手記:本文

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 休日。冬休み前のレポート課題を済ませてしまおうと、ノートパソコンと向き合っていたときだった。インターフォンが鳴った。  出てみれば、長身の男が立っていた。  目算百八十はあるのではないだろうか。薄くストライプの入ったスーツを着こなし、青いネクタイを締めている。右に行くにつれて前髪が長くなっているのは、見え隠れしている眼帯を隠すためか。浮かべた笑みが固まってしまったのを自分でも感じた。 「怪しい者じゃない、って言い方は明らかに怪しいな」男は名刺を差し出した。「西林のぼる。新宿でバーのマスターをしている」 「西林のぼるさん」両手で名刺を受け取る。「私は、永井聡太郎と申します。探偵は内田という者なのですが、生憎彼は不在でして」 「不在」仏頂面は片目の視線が泳いだことで初めて崩れた。「いつから不在なんだ?」  いつから。内心で引っかかる。その質問は、彼が内田幸助のことを知っていなければ出てこない。もう少し言うなれば、家を空ける前の内田幸助に接触のあった者から出る質問だ。まったくの初対面であれば「いつから」ではなく「いつ戻るか」が気になるはず。  僕はやんわりと微笑む。「失礼ですが、内田とはどのようなご関係でしょうか?」 「ん? あー、恋人?」 「え?」  思わず訊き返してしまった。情報が完結しない。内田の性癖はそっちだったのか。いや、そんなことは勝手にすればよいのだが。 「――の、友人」  仏頂面が、今度はほんの少しだけ柔らかくなっていた。確信犯だ。 「そうだったんですね」感情を作り笑いで上塗りする。「恋人さんのお友だち」  と言われたところで、思いあたる者などなかった。そもそも、目の前の客人を知らない時点でその恋人を知っている確率の方が低いはずだ。 「どうやら――その感じだと君は何も知らないようだな」 「と、いいますと?」 「単刀直入に訊くが、幸助の過去についてどの程度知っている」  幸助。呼び方がわずかに引っかかる。内田とは中高と同じ学校に通っているが、幸助と呼ぶ者はいなかった。あまりにも他者との距離を取ろうとするかたくなな姿勢が、自然と周りの接し方にも影響を与えたのだろう。  彼を幸助と呼ぶ者は、彼の叔父が健在であった頃から彼を知る警察官くらいなものだ。  口を開いた。だが、何も音にならなかった。ぼんやりとした外郭を答えることはできる。同時にできたとしても、意味がないことに気がついている。  笑みを取っ払い、見える片目を見返す。 「知りません。何も」  間があった。 「なんだ、聞いていたよりもマシじゃないか。幸助は君を目の敵にしていたが、そんなことはない。気にいった」 「はあ、どうも」  答えようがない。作った仮面は脱ぎ捨ててしまったので、今さら付け直すのもわざとらしくて仕方がない。ペースを握られている。否、最初から握られていた。会話で相手よりも優位に立つ方法の一つは、情報量だ。相手よりも多くの情報を持つこと。  僕は西林を部屋に上げようとしたが、断られた。加えて、内田の過去について自分から話すつもりはないのだと宣言した。 「確かに君は今まで、幸助の復讐を手伝わされてきたのかもしれない。が、この件だけはこれ以上知るべきじゃない」  同意見だ。面倒ごとに巻き込まれるのは、夏の事件で最後にさせてほしい。 「それを決めるのは、僕自身だと思います」  それでも、はっきりと抗議した。探偵助手というはたからの評価を体裁上は受けいれている者として、相棒の事情を知らないわけにはいかないという正義感を醸し出す。だからといって、西林が語り出すことはないと察していた。片目を眼帯で覆わなければならない事情が、絡んでいるような気がした。 「いいや」  案の定、西林は首を横に振った。 「君がまともな人間だとわかった以上、踏み込ませるわけにはいかない。君にはできないだろう? 幸助を殺してでも自分は生き残るだとか、逆に自分が殺されてでも幸助を救うことが」
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