火と制限

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  クルフィを追いかけようとしていたら、待って、と言われた。 彼女が、マイクのスイッチを入れる。 琴は、またあれかと耳を塞ぐ。 「──ってことでー、起きてるクズは僕ちゃんのとこまで来なさい!」  キイイイインと、反響がこだましていくが、誰も、起きない。クズって、ファンじゃないのかと琴は思ったが、こういうのを喜ぶ人間もいるそうだ。ただ、琴には理解できそうになかった。  一瞬、バチッ、と静電気みたいな音が、マイクにわずかに跳ね返った。しかしそれだけで、誰も起きていない。困惑する琴に、キャノはお構い無しで、どこかを目指して行く。 「方角がわかった。行くよっ、琴ちゃん!」 「あ、待って……」  どこにだろうと思いつつ、横たわる人の山で埋まる駐車場を走って、最終的には、クルフィが一人の男の首を掴んでいる現場に遭遇した。 「強い反応がある。こいつだ」 ……クルフィが、無防備な人に、かつあげかなにかする、犯罪的な図にしか見えないと、琴はつい思った。男は、まだらに禿げた60代くらいで、紺のスーツ姿だった。キョロキョロと、視線を動かして戸惑いを隠せずにいる。 「あの……」 男がおどおどと、喋り出した。クルフィは苛立っている。 「あ? んだよ。まだ息が出来るうちに、早く火を止めろ!」 「……これは、私が──?」 「そうだよ、早くしろ」 チッ、と吐き捨てるクルフィに、琴は、別の意味で、はらはらしていた。この人は一般人だ。そりゃ急に、こんな暴走を起こしてしまったのかもしれないがだけど、普段は善良な市民だろうと、思った。  男は突然、気味悪く笑い出す。それから、ぶつぶつと呟いた。 「……私にも、使えたんだ……ははっ、私にも、使えたんだ。家内にフラれて……いいとこないと思ってたけど……格好いいじゃないか」  聞いていたクルフィの拳に、静かに力が入る。だが、ぐっと堪えていた。 「こんなもん──」  そんな力のせいで、彼女らは迫害されて、恐れられてきた。きっと、それを、格好いいなんて言われるのに、思うところがあるんだろう、と琴は考えた。だが、彼の状況も理解し、堪えているのだ。 人間だった、はずなのに、突然、こんなふうに── 「……制限されて、持つだけでお前でも即刻捕まっちまうような、こんな力が──いいところ?」 誰かが、後ろから、キツいトーンで叫んだ。キャノだった。今までの声とは比べ物にならない、怒りがこもっていた。 「許せない、許せない、許せない、許せないっ! お前みたいなクズ! 武器だよ、人を殺せるような、武器を、いつ、感情が跳んで制御が効かなくなるかわからない武器を、抱えて生きるんだよ! 頼んでもないのに、寿命を代償に、磨り減らして!」  男が、一瞬、驚いたような顔をしていた。だが、本人になにかを確認することはしなかった。拒絶を感じたからだろうか。  クルフィが、ふと冷静になる。今は彼女の方が、不安定で、危険なのだろう。うわーん、と泣き出してしまった。クルフィは困ったように頭に手をやりながら、視線を泳がせている。 そんな風に考えたことなかったな、と呟いたのが、琴にだけ聞こえた。 「あの……」 そっと、クルフィのそばまで出てきて琴は彼に声をかけた。男は、気弱そうな少年を見て、態度を変える。 「なんだ、ガキか……お前の連れなら、何とかしてくれないか?」 「……あ……」  卑しい目。 (あれ……? なんか、どうして、だろう……)  それを見た瞬間に、何かを、思い出した気がする。 どうしてか、説得しようとさっきから選んでいた言葉のならびが頭から次々と抜け落ち、冷淡な感情が溢れてきて── 「聞いてるのか? おい、迷惑してるんだ、私は」 「止めろ……さっさと」  それは、今までにない、感情を排した声。男が怯む。 冷たい空気が、辺りを包んでいた。感じたことのない、嫌な空気。どろどろした波。 「なんだよ、これ……」 クルフィが身震いする。キャノは怯えて、思わず彼女の背中に隠れた。 なにが起こっているのか、誰もわからない。 「なあ、止めろよ。早く。死ぬ気でやれ。……俺はお前なんか、助けない……出来なきゃ殺るだけだ」 それは、その場の誰より冷えきった声だった。ひい、と男が怯え、それに合わせて自信をやや喪失した火が少しずつ小さくなっている。  ひんやりした空気が、男の表情を固めていく。 琴は無意識なのか、意識的になのか、彼女にかわってその首を掴み、男の頬を強く殴った。細身からは想像のつかない力だ。 男の口から何かの塊が吐かれた。 琴は手を止めない。  吐かれたのは気味の悪い、まがまがしい黒色の何かだ。それは、やがて煙になり、空中で消える。火も、同じように徐々に消えて無くなり、さっきまでの現場は、焦げた跡だけが残っていた。 (あれは……)  クルフィはそれを見て何か考え込む。地面に小さな欠片が降ってきた。それはほとんど輝きのない、透明な玉だった。  キャノは琴を呆然と見ていたが、やがてまた、変化に怯える。 終わっていない。琴は無表情で男を蹴りあげて──転がったのを見て、笑っていたのだった。 「ねっ、ど、どうしたの、あの子! おかしいよ」  何度も何度も何度も、重点的に腹を蹴っている。ボコ、とそれに合わせて嫌な音が聞こえた。異様だった。キャノが顔をしかめる。クルフィも戸惑いを隠せずにいた。 「もう、終わっていいぞ、コト。帰ろうぜ、な?」 クルフィがコトの腕を掴み、声をかけたが、届かない。 「……消えろ」 「どうしたんだよ? それ、人間だぜ?」 「──には、価値なんて」 「なあ、おい」 「……え?」  ふと、我に返った琴が、目の前で倒れている男を認識した。目を見開き、固まる。彼の前で、痣だらけで、シャツの腹の部分に重点的に靴跡や土汚れがつけられた男が、失神していた。 「ひどい怪我、誰が……こんなことしたんですか……!」 言ってから、靴跡と、自分の靴を見比べて、頭を捻る。クルフィが恐る恐る聞く。 「まさか……お前、覚えてないのか」 琴は首を傾げて、気まずそうに、男を見ている。 「ええっと、はい……まあ」 琴はぼんやり立ち、さっきと比べ物にならないほど、穏やかで、頼りなかった。
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