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黒の皮ジャンに着替えてステージに立った柊の姿を認めたとき、なぜか心臓が高鳴った。
彼が手にしているのは片手で持ち歩きのできるタイプのキーボード。タンタンッとドラムの助走がはじまると共に、流れ出すメロディー。ドラムに追従するウッドベース。そしてキーボードの主旋律が重なる。嬰ハ長調。重なった瞬間、鳩尾を抉られるような感覚に陥る。官能的に動く柊の指先。ピアノとは異なる、彼の、生きた音色。
ロックともジャズとも形容しがたい独特な耳に残る音楽の世界。
レイヴンクロウ。というのが彼らのバンドの名前らしい。確か、ワタリガラスという意味があったような……だから全員黒い格好なのだろう。
三十分弱の演奏を終えて、彼らはステージから姿を消す。わたしの拍手は彼に聞こえただろうか。
「拍手してくれたんだ」
スタッフオンリーと書かれた扉から躊躇いなくでてきた柊を見て、思わず泣きたくなる。くしゃくしゃになりかけの顔を引き締めて、わたしは呟く。
「……礼文(アキフミ)でレイヴンなんだ」
「そのとおり」
「見せたかったもの、ってコレ?」
無言で頷く柊。わたしはもう一度、ぱちぱちと彼にだけ拍手を贈る。
「元気でたか」
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