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火と制限
21:00
この世界で最も力を持つ、《要素系》の呪文に関しての制約は厳しい。特に、《火》は、恐れられているなかで有名なものであり、つい最近も、芸能人の坂下なんとかが、それを使ったと逮捕される報道があったばかりだ。
今年から税金を8パーセント下げるというニュースを見ていたとき、同時に飛び込んで来たので琴も覚えている。
「妙だ……」
「……なにが、妙なんだよ?」
疑問そうに呟く琴に、クルフィが反応する。ようやく着いたかと思えば、焼肉屋が本当に燃えてしまった。一瞬のことだ。誰かの意思を持ち、動かされているらしい炎は、消化活動で容易に消せるものではなさそうで、消防隊の拡声器かなにかでの、緊迫した声が、しきりに辺りを飛び交っている。
どうしたらいいかわからず、現在、二人は影に隠れて立ち尽くしていた。
「いや……魔力制限が、この近辺だけ、弱まってて……店って、特に、そういうの、厳重なはずなのに」
「わかった! あれだな!やり放題だな! ヒャッホー!」
特に話も聞かず、クルフィははしゃぐ。魔力の制限が、少しであれど、なくなるのなら、それは大暴れしても大丈夫という思考である。
「あ、ちょ、ちょっと!」
琴が、走り出した彼女を止めようとするが、彼女はすぐに足を止め、姿勢を崩した。先ほどまでの痛みが残っているのを忘れかけていたのだった。
「おおっと。そうだそうだ。魔族によくあるのが、回復し忘れで死ぬってやつだ……あるだけ使っちまうからな!」
「なにを主張したいんですかあなたは……」
「ちくしょー、歩いてもMPが回復しない!」
「……やるんですね、そういうの」
21:15
なんてふざけていると、突然、周囲がざわつきだした。
「なにかあったのか」
クルフィがキョロキョロと首を回す。
「みたいですね……」
琴も顔を上げて周りをよく見てみた。多くの人の視線の先には、火の中を平然と歩き、屋根にのぼる誰かの姿があった。
「あれ──このひと……」
「ん?」
その人物は、逮捕されたはずの、元国民的美少女アイドル、坂下花菜奈(さかした はなな)だった。
くるんくるんに巻いた背中くらいまでの銀髪を、ひとつに高々とまとめ、さらにそれを二つに分けてお団子にして、伸ばしている。
……よくわからないスタイルだが、とりあえずそれだけやれるくらい、髪が長い。
アイドルしか着られなさそうな、綺麗な布やスパンコールをあちこちにふんだんに散りばめた、輝くドレス。腰が細い。ぱっちりした目は、意思が強そうだと、琴は思っていた。歩きにくそうなブーツをはきこなしている。彼女は、よく響く甲高い声で挨拶。
『こんにちはああーん!』
アイドルが、大音響(逮捕されたはずなのだが、今はマイクをつけているらしい)で、焼け続ける焼肉屋のてっぺんから声を上げるのだから、誰もが、唖然としてしまうしかない。
リアクション出来ない。
クルフィはドン引きしている。
『んー、にゃ!? リルっちのにおいー!』
「あいつ、なんでここに……」
クルフィが、思わずその《舞台》から目をそらした。知り合いだ。屋根の看板を照らすライトが上向きだったなら、きっと、ますます舞台らしかっただろう。
「知り合いですか……あの、アイドルの坂下なんとかって人」
琴は、アイドルって、実物を見ると印象変わるなあくらいに思いながら、聞いた。名前がよく思い出せない。
「坂下ぁ? あのお気楽娘はそういう名前に変えてアイドルやってたのか……」
少しすると、はにゃにゃーん!!
