prologue シューベルトの妻

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   * * *  音大附属高校の受験にわざと失敗してやった。  ママは、繊細なあなたのことだから、緊張しちゃったのね、なんて楽観的に言うけれど。本当のことを知ったらきっと卒倒してしまうだろう。少しだけ罪悪感。  それでも、わたしは宿命から逃れられないらしい。世界を飛び回っているベテランピアニスト|鏑木壮太(かぶらぎそうた)の娘という肩書きが、ピアノからの離別を許さない。結局、県立の芸術高校に入って、毎日毎日ピアノ漬けなのだ。  義務感で仕方なく弾かれているピアノにとってみれば、わたしみたいな怠惰な弾き手は遠慮したいことだろう。練習室のグランドピアノを好き勝手に弾きこなすことができても、気持ちが白けているからか、人を感動させる音楽を、奏でられていない気が、する。  弾いていても楽しくない。スタッカートの切れが悪いとか、アルペジオが汚いとか、些細な失敗が、余計にわたしを苛立たせる。
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