MAN-BOW

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 マンボウって知ってるか? そう、あのひらぺったくて、大きな魚さ。学名でも、マンボウ科マンボウ属マンボウって言うんだ。ちなみにフグの仲間らしいが、それでもこの分類名を聞くと、何だか特別な感じがするだろう? それだけ不思議な――いや、変わっているがゆえに魅力的ともいえる、そんな生き物さ。大きい物では三メートルを超える個体が存在するらしい。クジラの大きさには到底かなわないが、それでも普通の人よりは十二分にでかい。海にはたくさんでかい生き物が存在するが、その話を聞く度に胸が熱くなるってもんだ。  ……おっと、話が反れたな。戻そうか。今日はそのマンボウの話をしようと思う。積もる話はあるだろうが、一つ聞いてくれ。  マンボウってのは、熱帯と温帯のどの水域にも生息している。その独特の形状に加えて、抱卵数が多いことでも有名だ。一メートル強の物でも約三億粒。これだけ一斉に孵ったら、海の中はマンボウだらけになっちまう。そう思うだろ? ちなみに豆知識だが、マンボウはクラゲ類を食べる。こんなけでかいんだ、エチゼンクラゲとかもいけるのかも知れねぇな。だけど、クラゲ絶滅の危機何てことにはならないんだ。そういう風にできてる。卵や子どもの大半は、他の魚に食われちまう。加えて若い小さなマンボウなんかはサメやらでかい魚やらに襲われちまう。若いマンボウはそれに対抗するためか、群れを作って生活するらしい。それでも、な。無理な時は無理だ。結局、一握りの運が良かったマンボウだけが、でかくなって、一人で海を漂い始めるのさ。  ここに、一匹のマンボウがいる。オスの四歳。分かりやすくするために、このマンボウのことをマンゾウと名付けることにしよう。今からこのマンゾウの物語について話していくぞ。  マンゾウは立派な大人マンボウだ。日本の海にも時々やってくる。その度に仕掛けられた網の目をかいくぐって今日まで生き延びてきた。運も良ければ、泳ぎにもなかなかの自信がある。こういっちゃあ何だが、『できる』マンボウだ。  マンゾウは今までたくさんの海を渡ってきた。こういうとかっこよく聞こえるだろうから敢えて言おう。マンゾウは、七つの海を制覇してきた。(七つの海がどこかは俺にも分からない)  そんな記録を成し遂げたマンゾウは、今思い悩んでいるんだ。『今の自分は、何のために泳いでいるのだろう』ってな。  さっきも言ったが、マンゾウはできるマンボウだ。 そのトップスピードで、サメから逃げきったこともある。(追いつかれる前にサメの注意が別に反れた)  海面に横たわって、空を見上げながら物思いにふけったこともある。(今夜の夕食はクラゲにしようと決めた)  イルカと張り合って、海面からジャンプしたこともある。(一メートル近く飛んでみたけど、海の人気者にはなれなかった)  俺が言うのもなんだが、かなりアクティブでできる奴だ。憎らしいほどグロリアスだ。そのマンゾウがだ。御歳四年にもなって、初めてぶち当たったのがさっきの悩みだったんだ。悩めるマンゾウは考える。『自分はもう若くない。何か生きる目的が欲しい』。 人間だって、年老いたら考えるだろ? 自分の生きがいってもんをよ。まぁ、実際にマンボウの中で何歳からが老齢になるのかは知らねぇがな。  だからマンゾウは、ある決断を下したんだ。『今までは自分のために泳いできた。これからは誰かのために泳げるマンボウになろう』と。そうしてマンゾウは、「愛」を探す旅に出たのさ。  旅は過酷を極めた!!……等ということは無いが、大変にはかわりなかった。この広い海で自分だけの伴侶となる雌マンボウを探す旅。ぶっちゃけ広すぎて無理、と何度も諦めかけた。それでもマンゾウは、自分の中にある未来のお嫁マンボウ像を胸に泳ぎ続けた。口は少し小さめでできれば控え目な子がいいだとか、身体は自分よりも大きければいいなとか、そうそう自分より年上でないとねとか、理想は尽きないものだ。マンゾウは年上のお姉さんが好みだった。そして、手料理にはメアジをそっと差し出してくれるような和美人が好きだった。ちなみにマンゾウの生まれは日本海ではない。  マンゾウは泳いだ。背鰭と臀鰭を懸命に左右に振りながら、流れに身を任せて泳いだ。マンゾウは流れに逆らう生き方を好まない性質だったので、逆行するのは決まって大嫌いなサメから逃げる時だけである。