おかえりを探す箱の中で

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 グラスを傾ける。透明なガラスのようなジントニックが爽やかな刺激を与えてくれる。静かなバーだ。ここには客は俺しかいない。唯一残された俺だけの場所、俺だけの空間だ。ドラマの中に出てくるようなカウンター席しかない手狭な空間。奥にはボトルが所狭しと並んでおり、ちょびひげを生やしたオールバックの典型的なバーテンダーが、シャカシャカとシェーカーを振っている。だが、流れてくる音楽はおしゃれなジャズでもクラシカルな曲でもない。ボカロ曲やアニソン、アイドルソングといった俺の趣味ではない曲ばかりがくり返し流れている。  だからあるいはアニメなのかもしれない。幼児向けのアニメで出てくるようなバーは、誰もがそれと想像するような型どおりの店が示される。この場所が反映されたのは、おそらくはイズミが俺を閉じ込めるための最適な場所として無意識下で選択したからであって、裏を返せば認識していたんだろう。  俺が、酒に逃げていたっていうことを。 「また昼間から。いいんですか。ヒーロー」 「何回も同じこと言わせるな。招集があるまでは自由なんだよ。それに酔わないとな、やっていけねぇよ。こんな仕事」  お決まりの台詞に悪態をつく。こんな姿、動画配信をされていたら即刻アウトになってしまうだろうが、ここだけは安全地帯だった。  再びグラスを傾ける。アルコールはいつだって体を火照らせ、鈍感にさせてくれる。  結論から言えば、全ては問題を先送りにしていたせいで起こったことだと言えるのだろう。つまり、俺は最後まで、そしてこれからも父親失格だということが決定されてしまったということだ。  イズミの母親が死んだのは単なる不幸な事故だった。それ以上でもそれ以下でもない客観的な事実だ。時折、どうしようもない貧乏くじを引いてしまう奴らを見たことがある。唐突だが残酷でどうしようもない現実だけがのしかかる。  イズミの母親は、車にひかれて死んだ。即死だった。病院に駆けつけたときにはもうすでに、母親は病室ではなく霊安室で寝かされていた。エレベーターが人目につかないような地下へと真っ直ぐに降りていく。小さなイズミの手が俺の手に触れていた。  久しくないことだ。構ってやることのない俺じゃなくて母親にべったりだった。当たり前だ。まだ、5歳の娘だ。何かにつかまっていなければ一人で立つことなんてできない。それに、もしかしたらイズミは見ていたのかもしれない、自身の母親がひかれる瞬間を。聞いたのかもしれない、悲鳴を。  だが、俺はその手を握りしめることができなかった。それよりも先の不安をぼんやりと頭の中に並べてどう処理するかを考えていた。葬式? 職場への連絡? 保育園? 送り迎えはどうする? 生活はどうなる? お金は? 時間は? 足りない。どうやっても足りない。  いや、不可能だ。  スマホの着信がけたたましく鳴った。出るまでもないが、招集だ。 「はい。こちら――」 「急いでヒーロー! ドームの外、A8地点に怪物が出現! ドローンからの映像によると、K878、通称ピーマンキャタピラーと確認! 出動を要請します!」 「りょーかい」  スマホをポケットにねじ込むと、バーテンダーの拍手を背に受けて走り出す。グラスの中に中途半端に残った真四角の氷が、音を立てて崩れた、気がした。  
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