緑陰の揺れる丘

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緑陰の揺れる丘

樹木祭の最終日、後夜祭が始まった。薄暗くなりつつある空のもと、ランタンの住人は、大樹を取り囲むようにして一列に並んでいる。 パンパンと拍手し、鈴樹(りんじゅ)に向かって礼をする。そして神官がもぎった鈴樹の実、鈴果(りんか)を受け取ると、その場で口の中へと放り込み、飲み込んだのを確認してもらう。そしてその証として、それぞれが名簿にある自分の名の下に、指印を押していく。 鈴樹を警備している兵が、あちこちへと鋭い視線を這わせている。儀式の一部始終が監視、管理されていて、それだけでも重々しい雰囲気があった。 誰にも譲れないように。そして誰からも奪われないように。 強固な警備に囲まれて、ただの祭りとは言えない重さがある。 終始無言で粛々となされていくのは、命を繋ぐ、なによりも重要で尊い儀式。 オリエもその列の後方に並んでいた。 ランタンの最高職フューズの娘というだけで、人々はオリエに順番を譲ろうとする。 「オリエンティンさま。どうぞ、前に」 「先に進んでくださいな」 口々に言われて少しだけ困惑しながらも、オリエは一人ずつ丁寧に断りを入れる。 「ううん、いいの、ここで並ぶから。ちゃんと数の分だけあるのだから、食べ損ねるなんてことないわ」 苦く笑いながら、オリエは前を向いて並んだ。列が少しずつ前へ前へとずれていく。 ランタンの住人は相当数にのぼる。だが、一人一人が実を渡されて口に入れるだけなので、直ぐにも順番は回ってくる。 「どうぞ」 オリエは手渡された鈴果を手のひらに乗せ、それを見た。 茶褐色の丸い粒。実というよりは種に近いのかもしれない。 その大きさは、ここランタンの名産品にもなっているパヤと呼ばれる果物の粒より、一回り小さいものであった。 かみ砕かずに飲み込めるほどの大きさだ。 (こんなちっぽけなものが、人の生き死にを左右するなんて……) いつしか悲しげな表情を浮かべていたのかもしれない。監視の兵士に見られてしまったらしい。 「オリエンティンさま、いかがなされた」 いかつい体つきに怪訝な表情。薄暗闇を照らす松明の灯りが、ゆらゆらと揺れるからか、兵士の表情もいつもより固いように見えた。 オリエが幼い頃から、鈴樹を警護している兵士の一人だ。村をまとめている父サンダンと一緒にいるところを、よく見掛けていた。 会えば挨拶はするが、今までにこのように声を掛けられたことはない。 「ううん、なんでもないの。長い時間、立ちっぱなしで大変ね。ご苦労様です」 オリエはそう言って微笑みかけると、手のひらを口元へと持っていった。 ふと視線を上げると、じっとオリエを見つめている神官の視線とぶつかった。その視線から目をそらすまいと、オリエは視線を動かさぬように、その神官の顔を見つめる。 そして、ごくりと喉を動かして、飲み込んだ。 微笑む。神官に一礼し指印すると、列からすっと離れた。 (これで命は繋がれていく) ダウナの二人のことを想うと、それだけで涙腺が緩む。涙が零れ落ちそうになるのを、ぐっと堪えた。 涙がなんの役にも立たないことを、オリエは十分過ぎるほど分かっていた。 無力だ。自分にはどうすることもできない。その痛みは、今も今までもオリエの生を(さいな)んでいる。込み上げてくる痛みをぐっと潰すかのように、握り込んでいた右手を胸に当てた。 だが痛みはあるが、心は晴れやかだった。 厳重に配置された鈴樹の監視から離れると立ち止まり、オリエは清々しい表情を浮かべながら暗闇の中、緑陰の揺れる丘の方角を遠く、見つめた。
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