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それは、今までどんな映画やドラマで見たよりもきれいな右ストレートだった。
踏み出した左足の上履きが、きゅい、と音を立て、身体が半回転する。振りかぶらずに真っ直ぐに繰りだされた右の拳が、最短距離を通って相手の頬で音を鳴らした。咄嗟のことに抵抗できずよろよろと後ろによろめいた相手に追い打ちをかけようとするその肩に縋り付いて、私は言った。
「もういいよ、お母さん、もう十分だってば!」
拳の持ち主が振り返って私を見つめた。切れ長の瞳が興奮でキラキラと光っている。
「ね、もういいから。もう帰ろう?」
「何言ってんの。こういうやつはとことん潰しとかないと後であんたが困るのよ」
そんなこと言ったって、と私は途方に暮れた。
素晴らしいパンチを繰り出したその人は、女性と形容するのも不似合いな、どちらかというとまだ少女だ。
セーラー服の襟元から細い首筋が覗く。このきゃしゃな体のどこから、あんなに力強い拳が繰り出されたのだろう。
「帰ろう、お母さん、ね?」
自分と同じくらいの年代の少女に向かって「お母さん」と呼びかける私を、殴られた相手が気味悪そうに眺めていた。いかにも痛そうに、殴られた頬を押さえて、嗚咽をもらしている。
私だって、と私は思う。私だって泣きたかったんだ。
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