などと、気の抜けた応援が飛び交い始め、ファンが集まってきた。クルフィは呆れて俯く。琴は、なにこの人、と上を見上げたまま固まる。目が合った。かと思ったら、彼女が見ていたのは、琴の隣にいる人物だった。
『リルっちー! そこにいたんだね!はにゃにゃだよ! 愛して』
クルフィは最後まで聞かずに、指でねじるような動作をして、マイクを捻り壊す。引き寄せるには、人が多くて出来なかったが、壊すには数メートル先の距離で足りた。
「なあ、なーんも聞こえないよな、コト?」
「あ……えっと……」
どう言おうかと思って、ちらりとうかがう。すると、彼女の目が、なんというかマジな感じだったので、琴は、必死に頷いた。まだ死にたくはない。
「あう……リルっち! 僕ちゃんと、そいつ、どっちが大事なの!」
マイクが無くなったが、みんながシーンとしているのもあって、わりかし声が聞きとれた。クルフィが、聞こえない聞こえないーと、彼女が見えない位置に回ろうとするので、琴も聞こえないことにして、その場から離れようとする。その間に坂下花菜奈は「僕ちゃんと、リルっちは将来を誓ったよね!?」と叫ぶし、彼女のファンが口々に何か言ってざわついているし、クルフィは聞こえないと呟き続けるし、消防隊が『危ないので下がって!』の放送を、最大音量でしなければならず、現場は混沌を極めようとしていた。
「……なあ、コト」
顔が見えないので、何を思っているかわからないが、クルフィが、ライトが消された看板を見上げたまま、琴に聞いた。淡々と。
その、今までと違うトーンに、琴は少し戸惑いながら答える。
「え、あ……はい」
「あいつ、どう思う」
看板のそばで、手を振っている少女を見る。
二十歳を過ぎたらしいが、とても、そうは見えない。人間年齢にしてはいけないのか。と琴は考える。
人間として売り出していたアイドルだったが、テレビで見た、最初から、琴は少し違うということを見抜いていた。
「どうって……あれは、えっと……とても、その……今ある炎を使っているようには、見えないっていうか。あの炎からは……違うものを感じるっていうか」
「私も、そう思うよ」
「じゃあ、これは、いったい……」
とにかく、火を消さなければならないだろう。意思を持つ火は、自然に燃え広がりも、自然に消えもしない。ただそこに有り続け、近づいたもののみを、燃やす。
クルフィが叫ぶと、しっかり聞こえているらしい坂下が反応した。髪がふわ、と揺れる。
「おい、なんとかバナナ」
「昔みたいにー、キャノって呼んでくれなきゃ、やーだー! けど、わかった!」
坂下花菜奈は、何気なく服の下、というかブーツの下に付けている靴下のガーターの辺りから挟んでいたらしいマイクを取りだした。ホルスターかよ、まだマイク持ってんのかよ、とクルフィが舌打ちする。
「みなさん──おやすみなさい!」
小さく息を吸い、彼女がそう、マイクに語りかけると、キイイインとハウリングし、周囲に波が響き渡った。琴は一瞬、倒れそうになったが、しかしそんなことはなかった。クルフィは平然と、彼女を見上げる。
周囲にいた、ざっと数百単位の人間が、それぞれ、眠っていた。立ったまま。近くに寄りかかっている人もいるが、総じて眠っているように見える。
「……これは」
琴が唖然としていると、ストン、と看板から降り立った彼女が、近づいてくる。あの歩きにくそうなブーツで、よくそんなことが自然に出来るものだと思った。
「にひひ、僕ちゃんが得意なの、催眠だからね! ねー、リルっち」
彼女は、クルフィに抱き付こうとした。しかし見事にかわされた。琴は、なにか巻き込まれないように、そっと距離を取りはじめる。しかし、『自分だけ逃げんな』とクルフィに睨まれて、やめた。
しかし今は、細かいことは置いておこうと、琴はとりあえず通話ボタンを押す。
「はい……」
『そこにいる、キャノに会ったか』
その男の声が、出るなりぶっきらぼうに要件を切り出した。予想出来ていた琴は、特に何も思わない。
「まあ……はい」
琴が返事をしながらちらっと、右側を見ると、隣は、なんだかわからないことになっていた。正しくは、クルフィが頬擦りされている。うまく押しやれないのか、もがいている。
(クルフィが、正気を失いかけているなんて、ただ者ではない気がする……)
一瞬、クルフィと目があった。
「わ、わわわ、私は……獅子を撃つのに、全力を用いることができないんだよ!……っ、ぎゃあああ!」
よくわからないが、加減が苦手で、か弱そうな人には、手が出せないということだろうか。と琴は考える。
「──っていうか、なかなかいませんよ、獅子を全力で狩りにいく人類」
