この柱の中には…

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この柱の中には…

あの駅を使ったのは、その日が初めてでした。 前日の夜、久々に会った友達と部屋で騒ぎながらお酒を飲んでいたら、終電を逃してしまったので、朝その無人駅から始発で帰ることにしたのです。 時刻は5時過ぎだったと思います。 夏場ならもうとっくに明るい時間帯でしょうが、あれは冬だったのでまだ辺りは暗がりでした。 そこが無人駅だからなのか、まだ時間帯が早いからなのか、はたまた曜日の関係かは分かりませんが、ホームには私以外、誰もいません。 駅まで送ってくれた友達とも、改札の前で別れてしまったので。 電車が来るまでの数分間、私は冷たく肌を突き刺すような風を直接受けながら1人待っていなくてはなりませんでした。 なんか、寂しい駅だなぁ。と思いました。 普段私が、ほとんど駅を利用しないからかもしれません。それか、稀に利用する駅が飲食店なども含む大きな駅だからかもしれません。 ポスターの1枚すら貼られていない、かと言って荒れているわけでもないこの無人駅は、停車駅というよりも、通過駅という感じがしました。 ひっそりと、孤独。 そんな印象です。 その柱に目が行ったのは本当にたまたまだったと思います。 私の立っている位置の右隣、少し離れた位置にある、コンクリートでできた屋根を支える柱は随分と太く、存在感がありました。 暗い中でもきちんと認識できるほどに。 近づいてしまったのは、何となくだったのでしょう。あ、と思ったときには手が触れられる距離でした。 ヒュオオオオオオ その時、風が急に強くなった気がしたのです。 今考えてみれば、おかしな話ですが、 このときの風は、冬特有の尖った痛みのある風でなく、もやっとした、熱帯夜に吹いた強風みたいな風だったのです。 ヒュオオオオオオ また、強くなってる。 ヒュオオオオオオオオオオオオ… また。 …おかしい。 ヒュオオオオオオオオオオオオオオオオオオ もしかしてこの柱から、風が吹いている…? すぐに柱から離れたい衝動に駆られました。 でも、足が動きません。 まるで自分の足じゃないみたいです。 足だけではありません。カバンを持った手も、顔の向きすら変えられません。 何かに呼び止められている、 そう思いました。 風の音と、カチカチと鳴る自分の歯の音だけが強くなっていきます。 目の前の柱は、黒いモヤを吐き出しているように見えました。 じっとりとした何かがはい出ようとしているような。 やだ、怖いっ ここから早く離れたい!! ヒュオオオオオオオオオオオオオオオオオオ… 突然、後方からカッと強い光が指しました。 ガタンガタンと回る車輪の振動、間違いありません。電車です。 助かったと思いました。 ヒュオオオ… 風の音が小さくなっていく。 「え、?」 自分が息を呑んだ喉の冷たさで、体が自由になりました。  そして同時に目に飛び込んで来たのです。 『この柱の中には 私の殺した死体が入ってる』 電車のライトに照らされて、よりはっきりと、その小さな文字は柱に浮かび上がっていました。 『この柱の中には 私の殺した死体が入ってる』 細い鉛筆か何かで書かれたような薄い文字。 それがこちらをじっと見つめているようでした。 『この柱の中には 私の殺した死体が入ってる』 …その後のことはよく覚えていません。 無我夢中で電車に飛び込んで、家に帰ったはずです。 しっかりとこの出来事を思い返したのは、部屋でコートを脱いだときでした。 あの柱に本当に死体が入っていたのかはわかりません。 非現実的な話ですし、ただの落書きだったんだろうな、と思います。 でも、あの柱の中には確実に何かがいて、私はそれに触れたのです。 それだけははっきりしています。 勿論あれ以来あの駅には行っていません。 多分、これから先も利用することはないでしょう。 【完】
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