戦います。 自分が一番だ、いや、俺が一番だと皆王子の愛の為に死んでいきます。 私は第一王子を抱きしめます。嗚咽を漏らして彼は泣きます。 その涙が落ちる前に私は彼の頬に口づけ、生まれたばかりの塩水を味わいました。 「ここではあなたは王になれなかったようだ。他の国に行ってみましょう。あなたが王になれる国があるかもしれませんよ」 そう言うと、彼はなぜか悲鳴をあげました。 「いやだ、いやだ、おれはこんな王になりたがっていたわけではないのだ」 そう、駄々をこねる彼に私は諭しました。 「そんなこと知っていますとも。だから、いつかきっと、あなたの理想の国を作れるように、私が導いて差し上げますからね」 そして彼は、すぐに三つほどの国を滅ぼしました。彼は人間からするとまるで生ける災厄のようです。 彼に会ったら、愛してしまうんですもの。 ですからね。魂が沢山我々に届きました。 よほどの美食家ではない悪魔たちは、しばらくなかった満腹感を満喫しておりましたとも。 あの方はなんて優しい方なのでしょう。自分がとびきりのご馳走なのに、さらに私達に沢山のご馳走を授けてくださるなんて。 「それで、どうなったのだね」 と、悪魔を呼び出した学者はメモを取りながら尋ねた。 彼は生まれながらにして金に事欠かず、誰よりも頭が良く、この世のあらゆることが彼には出来た。女も男も、言葉にできぬこともやりつくした。 死にたくなる。この世にいても仕方がない。全てがつまらぬのだ。 そこで、悪魔を呼ぶことにした。 古い呪文を唱え、鶏の血で魔法陣を書いた。 すると、天使が出てきた。色素の薄い、美しい白い羽の男か女か解らぬものが、妖艶に笑っていたのだ。 腰を抜かす学者にその、天使のようなものは笑いかける。 「あらら、こうやって呼び出されるのは久方ぶりです。どうも、ありがとう」 そうやって華麗にお辞儀をするのはやはり悪魔の類であった。 お茶を啜りながら、悪魔は自分たちがどれだけ神や教会に貶められて世間に知られているか嘆いた後、自分がどれだけ親切な事をしているかを語りだしたのだ。 だが、学者は思う。 (やはりこいつは悪魔だ。ちっとも親切でもないじゃあないか) でも、やはり最後まで聞きたくなった。学者は善人ではないから、人の不幸は面白いのだ。 「それでその、可哀そう、いや慈愛ある王はどうなったのかね。もう食べてしまった?」 「それがですね、私達の王になりました」 「……は?」 学者はメモをとる手を止めて、顔をあげた。美しい悪魔は2杯目のお茶をふうふう、と覚ましながら話を続ける。 「だってねえ。その場にいるだけで、みんながその方の為に争い、死んでしまうのってそんなの悪魔だってできやしません。だから言ったでしょう?彼は【災厄】になってしまったのだと。そして願いを叶えるまで彼は不死になってしまっていたのですよ」 「でも、君は今、君たちの王になったと」 「だからね。愛して、愛される国って…。終わりはどこにあるんです?」 「なんだって?」 「その国が、終わるまでが願いの終わりじゃありませんか?では終わりのない国だったとしたら?」 そこで、悪魔はもう一度、語った。 私達も予想していなかったことなのですがね。ある時から彼が国を一つ、滅ぼすたびに彼が涙を零すようになりました。 赤い涙をボロボロと零すのです。すると、まるで一粒一粒、ダイアモンドみたいに転がって。 それを齧ると、美味しいんです。 その味はまるで、瑞々しい梨を齧ったようなのに、炙った肉のほとばしる脂を飲み込んだようで、それはそれは素晴らしい濃厚な味わいなのです。 どうしてだか解りませんが、彼はいくつもいくつも芳醇な魂のようなものを私達にお与えくださるのです。 だから、ときたま私達は私達の王をどこかの国に連れて行くだけで、みんなお腹いっぱいになるのです。 私達は、彼を王様、と呼ぶようになりました。 「愛しています、王様」 と言って口づけます。そして、みんなで王様を愛します。 彼の体はたくましくて、それでいてしなやかで。 みんなで王様の体の全てを口づけして、それから。 「愛し合うのです。ねえ、お解りですか?」 と言って悪魔は微笑んだ。 「彼は望んだものが手に入りました。私達は彼を愛しています。本当に食べてしまいたいほど。彼もだんだんと愛してくださるようになりました。これって素晴らしい事じゃありませんか?全て、全て上手くいきました。彼の望みも、私達の空腹も。すべてがうまくいったのです。だから、みなさんのお願いを聞くのをあんまりしないようになったので…申し訳ないことだと思っているのですが。それにしても忌々しい神様たちは、私達が王様と愛し合っている隙に、私達の事を貶めることを平気でしているんです」 そう言って歯噛みする悪魔に学者はまあまあ、と言って。 試しに聞いてみた。 「その王様を見てみたいな」 すると悪魔が、じっ、と学者を見つめた。 「それはお願い、ですか?」 「いや……それは。流石に魂の無駄遣いだな。やめておこう」 「そうですか?……まあ、久しぶりに呼び出していただいたことですし、一つおまけにしましょうか」 「ほんとうかい?」 「もちろん。だって、私達はとっても親切なのですから」 悪魔は懐から赤いダイアモンドのようなものを取り出した。小さな鳥の卵ほどのそれを掌にのせて、覗いてごらんなさい。と言った。 学者はそれを受け取って覗いた。 そこには。 恍惚の顔をした王がいた。 学者は思わず叫んだ。 「愛しています!」 悪魔はやっとぬるくなった紅茶を啜りながら、やれやれ、と思った。 「まったく、我が王はいつでも仕事が早い。だから悪魔は仕事をしなくても良くなったのだけれど。我々は段々怠惰になってしまう」 それもいいかもしれない。 この学者のように悪魔を呼び出すものがいても、王の姿を見せればすぐに自殺する。なぜなら自殺すると地獄に堕ちると神が言うからだ。 我らが王に会いたくて、みんな死んでいく。 「愛って、なんて悪魔的なんでしょうね」 そう言って親切な悪魔は、床に転がっている赤いダイアモンドのような物を拾うと、舌舐めずりしながら、ガリ……と齧ったのだった。 【親切な悪魔が語る慈愛の王の話】完
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