音闇クルフィ

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??:?   ──電話は、好きじゃない。 声だけじゃ、本当の想いは完璧には伝わらないのだと、その男は、思って、考えていた。 周りの者に冷酷と言われる彼に、こんな一面があるとなれば、社員の何人かくらいは、好印象を寄せるだろうか。  電気も付いていない、タワー内の一室で、相手の声の振動波形を想像しながら、彼はいらいらした様子で、赤い印を付けたボタンを押す。 彼が相当に機械音痴であることは、部下にはまだ知られていない。 やあ、と受話器の向こうの者が挨拶をしたと同時に、男は、要件を切り出した。 「体質が変異する子どもが、人間に増えているというのは、確かなのだな。今までは信じたこともなかったが、今日、確かめたよ」 電話越しの男は、それを聞き、やっとわかってくれたかというように、早口で語り始めた。 「──おそらく、魔族たちは人間を惹き付ける特異なフェロモンを持っているだけではなかったのだよ! 私の考えでは、魔族と人間が関わる空間では、今までは普通の人間として育っていた子どもの正常発育におけるなにかが歪み、エネルギーとして引き出してしまうのだっ!」 その男には、今さら、彼のこの奇妙なテンションに突っ込みを入れる気力はなかった。 昔馴染みだが、変わらない性格である。 「何かってなんなんだ。漠然として、関係性への根拠が乏しい」 「焦るな。だから、今研究しているのだろうが。そんなものはない、という態度を取り続ける上にも内密でな」 「すまない。そうか。リミッター破壊の方は」 「まだ、抑制の限界が測れていないだろう? 振りきれるくらいの力があるやつが、そのうち、出てくるはずさ。ちまちました抑制の呪いを解きほぐしていくよりも、力で捩じ伏せた方が早いというのが、私の考えだよ」 「そうだったな――果たして、礎になるかな、彼女は」 「さあ……それにしても、きみは、上司に敬語を使わないねぇ」 「元クラスメイトに、使いたくはない。お前の口調にも腹が立つ」 「おいおい、どうしたんだ、気持ち悪い」 「いまさら翼といわれても、迷惑なだけだ、いっそ死んでくれ」 「翼が嫌いかね?」 会話を成り立たせるのが難しく思えたので、最後まで聞かずに通話を閉じた。 頭が痛い。今日は、どうしてこんなに疲れるのだろう。 <font size="4">20:00</font>  外に出てみると、すっかり冷え込んでいた。 至るところにある、ギラギラした灯りが眩しい。楽しそうな若い男女が、そばを通り抜けて、どこかに入って行くのを見ながら、苛立ちをこらえる今の彼女は、誰からみても物騒な形相だった。 現にクルフィの頭の中はごちゃごちゃしている。 一見すると、何も考えていないようだが、実のところは、気難しいのが、彼女だ。しかし、本人自身は本気で何も考えていないと信じてきた。 常になにかをすることで、暗い感情を隠し、常に食べたり笑うことでごまかし、嘘をついて生きる。 醜い自分が悟られないように、彼女が身につけてきた処世術だ。 だから自分の本来の感情について、深く考えることもない。 自分と並んで歩く琴は、少し寒そうに身を縮めていた。嫌な気持ちを誤魔化すように、彼に呟いてみる。 「にしても、この町は、平和だな!」 「そう、ですね」 たくさんの笑い声が、今の自分に、手の届かないものの、抽象的表現のように思える。それが、腹立たしい。少しだけ話したあとは、長い沈黙だった。 互いに、話すことが浮かばず、疲れもあり、話す気力も少なくなってきていたのだ。 賑やかな町が、どうしようもなく、心をかき乱す。すべてを壊せたら、と物騒な考えに陥る。 今のクルフィは、ほとんど余裕がなかった。歩くうちに体が上げはじめた悲鳴は、それほど痛いものだったのだ。自業自得とはいえ、軽く遊ぶ程度ならと、侮っていたらしい。 痛みを押し隠そうと、何か提案を出そうとは思った。なんでもいい、何を食べるか、とか、家はどこだ、とかそういえば、お金がないかもしれない。 頭では思うが、しかし、口に出すことが出来ない。指が痺れて、足がじわじわと締め付けられた。 動悸が激しく、息が辛い。何より、激しく頭が痛かった。 黙ったまま、痛みを隠すのに精一杯だった彼女は、琴の様子の変化にも、しばらく気付かない。 「空気……ヒリヒリ、してますね」 どのくらい経った頃だろうか。琴が、震えた声で、そう口にして、わずかに動揺してしまった。 「え?」 なんとか声が出せたことに、内心で安堵しながら、聞き返す。 「戻そうと、打ち消そうとする、強い空気を感じます…………なんて、言うから、変に思われるんですね、おれは」 琴は、寂しそうに言った。先ほどの話を思い出しているのだろう。 「変じゃないやつ、なんて、どこにも、いない」 そう言って、いつの間にか俯いていた顔を上げて、彼の目を見て、事態に気付く。今の琴の表情は、自分と同じ、何かを隠すのに必死な表情なのだ。 彼の顔にはうっすらと汗が滲んでいた。 「おい、お前、頭が痛いのか?」 「それは、あなたでしょう」 「……私は、別に」 またしても沈黙。 それは、心地悪いものではなく、いっそこのまま黙っていられたらと思うようなものだった。痛みが思考を麻痺させる。イライラさせる。背後の壁がいきなり、赤い光に照らされた。 救急車が道を空けるようにと促し始める。 「なにかあったのかな」 「…………そう、ですね……」 「目の前の……焼肉屋でいいか」 「そう、ですね……」 歩いて数メートル先にある木看板の焼肉屋に入ることにして、二人はまた歩き出す。  まだタワーからそんなに離れてはいなかったが、そこで、気が付いたことがあった。 