幸せとは不幸の反動の基にあり、不幸とは幸せの反動の基にある1

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 根本     人間は自分のために人を利用する。  自分の都合の良いように他人を動かそうとする。  自分に都合のいい他人を側に置こうとする。  これはごく当たり前のことで本来であれば気にもとめないようなことであるかも知れない。  しかし意識的に気にとめないだけで無意識に不満を感じている人は多いのではなかろうか。  普段の日常のささやかな人間関係、学校の友達、会社の同僚などなど、人間は他人と関わって生活している。そして常に他人を求め求められようとしている。  しかしいざ関わってみれば様々は弊害が生じる。  それは当然のことだ。  なぜなら人間は自分のために他人と関わるのだから。その他にそれ以上もそれ以下の理由も存在しない。  人は人を利用して生きている。  だがその程度は人によって異なり、自分の都合の良いようにしたいと思う欲が強ければ強いほど他人を意識的にか無意識的にか利用しようとし、逆にそこまで強くなければ他人に求めるものも自然と少なくなるため利用頻度と度合いも比例して少なくなる。  友達とは良いものだ。よく小さい頃なんかは耳にする言葉かも知れない。  しかし本当にそうだろうか。  そもそも誰が友達とは良いものだと決めたのだろうか。  それは明確に誰とはわからないが確実に言えることがある。  それは友達という言葉を生み出しそれを良いものだと言い始めたのも人間に他ならないと言うこと。  友達と遊ぶとき、友達と協力するとき、ご飯を食べるとき、全て自分のため、自分が楽しむため。常に自分という土台を基本に動いている。  そんなの誰だってそうだろと思うかも知れない。  そう、例外なく人間誰だってそうだ。  しかしこの考えだからこそ人の悩みの九割は人間関係だとされ、少しの小さなことにストレスを感じやすくなる。  そしてこの当たり前の摂理で生きやすい人と生きにくい人との違いはどれだけ他人を利用してまで自分の利益にしたいかの気持ちが強いか弱いかにある。  考えてみればそれはそうだろう、自分のために他人を求める世の中はまさに戦場、利用するかされるかだ。  その戦場で攻撃に徹しず防御にばかり徹してたらいつかは必ずやられる。 守ってばかりでは勝てないのだ。  故に世の中とはプラスを求めて行動する人間か、一方でマイナスを避けることを考えて行動する人間かでその戦場での勝敗は分かれてくる。  つまり欲プラスの欲が湧かない人間には不利な世の中なのだ。  理不尽。尋常じゃなく理不尽。  これが誰かが幸せになれば誰かが不幸になると言われる原点でさえと思っている。  こうして見るだけでも友達とは全く良いものではなく、利用するか、されるかの関係とみることだって出来る。  俺は世の中が嫌いだ。なんの希望もないこの世界。あらゆることに希望がなく、それでいて嫌なことや物理的痛みだけを感じるこの身体はなんて不便なのだろう。  いっそのこと全て消したいくらいだ。  しかしいくらそんな風に考えても痛みを感じる以上人は中々自ら命を絶つことは出来ない。  簡単に人生ギブアップさせてくれないのだ 。  ああなんで今日も生きなければいけないのだろう。  この利用し合いの汚い世の中で。  なんの楽しみもなくただ漠然と嫌なことから逃げながら。  俺は今日もそんな風に考えて絶望する。
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