夏の記憶

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「なあ、隆志。お前、覚えてるか?」  響き渡るブラスバンドと打ち鳴らされるメガホン。鳴り止まない声援の中、金属バットが芯を食った時の小気味よい音が、球場内に歓声と静寂を同時に呼び起こす。吹奏楽部員と背番号のない選手達で構成された北潮高校応援団を真下に見下ろす応援席で、瑞樹が言った。  北海道の甲子園出場校を決める南北海道大会は、札幌円山球場で行われる。  正確には円山球場と限定されているわけではなく、実際、過去に函館で行われたこともあるそうだが、北海道で生まれて十年以上野球をやっていて、隆志は円山球場以外で南北海道大会が行われているのを見たことがない。  今日の南北海道大会決勝戦もまた例年通り、円山球場で十三時に試合が開始した。  甲子園出場回数全国一位を誇る南北海道の名門・北潮高校と、過去に夏の甲子園優勝経験のあるこれまた名門・陽澤大学付属苫小牧高校の決勝とあって、地下鉄円山公園駅から徒歩十五分程のところにある球場には、多くの高校野球ファンが詰めかけている。北潮高校伝統の全校応援も陽大苫小牧の有名なコンバットマーチも初回から息の合った応援合戦を繰り広げ、試合は五回裏を終わって四対一、北潮高校三点リードの状態でグラウンド整備の時間を迎えていた。  隆志と瑞樹は共に北潮高校のOBなので、学校関係者しか入れない応援席の上方に陣取っている。真夏の強烈な陽射しの照り返しで、グラウンドの黒土が蜃気楼のように揺らいで見えた。本州出身者に言わせると北海道の夏は湿度が低くて過ごしやすいらしいが、生粋の道産子に言わせればそれでも夏は暑い。青一色の空には雲の切れ端さえもなく、近くの神宮の森から飛んでくるのか、時折、鳶とも鷹ともつかない大きな黒い鳥が現れて、球場の上空で孤を描いて飛んでいた。 「何の話だよ?」 「あの時、お前、全然嬉しそうじゃなかったよな」  隆志と瑞樹は同じ道南の港町出身で、保育園も小学校も中学校もずっと同じクラスだった。というより保育園にも小学と中学にも、クラスが一つしかなかった。小学三年生で野球をはじめた時からずっとチームメイトであり、高校で札幌に出て来てからも隆志がピッチャー、瑞樹がキャッチャーとしてバッテリーを組んできた。こいつとの思い出ならば星の数どころか砂の数くらいはある。それでも「あのとき」の四文字だけで、今、瑞樹が何の話をしているのかはすぐにわかった。 「別にお前だって、喜んじゃいなかっただろうが」 「いや俺は嬉しかったぞ。一回諦めたけど、結局、最後まで野球やって終われたんだ。しかも優勝したんだから、俺は結構、満足してた」 「瑞樹お前、あんなもんで満足するなよ。あんな――」  ――優勝しても甲子園に行けない大会で。  思わず口に出して言ってしまいそうになった時、グラウンド整備が終わって陽大苫小牧のベンチから選手達が飛び出して来た。女子生徒の澄んだ声のアナウンスが札幌円山球場に響き渡る。  ――六回の表、北潮高校の攻撃は七番ライト・田中君。  隆志と瑞樹が高校三年の夏の大会。それは優勝しても甲子園出場の望みのない代替大会と呼ばれるものだった。
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