デッドヒートの末に生き延びた時は、自分へのご褒美としてクラゲを食した。そうして、疲れた身体を休めるために月明かりが照らす海面に横たわった。マンゾウの身体はぷかぷかと浮いていた。はたから見ると死んでいるようであっただろう。  この時すでに、マンゾウは五つの海を渡っていた。くどいようだが、場所は言及しないでいただきたい。月を見上げながら、マンゾウはたくさんのことを思い出していた。生まれた日のこと。若き日の自分の悪行。ともに群れをなした仲間たちのこと。そこまで考えて、マンゾウは思い出したのである。  そう、あれはまだマンゾウが一メートルにも満たない坊やだった頃の話。一緒につるんでいた仲間の中に、彼女はいた。控え目な為に目立たない面はあったが、器量がよくそれでいて男を立てることを知っていた、マンミという女性。  ――失礼。話の腰を折るようで悪いが、一つだけ注意書きをしておく。マンゾウが愛を探す旅に出た際、「じゃあ相手の雌マンボウの名前はマン○ね」と、バットでシットな名前を想像した諸兄らは、後で校舎裏にマンゾウさんの粛清を受けに行くように。 では、話を戻そう。  マンミはいわばマンゾウの幼馴染だった。寝ているサメにちょっかいを出そうなどと言う、今では到底考えられないイタズラをする時には、危険だからと心配してくれた。命からがら逃げかえったマンゾウと仲間の雄マンボウたちを見て、無事に帰ったことを喜び泣いてくれた。どこまでも心の美しい女性だった。  マンゾウはここで新たな決断をする。マンミを捜し出そう。そして、彼女とともに泳いで行こう。そう決めたのだった。この時マンゾウは四歳と七カ月。マンミは生きていれば四歳十カ月。辛うじて、年上という条件を満たしていた。それが、マンゾウが彼女を見つけ出そうという決意を後押しする要因となったのである。  マンゾウは泳いだ。流れに身を任せて泳いだ。――いや、流れに逆らってでも泳いだ。もう彼の目にはマンミ以外の何者も映らなかった。いくつもの死線を乗り越えながら、マンゾウはインド洋までやってきた。そこが、彼とマンミの生まれた海だった。  いくつもの海峡を抜け、生まれた海に舞い戻ってきたマンゾウ。そしてそこには、奇跡的なことに、丁度里帰りしていたマンミの姿があった。お互い一目で相手が誰かが分かった――否。互いに相手の存在を感じていたという方が正しいだろうか。なぜならば、マンゾウが彼女を見つけたのは何十メートルも離れた位置のことであり、彼女もまた、マンゾウから幾重にも離れた場所から彼の姿を視認していた。  二人は距離を詰めながらいくつかの言葉を交わした。久しぶりだね。そうマンゾウが言えば、マンミは小さく頷く。いじらしいその仕草に、マンゾウは益々恋慕の情を深めていく。やはり彼女しかいない。我が伴侶として泳いでくれるのは、彼女じゃないとダメなのだ。マンゾウは次第にそんな気持ちになっていった。  対するマンミはといえば、久方ぶりの再会に心を震わせる半面、恥ずかしさに似た感情がこみ上げるのを止められないでいた。一度は仲間とともに連れ添った相手なのに、その時とはまるで違った思いがこみ上げる。昔は何とも思わなかった相手なのに……。今となっては男と女。二人の心が通じ合うまでに、それほどの時間は要らなかった。  再会が全てだった。もう二人はお互いを魂の伴侶として見ていた。何も言わずとも心が通じ合う二人。二人は猛スピードで近付きあう。  後一歩で届く。夢にまで見た、俺の嫁……  もう少しで、あの人の所へ……  お互いの思いが交錯するその瞬間、二人は、  猛スピードで――  ぶつかり合い――    死んだ。  ……どうだ? 心温まる感動的な話だっただろ? 深い愛を感じるいい話だっただろ?  え? 何? 訳が分からない? えー、知らねぇのか? マンボウは、皮膚がすっごく柔らかくて、衝撃にかなり弱いんだ。そんな二人がだ、わき目も振らずに己の愛(身体)をぶつけあえば、耐えられずにぽっくり逝っちまうに決まってんだろ。マンボウは、水族館の壁に激突したら死ぬんだぞ?  ……え? どこが感動的だって? そんなもん、俺に聞くんじゃねぇよ。お前は美しい死に様だとは思わねぇのか。愛ゆえに、死す。己の死を厭わない心からのアタック。かっこいいねぇ。しびれるじゃねぇの。大恋愛の末に、共に死ぬことを選んだ二人。ドラマだねぇ。  ま、絶対真似したくはねぇけどな。
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