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目の前に積まれた大量の書類の山、山、山。
猿と蟹がまた喧嘩をしている、とか。
ハートの女王がまた怒り狂ってトランプ兵に八つ当たりしている、とか。
改心した兎を、亀達の側が“怠け者に違いない”とレッテルを貼り、逆に差別するようになっているだとか。
娘との関係改善を図ろうとした母親が教育の手を緩めたところ、白雪姫が酷くわがままに育ってしまい、方々に迷惑をかけまくってしまって困っている――だとか。
彼等も生き物であり、意思がある。それだけに、一つ問題を解決して全てが終わったことにはならない。桃太郎の一件だってそう。殆どの鬼と人は和解して仲良く暮らしているものの、漁村の外に出ればそうもいかない。鬼は未だに差別を受け、商品を売るのに支障を来しているという。
最初は人々に感謝されることに喜びを感じていた僕だったが、王様として責任を果たしていくことに段々疲れを覚えるようになってきた。みんなが僕を頼ってくる。僕に期待してくる。最初はそれが嬉しかったはずなのに、いつの間にか僕は一人一人へ向き合って対応するということを忘れていたように思う。
「ああ、そっか……あの子、そうだった」
追憶に耽っていた僕は、思い出した。僕に、最初に謁見した子羊。彼は、七匹の子山羊の末弟だった。まだとても小さかったけれど、母が自分に“王様になってほしい”と願った場面に居合わせていたはずである。
『あなたに、この国の王様になってほしいの。……あなたなら、きっとそれができる。この世界の住人達を、一人でも多く幸せにすることが』
母親がそう言ったあと、彼はちょこちょこと僕のところに寄ってきてこう続けたはずだ。
『ねえ、ヒロ。ぼく達の、ヒーローになって』
それに、自分はなんと答えただろう。
ああ、わかったよ、と。力強くうなずいたのではなかったか。
「約束したのに、何で忘れちゃったんだろうな、僕」
「思い出されましたか」
僕の執務机の隣、秘書が苦笑いをして言った。
「ならばこれから、貴方が何をするべきかはもうご存知のはずです」
「……うん」
この世界に来て、約十年。僕は大人になり、王様になった。子供の頃憧れていたヒーローに、この世界ならなれるかもしれないと信じて。
しかし、それはけして生易しいことではなかった。世界の問題は、解決しても解決してもなくならない。誰かの言い分を聞けば誰かが文句を言い、どこかが平和になれば誰かが涙を流す。理想を追いかけるのに疲れて、僕は約束したことを忘れてしまっていた。――本当のヒーローを目指すのであれば。それはけして、一人ではできないことであったはずだというのに。
「僕は、間違ってた」
英雄が一人でなければいけないなんて、一体どこの神様が決めた。
一人で全て決める世界など、例えどれほど善意からだったとしても――独裁政治と、一体何が違うのか。
「なるべきは……みんなで成る、“ヒーローだ”」
彼等はきっと、あるべき答えに気づいていた。
そしてずっと、僕が思い出してくれるのを待っていたのだ。
おねがい、どうか約束を思い出して。そして私達を頼って、一人で戦わないで――と。
「ヒロ」
もう、迷うことはない。
数日後。謁見の間にやってきたのは、凛々しい青年の姿をした赤い肌の鬼。
幼い頃、彼は確かに僕に言った。そして僕もこう返した。
『ああ、そうとも!なってくれ、みんなのヒーローに!アンタなら、きっとできるさ!』
『ああ、なるよ。僕、みんなのヒーローに!』
あの時と同じ眼で、彼は再び僕に問う。
「なあ、王様。……覚えてるか?」
僕は強く頷いて、告げた。
「ああ、……ちゃんと思い出した。力を貸してくれるか?」
今度はもう、一人きりの姿ではない。
この世界に再びヒーローは舞い降りる――あの日誓った、約束の通りに。
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