兎と獅子が逆転している。というか、なぜその例えにしたのだろう。
自分が何しに来ていたのか、忘れそうだ。
ちょうどそのとき、琴の携帯電話が鳴った。『メリーさんの羊』(ギターアレンジ)だ。やけに、ここでは場違いに陽気だなと、琴は考える。そろそろ変えようか。
遠くから優しい笑顔だけを向けておこう。おれは関わる余地が無さそうだと、琴はとりあえず笑顔で手を振った。
そのうち、押し倒されてもおかしくないかもしれない、と思ったが、いや、違う。じゃれているだけだ。緊迫感もないし。そうだそうだ。あんまり目が合わないうちに、通話に戻る。
『今回は彼女に、協力してもらうことになっている。うちに、所属しているんだ、一応』
「……火を、使ったのは……誰ですか?」
『暴走だ』
「発散されないエネルギーのみが、この場に溜まってしまったと……そういうことですか」
答えではなく、指示だけが告げられる。彼もなにやら急いでいるらしい。
『自分を、まだ人間だと思っている、変異者を、見つけて、そいつから──その《意思》の代わりとなっているものを、回収してくれ』
「わかりました」
琴は、少し動揺したが、努めて短く、悟られないように返事をした。
『ああ、それから』
「はい……」
『そこに来ている、彼女のファンの人間が、怪しい』
どういうことかと、聞こうとするころには、既に通話が切れていた。
(一方的だなあ、どうも……)
<font size="5">21:20</font>
火は、一点ずつで、数ヶ所、集中して燃えていた。煙を吸わないように少し離れた場所で話す。
「なんつーか……キャノは、その」
珍しく歯切れが悪いクルフィを新鮮に思いながら、琴はどうしたものかと思っていた。彼女に妙になついている(?)キャノは、琴を品定めするように眺めている。
「……視線が痛い」
呟いた言葉を、彼女の説明に頭を悩ませていたクルフィが拾った。
「あ、何か言ったか、コト」
「いえ、その、キャノさん……どうかしましたか……」
「むむ、コトちゃんかー、僕ちゃん、どうして一般人がここにいんのか、わかんないんだけど」
──と、いいながら、琴ではなく、クルフィに肘打ちする。クルフィはそれを頭だけで避けながら、ため息を吐いた。
「あんたこそ罪人としても今をときめいてるんだろ? なんでここに──」
「……そりゃあ、リルっちが来るって聞いたからだよ。僕ちゃんは火の術に関係ないし。いくら僕ちゃんのライブ会場がリアルに熱く燃え盛ったからって、ひどいよね」
「なるほど、リアルに燃え盛ったらそりゃあびっくりだよな……っていうか、そのしゃべり方、もうやめていいぞ」
「うん、わかった。ああ疲れた」
(うわ、突然淡白になったな……)
琴にはなんの説明にもなっていない気がしたが、それよりも、優先すべきことを聞いた。
「あの……キャノさんのファンの中に、この暴走を起こしている人がいるかもしれません」
琴が言うと、キャノは頷いて、寝ている人たちを見回す。
「うん。そう思うよ。前から、そんな気がしていたの。少しでも、暗示に抵抗できる力があるなら、寝たフリしてるんじゃないかな」
突然、ずいぶんと話しやすくなってしまった。これはこれで、どうすればいいんだかわからない。……今まで散々テレビなどで見たあれは、ただのキャラ作りだったのだろうか。と、琴は考える。生きるって大変なんだなあと、少し同情に似た気分だ。
その視線を感じたのか、複雑そうに、彼女が言う。
「愛想をふりまくのに、普段、あのくらいテンションあげてないと、持たないんだ。まあ、もうそんな必要ないけど。リルっちとは地元が同じなの」
「わかりました……」
説明について問い直す空気じゃなくなってしまったが、とりあえず寝たフリをしていそうな人を探すことにした。クルフィは既に、どこかに走っている。
後を追おうとしたら、キャノに呼び掛けられた。彼女の方に首を向ける。
真剣な目をしていた。
「──あんたさ、一般人って、どういう種族かって意味じゃなくて、職業的な話だったんだけど。もしかして、あのファンシー男に仕えてるの? ここに来たのもそういうこと? そういうことでリルっちが連れてきたなら、信用する」
それは、強く、意思を感じるしゃべり方だった。
なんだか、印象が変わった気がした。
アイドルに興味はないけれど……
「……はい。そういうことです」
ファンシー男に触れなかったのは、なんとなく、その方が無難な気がしたからだ。
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