chapter,5 シューベルトと婚約の試練

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 星空色のドレスを身にまとい、白銀の蝶を髪に遊ばせたミステリアスな元ピアニスト。詩のピアノが「動」だとすれば、わたしに期待されるのは「静」だろうか。けれど、彼女のペースに巻き込まれたわたしの呼吸は荒いままだ。この場で弾かないと、章介はアキフミとわたしの婚約を認めてくれないのに……どうしよう。  俯いた状態で指先を白鍵に乗せて、必死になって脳裡に譜面を描こうとする。ショパンの「革命」を選んだ彼女のように、自分がいまここで弾くべき曲を……それなのになかなか演奏をはじめようとしないわたしに苛立つひとびとのざわめきに邪魔されて、身動きが取れない。石のように動かない指を前に、やっぱりダメなのか、と心が折れそうになった、そのとき。 「――Sonata “GrandDuo”」  ふいに、ざわめきが遠のく。  耳元に、だいすきなひとの声が届く。  背後からアキフミに抱きしめられているのだと、気づいたわたしは慌てて俯いていた顔をあげる。視線が、絡む。 「一緒に弾く」 「……アキフミ」  大丈夫、こわくないよと微笑みかけられて、わたしの鼓動が落ち着いていく。  わたしはこくりと頷いて、椅子の位置をずらす。当然のようにアキフミがぴたりと密着するように隣に座って、「せーの!」と場違いな声をあげる。
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