「──ん、あれ? なにか、おかしくないか」 「ええ、おれも、何度か言おうと思ってましたよ」 鞄の中の、琴の携帯電話が鳴った。曲はどうやら『メリーさんの羊』だ。それも、やけに楽しげなギターアレンジだった。 「はい……」 『場所を伝える』 かけてきた男の、第一声が、それだった。自分が忘れていたのだと思っている彼は、驚いて聞き返す。 「えーっと、つまり」 『すぐそこに見えるだろう。焼肉屋。もうじき、あそこが燃えるんだ。監視して欲しい』 「なっ、なんで、そんな――」 『タワーのシステムが、感知したんだ。さっきのアラームはその知らせで、それから、何かに力が使われることで場所の詳細が探知出来る。それまでは『外』くらいしか場所を絞れなくてな』 「そうならそうと、言ってくれれば……てっきり、さっきのは、既に、中まで上がり込んだのだと勘違いしました……」 『待つのは辛いだろ。不安だけ与えると、何をされるかわからなかったもんでね』 「……さっき、仕掛けたのは、あなたの時間稼ぎですか……」 電話が切れた。伝えたいことだけ伝える、ということだろうか。それとも電池が切れたのか。 「じきに、焼肉屋が、焼けるそうです……」 「はは、笑えない冗談だな……こっちを向け」 電話をそばで聞いていたクルフィが、複雑な表情をした。彼女は目を閉じて、ゆっくり、緑の光を思い浮かべる。それから、コトの頭に、いきなり手で触れた。 「な、なに……」 ひんやりと、体の熱が静まる感覚があった。楽になった、と感じる。痛くないと思っていたはずなのに、体が、軽くなったみたいで、視界が驚くほど開けた。 「ふふ、回復系は、案外、いけそうだな。気力が残ってる序盤のうちなら」      □  いっておくが、おれは、就職した覚えがないぞ。と。羽浦琴は、思っていた。 ただ、口を動かすという動作……特に、言葉を発する、という動作が億劫でならないので、切り出せずにいる。 彼には、なんとなく、流されやすい欠点があった。 別に遠慮があるとか、気遣いができるわけではないが、適当に相槌を打ち、適当に空気を読んでいれば、思慮深いとか、優しいとかだいたい言われてきたので、悪いこととは考えていない。ただ『余計なことを言わない』それだけで、周りから信頼されたり、相談事をされたりするようになっているし、別に都合も悪くなかった。 それでも。言うときは言う。言わねばならないのだが、この人を放っておくのも、別の事件が起こりそうで、不安になる。 結構、放って置けないのだ、こういうのは。 ────と、見上げたのは、モデルみたいに、すらっとした、だけど、あまりいいと言えない目付きの少女だった。 背が高い。自分より年上なのだろうか。詳しいことは聞いていなかったが、なんとなく、いろいろな経験をしてきた風なので、漠然と考えている。  怪しげな組織に、なんだか関わってしまったのも、この欠点が影響していたといえるだろうし、この綺麗な少女が、歳が近そうだったのもあっただろう。  人をかぎ分けることは自信があるつもりだが、とはいえもし、変な売買とか始まったら、即座に逃げるつもりだった。  危ないことなんて、好きじゃない。だけど。若さなのかなんなのか、好奇心に抗うのが、もったいないようで、ずるずると、引きずって…… 本当になにを、やってるんだろう。 (幸いにも、そんなことはなかったが)  放って置けないのには、彼女がなんか不安だ、という以外にも理由がある。彼女が、自分のものと、どこか似たような、暗い闇を抱えていることを、感じ取れてしまったのだ。 もう二度と、そんな人に会えないような気さえした。だから、今もこうして── 「あの、ありがとう、ございます……おれ」 「今日、付き合ってくれて、ありがとな」  唐突だったので、突き放されたような、そんな気分になった。慌てて絞り出した言葉を遮って、彼女は言う。まっすぐに、建物を眺めて、小さく笑って。街の、光が──反射して、きれいだなあ。と、思う。 なんだか、切なかった。 「……危険なことに、引き込みたいって、言いたかったわけじゃない。私に関わると、危ないかもしれないから……だから、みんな」 みんな、私から離れていったから。と、彼女はゆっくりと言う。 「──私、結構、わがままでさ。嬉しいと、つい、ノリであんなこと言っちゃって。もともとおまえを引きとめる権利なんて、ないし。あのジジイには私が、改めて言っておくし……傷、治っただろ? 早く、帰れよ」 優しく、また明日ね、とでも言うように。 「……い、イヤです!」 反射的に、返していた。 遠くでパトカーの音がする。無線らしい雑音が、思考を乱す。琴は自分の意思で、そう答えた。はっきりと、流されずに決断していた。 「え」  彼女は面食らったといった感じに、きょとんとした。それから、笑う。冗談だろというように。だけどわずかに喜びを込めて。 「いや、帰れって! マジであぶねーし、お前が死んでも、さすがに、焼けちまったら標本作れないし……物質が燃えちまったらどうにも再生出来ないし」 「結構です。自分の意思ですから。おれは……」  ただ、確かめたいと、琴は思ったのだ。自分を、未来を、そしてこの人を。なんだか、初めて、自由になれたような、そんな気さえしていて、それを手放したくない。 「そっか……」 「はい」 あはははは、とクルフィは豪快に笑った。それから、言った。 「──そういうの、好きだぜ!」 彼女は、笑う。琴は答えない。腕を引かれた。クルフィは、何も言わなかった。二人は、奥へと進み出す。琴に、後悔はなかった。 EP.1 end
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