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「わが師プラトーン。最近は『クリティアス』と『ヘルモクラテス』の執筆にますます精力をかたむけられているようですね。書き損じのパピルスの費用だけで家が建つという噂も聞こえます。9000年前のアトランティスとの攻防からソロンの改革までのアテナイの社会の歴史を描き出す『クリティアス』と、あるべき社会構造を論じるために諸国の法律を検討しつくす『ヘルモクラテス』、いずれも資料の準備だけでも数年がかり、ましてやそれを対話篇の形で生き生きと描き出すのは、師よ、あなた以外の人間にはできない仕事です。これがもし未完に終れば、人間の歴史にとってどれほどの痛手でしょうか?」  ある日アリストテレースは講義が終ったあとのプラトーンに、いつもの回りくどい話し方で、そう切り出した。  そして手に持った肩幅サイズの立方体の木箱を膝に置いて続ける。 「……そこで、これまでも何度か提言してきたことですが……いま執筆中の『クリティアス』と『ヘルモクラテス』の内容をダイジェストで論じる今年の講義の内容を記録し、後世に遺していただけないでしょうか?」  エクセドラ(議論場)の演説台から降りて手近な座席に腰かけた老プラトーンは悲しそうな目でアリストテレースを見た。そして弟子に向かってこう答えた。 「アリストテレース、そういうんじゃないんだよ。大切なこと、わたしが一番伝えたいことこそ、文字にしちゃだめなんだ。文字にしたら形骸だけの、だれでもコピペできるものになってしまう。でもそれは本当の理解とは違うんだ。わたしがいつもキャラクターを配置して物語仕立ての対話篇の形で書いているのは、そのギリギリの形だ。物語の中でソークラテースをよみがえらせ、その状況で、その相手に対してだけ言う、その瞬間の言葉だけでしか伝えられないことがあるんだ。内容だけ文字にして書き表したら、失うものがあるんだ。本の虫で、執筆量も膨大なおまえには理解してもらえないかもしれないが……」 「師よ、ご安心ください。以前お見せした、エジプトの技術を使ってパピルスの書物と他の参照先のパピルスへの関係性を光の線で可視化する『ヒュペル・リンク』とは、今回は別です」
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