手記:本文

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手記:本文

 夏に凄惨な事件があった。三つ。  通過儀礼殺人。電車が通過した後、線路の向こう側で人が死んでいる。  通り魔。犯人の彼女が売春をさせられて自殺したことに起因する。  そしてこれは個人的なことだが、バンドの解散。ボーカルが大手音楽事務所の引き抜きを受けたことや、ボーカルとバンドリーダーがもともと所属していたバンドのメンバーが通過儀礼殺人の犯人であったことなど、いろいろとタイミングが悪かった。  それから、二ヶ月が経った。色づいた葉は地に落ち始め、鼻先をかすめる風が鋭く冷淡になり始めていた頃。僕はしばしばインターンシップでも始めようかと検討していた。就職活動が目前に迫っていた。内申点と体裁だけがよければ気を許してくれるほど、社会は甘くない。  だから正直、内田幸助が最近家を空けていることが多いことになど微塵の興味も持たなかった。ルームシェアをしている私立探偵だ。過去に僕が同級生殺しの犯人と疑われた際に、真犯人を見つけ出した。条件として、当時叔父から譲り受けることになっていた別荘に住まわせろと言われた。しぶしぶ承諾すると、今度はわが家を探偵事務所とうたい出した。おかげで見知らぬ人間がインターフォンを押しにくるようになった。僕は何かと探偵業務につき合わされた。顔見知りとなった警察やフリーライターからは、助手と揶揄される。  そうはいっても、すべての事件につき合わされてきたのではない。私立探偵業で得た報酬で生活できているし、僕の本業は大学生だった。夏の事件でひた隠しにしていた探偵とのルームシェアはごく親しい人物の間では知るところとなったが、僕は今も社会学部の優良学生として勉学や部活動に励む日々を送っている。  内田が家を長いこと空けることは、何度もあった。帰ってくればお疲れさま、と声はかけるものの、深くは聞かない。内田の仕事には心底興味がない。彼にしても、僕のかける「お疲れさま」が便宜上の体裁を帯びたものであることを知っている。だからこそ、返事をしない。  だが、今回に限っては様子が違った。
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