#1 ガール・ミーツ・ハリボーイ

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#1 ガール・ミーツ・ハリボーイ

「名前はカイトだよ」と言う(みなと)くんの手の中で、とげとげの生きものが白い顔を見せていた。  背中にはびっしり針が生えているけれど、顔の毛はつやつやとやわらかそうだ。耳がけっこう大きい。真っ黒でくりっとした目。  玄関の床に置かれた、大きな水槽のようなケージ。その中に湊くんがそっと下ろすと、すんすんと鼻を動かして、辺りの匂いを嗅ぐ仕草を見せた。すぐにテントのような形をした寝床にもぐりこんだけれど、顔だけ出してこっちの様子をうかがっているみたいだった。  湊くんがメモ片手にお世話のしかたの説明をしてくれるのを聞きながらも、私の視線はついついケージの中に向いてしまう。  ペットショップ以外で本物のハリネズミを見るのは初めてだった。  そのハリネズミ、カイトは、こげ茶色の鼻を時折ひくひくさせている。あ、まばたきした。かわいい。 「おい、円佳(まどか)。ちゃんと聞いてるか?」  (そう)くんに名前を呼ばれて、慌てて「聞いてるよっ」と答えた。  カイトのお世話をするのは私なんだから、しっかり聞いておかなくちゃいけない。ゆっくりと喋る湊くんの声に、私は意識を戻した。 「それでね、ごはんはこれ。何種類かのフードを混ぜてあるんだ。中に入ってるスプーンで山盛り一杯、このお皿に入れてね」 「うん、わかった。山盛り一杯ね」 「うちではいつも夜の八時頃に水とごはんを新しいのに交換してる。でも時間は多少ずれても大丈夫だからね。成瀬(なるせ)さんの都合のいい時間でいいから」 「わかった」 「そのときに、ペットシーツも交換してあげてほしいんだ。敷いてあるのをはがして、ケージの床をこのウェットティッシュで拭いて、新しいのを敷くの。使用済みのペットシーツはゴミ袋にまとめておいてくれれば、あとで一緒に引き取るから」  横から宗くんが「いいよ、それくらい。こっちで捨てる」と言葉を挟んだ。 「燃えるゴミでいいんだろ?」 「え、でもそんな。申し訳ないです」 「別にいいって。わけて置いとくほうが面倒だ」 「えっと、じゃあ、お願いします。ありがとうございます」  しゃがんだまま、頭だけでぺこりとお辞儀をする湊くん。さらさらの黒髪が揺れた。  説明がひととおり終わると、私は湊くんから受け取ったメモを読み返した。わからないことがあれば今のうちに聞いておかなければ。  と、宗くんがケージの中にゆっくり手を入れた。寝床から顔を出しているカイトの鼻先に、手の甲の側をそうっと近づける。  カイトは少し顔を引っ込めながらも、宗くんの手の匂いを嗅いでいる。すんすん、すんすん。なんだか不思議なものを見るような目になった、気がした。 「ずいぶん人慣れしてんな。生まれたときから飼ってんのか?」  宗くんは控えめな声で言った。湊くんが首を横に振る。 「そういうわけではないんですけど。うちに来たときからこんな感じで」 「ふーん。ペットショップ?」 「いえ、えっと、人からもらいました」 「ああ、里親か。だから慣れてんだな」  ひとり頷くと、宗くんは入れたときと同じくらいゆっくり、ケージから手を出した。  私はいくつか湊くんに質問をする。湊くんはどれも丁寧に答えてくれ、そして最後にケージの中をのぞきこんで、さっきの宗くんのようにカイトの顔の前にそっと手を出した。 「じゃあね、カイトくん。成瀬さんに面倒みてもらって、元気で待っててね。月曜日に帰ってくるからね」  私やクラスの子と喋るときと変わらない口調で語りかけている。カイトは鼻をひくひくさせながら、わかってるよ、とでも言うようにぱちぱちとまばたきをした。 「じゃあ、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」  立ち上がると湊くんはそう言って、深々と腰を折り曲げた。つられて私と宗くんも頭を下げる。 「最近の小学生はしっかりしてんなあ」  玄関のドアが閉まる間際、再びぺこりとお辞儀をした彼を見て、宗くんが呟いた。
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