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第3話 眠れぬ亡者、生ける刑事を襲う(後)
『ここは……どこ?あの人は、どうしたの』
女性の霊は顔を上げて不安げな表情を見せると、弱々しい声で言った。おそらくこれが溝口裕美の霊に違いない。
「ここは立体駐車場の最上階で、俺たちは刑事だ。早速だが、あの人ってのが誰のことか、教えてくれないか」
俺は霊の正面に立つと、「この人かい?」と言って大垣が映っているタブレットを見せた。
「その人……うう……『男爵』……」
俺は大きく頷くと裕美の霊に向かって「ありがとう。やはりな」と言った。
「兄貴、『男爵』って何です?」
「帰ったら教えてやる。それよりせっかく霊とご対面できたんだ。お前さんの方は何か聞きたいことはないのか?」
「え、俺ですか?いやその……は、はじめまして。刑事の犬塚です」
ケヴィンが素っ頓狂な挨拶をすると、裕美の霊は「刑事……」と呟き目線を逸らした。
「兄貴、嫌われたみたいです」
半べそをかいて訴えるケヴィンを、俺は「最初はそんなもんだ」と宥めて脇にどけさせた。
「出てきてもらったついでに、少し図々しいお願いをしてもいいかな、溝口さん。あんたの一部を切り離して、この『死霊ケース』に入れて欲しいんだ」
俺がマッチ箱大のケースを取り出して見せると、裕美の霊は顔を上げ「うう」と呻いた。
「……なに、ちょっと捜査に同行してもらうだけだ。一区切りついたら元に戻す。あんたを成仏させるため、協力してもらえないかな」
『うううう』
裕美の霊が宙を睨んで呻くと、やがて肩のあたりから小さなもやっとしたものが飛びだし、俺が手にしているケースに飛び込んだ。
「ありがとう。これで捜査がはかどるよ。事件が解決したら報告に来るから、それまでゆっくり休んでてくれ」
俺が霊に礼を述べてその場を立ち去ろうとした、その時だった。突然、裕美の背後に黒っぽい影が揺らめきながら現れたかと思うと、触手のような物が裕美の霊に絡みついた。
「――なんだ?」
俺が身を乗り出すと、俺の足元にも黒い水たまりのような影が出現した。危険を感じた俺が振り払おうと足を上げると、今度は黒い触手が現れて俺の足に絡みついた。
「くそっ、邪魔する気か」
俺は蛇のように体をくねらせる触手からどうにか逃れようと、必死でもがいた。
――こいつ……亡者の一味だな。
俺は腰のベルトから対亡者仕様の特殊警棒を抜くと、足元の影に向かって突き立てた。
「ぎゅおうっ」
影は苦し気にひと声、呻くと身をくねらせながら床に吸い込まれていった。
「兄貴、大丈夫ですか?」
ケヴィンの声に我に返った俺は、裕美を見ようと顔を上げた瞬間「あっ」と叫んでいた。
「いない……」
裕美の霊がいた場所には霊も黒い影もおらず、何もない駐車場の床だけが見えていた。
「畜生、奴め貴重な『証人』を連れ去りやがった」
してやられたという無念さで俺が思わず歯ぎしりすると。ケヴィンが「兄貴、ケースを落としてます」と言った。慌ててケン坊が示したあたりを見ると、先ほど浮遊霊を収めたはずの『死霊ケース』の蓋が開いて空の中味を晒しているのが見えた。
「なんてこった、せっかく同行を願おうと思った『参考人』までが消えちまった……」
俺はがっくりと肩を落とすと、緩慢な動作でケースを拾った。
「兄貴、落ち込むことないっスよ。気を取り直して、次の捜査に行きましょう」
ケヴィンに慰められた俺は、軽口を叩く気力もなく「そうだな」と返して天井を見上げた。
――『ヒュドラ』と亡者の間に関係があるとしたら、簡単には片付かないだろうな。
俺は特殊警棒をしまうと、不安げな顔のケヴィンに「行こう。もうここには何もない」と言った。
〈第四話に続く〉
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